つれづれに:大阪工大非常勤(2022年7月11日)
HP→「ノアと三太」にも載せてあります。
つれづれに:大阪工大非常勤
1983年4月から始まった大阪工業大学(↑)での非常勤の意味をその時はそう深くは考えなかったが、履歴書を書くときにその重要性がわかるようになった。大学を応募するときに提出する履歴書には学歴、教歴、業績が不可欠だからである。教員再養成の大学院にしろ形式的には教育学修士と記入出来るし、教歴の欄には大阪工業大学一般教育英語科非常勤講師と書ける。先輩の助けを借りて、まだ少ない業績と教育学修士の書類で非常勤にしてもらい、大学の教歴が始まったというわけである。どの博士課程でも受け入れてもらえないのだから、それしか大学の空間を確保する手立てはない。
大学も「夜間課程」(↑、3月28日)だったので、夜間の非常勤にはまったく抵抗はなかった。ただ、大学での授業は初めてだったし、工学部とも全く縁がなかったので、自分で考えてやるしかなかった。自分が嫌だったものを人に押し付けるのも嫌だし、映像や音声もたくさん使って英語に馴染めない学生も楽しめる方がいい、自分に関係あるものを選ぶ方が力が入るし、準備もし易い、などを考えると、修士論文で文学作品を理解するために辿ったアメリカ黒人の歴史がよさそうである。大学の時は関心がなかったので眺めるだけだったが、購読の時間に使った詩人のラングストン・ヒューズが書いた黒人の歴史(↓)がいい。本人が朗読したLPから拵えてもらったカセットテープもあるし、テキストの合間に黒人音楽も挿入されている。それで行くことにした。
工学部なので専任なら学生の必要性を考えて工業英語(Technical English)を担当したかも知れないが、私が担当したのは一般教養科目の英語である。今もそうだが、専任より非常勤の方が経済的に安く済むという経営者側の論理でどの大学も非常勤をたくさん採用していた。当時は文部省の縛りで英語の必修単位数自体が多く、それだけ英語の非常勤講師も必要だったという事情もあった。私学だけでなく国公立大学でも非常勤は多そうだった。非常勤率が9割を超えている大学もあったと言われていた。後にその大学に行くことになったが、お昼休みにベンチで座っていたら、隣のベンチにいた学生が「わいABCもわからへんねん」と言ってた。行く前に噂で聞いたことはあったが、ほんとやったんやと変に感心した。非常勤を引き受ける時の雇用条件が、ネクタイを締める、出席半分で単位を出す、の二つだったので、なるほどと得心してしまった。非常勤率9割以上と言われても、そやろなあと頷くしかない。その大学で入試問題が漏れたと問題になったことがあったが、何が問題なのかさっぱりわからなかった。地元の学生は大学の名前を言いたがらなかったと聞く。
大阪工大はそんな大学ではなく、学生はいたって真面目で、優秀な人もたくさんいたようだ。ただ、工学部全般では英語の苦手な学生が多いようで、その点は授業の時に感じることがあった。全員と個人的にしゃべったわけではないが、「英語が出来てたらいちだい(大阪市大)かふだい(大阪府大)に行ってたのに」という学生も結構いたように思う。
非常勤を引き受けた英語が教養科目で助かった。自分で何をするかを決めればよかったからである。もちろん購読も個人的にはどちらかというと好きだし、人の教科書を使って短い時間に採点出来る試験問題を作るのが一番簡単ではある。周りも大抵はそんな感じの人が多かった。パソコンやプロジェクターを使う時代ではなかったので、尚更その傾向が強かったように思う。しかし、思わず大学の授業を持つことになったとは言え、自分が嫌だったことを人に強要するのも嫌だし、本来言葉は話したり、聞いたり、読んだりして楽しめるものだから、自分も楽しめるように、そんな工夫をすることに決めていた。アメリカに行ったおかげで、英語への抵抗感もだいぶ減ったし、授業が英語を使ういい機会になりそうである。使えれば、役に立つことがあるかも知れない。
大阪工業大学(↓)ではLL(Language Lavoratory)教室を使わせてもらった。非常勤では授業をして帰るだけの場合が多いのだが、教室にいた補助員の学生3人とも仲良しになり、気軽に過ごせる居場所になったのは有難かった。その出会いが、予期せぬ宝物となった。
非常勤講師料だが、たぶん1時間が8000円、1コマは100分2時間換算で16000円、毎月3コマ分48000円が振り込まれた。一年目の収入である。聞いた話を総合すると、私学はす毎月払いで、関西の私学が一番非常勤講師料が高かったようだ。その後何個所頼まれた大学の中では1コマ24000円の桃山学院大学が一番よかった。2万円を切っていたのは大阪工大だけだった。理科系は設備費に予算を食うからというもっともらしい理由である。関西では大阪経済大学が一番高いやろ、紀要を書いても補助金がでるくらいやから、と誰かが言っていた。月額48000円が始まりだったが、充分に有難かった。機会をくれた先輩に、感謝である。
次は、LL教室、か。