英語 Ta1(7)

2020年前期 英語 Ta1(7)授業一覧 目次

今年度はすべてが普段と違いました。オンライン75分授業、学生食堂の混乱を避けるために昼休みは2時間。授業ごとに授業の記録を取り、すべてをまとめました。14回と希望者による時間外1回と14回でしたが、大変な1年やったと思います。ほぼ全員が参加してくれたことには本当に感謝しています。みんなの授業でもあるけど、僕の時間でもあるから。ま、当たり前のことやけど。以下の17回を書いたわけで、毎週7クラス分を書くのは、なかなかでした。

 

(1)英語 Ta1(7)1回目授業案内→1回目授業案内

(2)英語 Ta1(7)1回目授業(授業前)→1回目授業(授業前)

(3)英語 Ta1(7)1回目授業終了→1回目授業終了

(4)英語 Ta1(7)2回目授業終了→2回目授業終了

(5)英語 Ta1(7)3回目授業終了→3回目授業終了

(6)英語 Ta1(7)4回目授業終了→4回目授業終了

(7)英語 Ta1(7)5回目授業終了→5回目授業終了

(8)英語 Ta1(7)6回目授業終了→6回目授業終了

(9)英語 Ta1(7)7回目授業終了→7回目授業終了

(10)英語 Ta1(7)8回目授業終了→8回目授業終了

(11)英語 Ta1(7)9回目授業終了→9回目授業終了

(12)英語 Ta1(7)10回目授業終了→10回目授業終了

(13)英語 Ta1(7)11回目授業終了→11回目授業終了

(14)英語 Ta1(7)12回目授業終了→12回目授業終了

(15)英語 Ta1(7)13回目授業終了→13回目授業終了

(16)Ta1(7)14回目授業

ひとりひとりから授業の感想などを聞かせてもらいました。

(17)Ta1(7)課題講評→課題講評

(18)Ta1(7)最終メッセージ→最終メッセージ

 

クラス名簿(Zoomをする時に必要になりそうやから、学生支援課でもらったファイルからコピーしたよ。)

2020年前期 英語 Ta1(7)クラス名簿(44名)

61200050 石川 真央 イシカワ マオ
61200096 榎木 翔也 エノキ ショウヤ
61200236 杉田 優奈 スギタ ユウナ
61200285 土谷 修史 ツチヤ シユウト
61200290 寺原 萌恵 テラバル モエ
61200393 橋口 大輝 ハシグチ タイキ
61200494 藤川 大雅 フジカワ タイガ
62170390 藤原 幸佑 フジハラ コウスケ
62190501 光成 耕大 ミツナリ コウタ
62200118 大平 悠貴 オオヒラ ユウキ
63190072 魚住 龍太郎 ウオズミ リュウタロウ
63200094 浦川 大和 ウラカワ ヤマト
63200216 黒木 雅人 クロキ マサト
63200300 徳永 紅漢 トクナガ クレハ
63200324 西川 輝 ニシカワ テル
63200463 山川 健伸 ヤマカワ ケンシン
63200487 吉武 直哉 ヨシタケ ナオヤ
64200112 緒方 那美 オガタ トモミ
64200189 数森 皓太 カズモリ コウタ
64200310 田上 嘉伸 タノウエ ヨシノブ
64200363 西原 太輝 ニシハラ タイキ
64200402 東 広明 ヒガシ ヒロアキ
65160230 関谷 文太 セキヤ ブンタ
65180020 厚地 湧太 アツチ ヨウタ
65180210 小牧 優太 コマキ ユウタ
65190414 長谷川 隆郁 ハセガワ タカフミ
65200038 浦野 翔大 ウラノ ショウタ
65200308 高島 陸人 タカシマ リクト
65200447 牧ノ瀬 開人 マキノセ カイト
66200053 内山 大智 ウチヤマ ダイチ
66200084 梶谷 伶 カジタニ レイ
66200121 佐藤 賢吾 サトウ ケンゴ
66200134 椎原 陽 シイハラ ヨウ
66200226 永野 聖人 ナガノ マサト
66200257 中山 崇瑛 ナカヤマ タカアキ
66200420 溝口 幸輝 ミゾグチ コウキ
66200433 武藤 聖汰 ムトウ シヨウタ
66200479 山口 寛人 ヤマグチ ヒロト
66200482 山田 大雅 ヤマダ タイガ
67160330 永原 颯 ナガハラ ハヤテ
67200090 大野 和輝 オオノ カズキ
67200135 押川 優 オシカワ ユウ
67200160 上赤 侑矢 カミアカ ユウヤ
67200289 篠原 里奈 シノハラ リナ

(1)1回目授業案内

<連絡事項>

1回目授業は5月12日10:15~11:30、Zoomも試してみます。10分前くらいから参加出来るように準備しときます。木花キャンパスのオンライン授業の授業時間は75分。

<Zoomについて>

予め、zoom アプリをインストールして下さい。パソコン、タブレット端末、スマートフォンのいずれかがあれば参加が可能です。参考までに、インストールの仕方を紹介したサイトです。
→https://zoom.nissho-ele.co.jp/blog/manual/zoom-install.html

zoomアプリのインストールの際は、アカウントの名前の設定を学籍簿の名前で設定して下さい。例: 鈴木太郎(スズキタロウ)

このクラスの招待状を貼っておきます。↓

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玉田吉行さんがあなたを予約されたZoomミーティングに招待しています。

トピック: Ta1(7)授業
時間: こちらは定期的ミーティングです いつでも

Zoomミーティングに参加する
https://us04web.zoom.us/j/74254342513?pwd=WjFKNkxidVAzQzR1d05MdVlLVG1EZz09

ミーティングID: 742 5434 2513
パスワード: 8WudNx

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Zoomをスマホでする人へ

Zoomをスマホでする人が発表するのに使うスマートフォン版のPowerPoint等を調べてくれた人が、スマートフォンの方からWord文書を作成して送ってくれました。(メール添付で送ります。)
「利用するにはMicrosoftのアカウントが必要となるようです。
アカウント登録やアプリのインストールは無料で行うことができます。
無料版のままですと少々機能制限があるようなのですが、基本的には問題なく使用できると思います。zoom上で予め動作確認をする必要がありますが、発表も可能だと思われます。」ということでした。

<資料配付について>

* 印刷物を渡せるのであれば、印刷物を用意するつもりです。だめな時は、ファイルに置く予定。

説明会があれば、その日に僕の研究室前に置いときますので、各自持って帰ってや。研究室は教育棟328。教育棟正面から向かって左側(東側)3階です。説明会についてはメールの遣り取りで確認して、また一斉メールするね。

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①自己紹介、②Covid 19、③授業・授業予定、④課題と課題図書・発表、⑤トーイック、⑥クラス名簿

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①自己紹介(メールにも添付しています)

資料に印刷物が入ってるけど、一部紹介

玉 田 吉 行(たまだよしゆき)

玉田です。たまさんか、たまちゃんでよろしく。

1949年、兵庫県生まれ。

大学が一番書く時間がありそうやなと思って30を過ぎてから転職、38歳で宮崎医科大学に。・・・・

いい出会いでありますように。

ホームページ→「ノアと三太」

奥さんの絵のブログ→「小島けい絵のブログ」、のぞいてみて下さい。

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②Covid 19

誰も予想しなかった事態になっているけど、終息には時間がかかりそうやし、これからスペインやアメリカのような事態になる可能性も大いにあると思います。ただ、ものは考えようで、かつてのペストやスペイン風邪のようにな脅威的な状況は、とても大切な経験になるかも知れないんで、歴史から、いろいろ学べるとええね。

ウェブの情報は玉石混合やけど、すっとこちらに伝わってくるのも時々。三つほどすとんと心に落ちました。読んで、自分で判断してや。なぜオンライン授業をする事態になってるのかなども含めて。

「これで『軽症』と言うのか。新型コロナ感染で入院中、渡辺一誠さんの手記」(入院患者の手記はなかなか)

「『とっとと感染しちまえ』 京大准教授、ツイートの思い」

「日本の緊急事態宣言が遅すぎる理由、コロナ最前線の米医師が戦慄の提言」(アメリカで医者になった日本の人の手記も本気度が伝わって来るね)

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③授業・授業予定

授業自体がどうなるか先行きはわからないけど、すべてオンラインの可能性が高いと想定して、大まかな予定を考えました。

<あくまで予定>

<1回目> 授業概要・自己紹介

<2~14回目> トーイック関連・教養関連

<15回目> まとめ

トーイックは過去問と『金のフレーズ』の演習

教養関連は今回の感染症騒動にひっかけて、エボラ出血熱などを軸に、先進国とアフリカの関係などを含めて、僕らがいる世界と自分について考える機会にしてもらえればと思っています。資料は印刷物で渡すか、参考ファイルにファイルを置くかして準備するつもりです。

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④課題と課題図書・発表

資料が届いたら、印刷物の形で確認出来るけど、抜粋を載せときます。

<評価について>

評価は ①提出物(課題8割)と授業への関わり(発表、トーイック演習、感想文などプラスα)、②トーイック2割を総合的に評価する予定です。

<課題について>(提出日は変更の可能性もあります。)

課題は、7月28日(12回目)に、印刷物の形で提出して下さい。早くてもOKです。定期試験に代わるものなので、未提出の場合は未受験扱いです。期日は厳守。Webclassを使うかも。授業の中で連絡します。

<エセイについて>

 エセイは自分で仮説を立てて論述的に書く科学的な論証文です。感想文ではなく、立てた仮説を客観的に論証するもので、仮説の設定の仕方、着眼点や洞察力、問題の取り上げ方や分析の仕方、論証の仕方や表現の仕方などによってレベルが決まります。

 まず、「~は~である」という仮説を立てて、それを資料など(個々の事実)を使って科学的に、論理的に証明していく具体的な例をひとつ。平和について、アフリカとエイズ、南アフリカとアパルトヘイトといった大きなテーマでは、一生かかっても論証出来ませんから、たとえば、「作田信がネオ・タウに突然殴られたのも仕方がない」というような小さな仮説を立てて論証して行く方が説得力があります。誰が読んでも納得できる、読んでなるほどなあ、と感心するものが一番やと思います。

一番多い勘違いは、調べたものをコピーぺーストして並べる、やと思います。資料は必要に応じて集めます。どの資料を拠り所にするか、どの資料を選ぶかも大事です。課題図書も資料の一つです。 折角の機会ですから、個々の事実を使って論理的にある仮説を論証する、というのをやってもらいたいと思います。

<発表について>

「自己紹介」、「好きなこと」、「大学で何がしたいのか」、「やりたい専門分野」、「将来の進路選択」などについて、英語で発表。アウトプットの機会にしてもらえると嬉しいです。

詳しくはプリントで。

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⑤トーイック

トーイックは一般社団法人日本技術者教育認定機構(Japan Accreditation Board for Engineering Education、略称: JABEE)にも必要なようなんで、トーイックも少々やる予定です。役に立てると嬉しいです。

トーイック協会から出ている唯一の過去問の一部と、『金のフレーズ』(テキストを応用してプリントにしたもの)を使って演習するつもりです。必要に応じて、適宜Listening Comprehension Practiceもしようと思います。

トーイックテストについては、教育文化の卒業生寺井くん(名古屋大博士課程1年生)が作ってくれた解説をもらってますので、それを使って案内します。

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(2)1回目授業(授業前)

<連絡事項>

*1回目授業→5月12日(火)10:15~11:30。10分前くらいからZoomの準備をしときます。75分。

<1回目にやること> 盛りだくさんなので最後まで行かないかも、行ける所まで。以降は次回に。

資料を見ながら解説するんで、資料と、可能ならこのブログのぺージも見られるといいけど。

① 名前とオンライン環境の確認。→<①の説明>

② 簡単な自己紹介などのコメント。→<②の説明>

③ 配付資料の確認と解説→<③の説明>

④ 次回の授業予定、それ以降の授業予定、発表者の決定。→<④の説明>

⑤ 課題・課題図書解説→<⑤の説明>

⑥ トーイック→<⑥の説明>

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配付した資料一覧:①(B4表裏2)2020年度前期 工部1年 英語Ta1 (7) 、②(A4表1)自己紹介、③(A4表1)自己紹介用紙、④(B4表裏6)地図(The Hot Zone)/ Ebola virus returns~ / Ebola Outbreak (CNN) / Zaire in 1976 / Outbreak (1) / Outbreak (2) / Deadly Ebola virus ~ / Nature of the killer virus /  Zaire’s Turmoil~ / Pushing Kabila ~ / Music in Kenya ~ (表裏)、⑤ The colonization of Africa、⑥(B4表裏2)奴隷制度を詳細に~ / アフリカシリーズ / ODA (1) / ユッスー・ウンドゥール、⑦(B4表裏1)トーイックについて / TOEICテストについて / ⑧(B4表裏2)①8品詞と5文型 / ③副詞 / ④分詞(表裏)、⑨(A4表裏14)『金のフレーズ①~⑤』、⑩(A4表裏9)過去問Sample Questions

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<①の説明> 名前とオンライン環境(Zoom、大学のメール、僕のブログ、Webclass)の確認。

<②の説明> 双方向で実際に使ってみるために、簡単な自己紹介。Zoomの使い方などの説明も。

<③の説明> 配付資料を見ながら確認と解説。まだの人は僕の研究室(教育棟328)に置いたままにしてるので取って来てや。

<④の説明> 授業は、教養関連(④~⑥)とトーイック関連(⑦~⑩)を7対3くらいで進めようと思っています。最初は④⑤を使ってエボラ出血熱とコンゴを軸に、色々考えてもらえれば。発表もしてもらいながらいっしょにやってこ。参考ファイル(ファイル置き場)に置くファイルも実際に見てもらってダウンロードしてや。

僕が一方的にしゃべるのではなく、みんなが調べて発表したり、意見をたたかわせたり出来れば一番やと思っています。Zoomではグループワークも出来るし。④の1:Ebola virus returns~ / 2:Ebola Outbreak (CNN) / 3:Outbreak (2) の三つの発表です。1は要約か日本語訳、2、3は聞き取りです。聞き取りシートは資料の中に入れてあります。

<⑤の説明> ①を見ながら説明します。

<⑥の説明> ⑦~⑩を見ながら説明します。

(3) 1回目授業終了

初めてのZoomでの授業が無事に出来てよかったと思います。Lineを作ってくれた大下くんやLine作りに協力してくれたみんなのおかげで何とかやれました。いっしょにやれることも含め、とても感謝しています。

不参加は6人、そのうち5人が再履修。授業を受けるつもりがあり、事情があるなら、これを見たらメールで連絡してや。追加登録の再履修が1名、月曜日に登録を確認したら名簿に追加します。

14日(木)に木花の5クラスが何とか終わってほっとして、少し気持ちが緩んだようです。工学部の2クラスは20名ほど再履修の人もいて、参加してない人が5人前後、毎年最初から来ない人がその程度いるんで、新入生はほぼ参加してくれて、顔も確認出来たということのようです。いづれにしても、何とか始まったなあ。嬉しい限りです。

でも、始まったばかり、第二波が来る確率も高いし、何とか凌ぎながらやり切れることを祈ります。協力して、折角の授業、楽しんでやれるとええね。

<連絡事項>

*2回目授業→5月19日(火)10:15~11:30。前回と同様、10分前くらいから参加出来るように準備しときます。75分です。医学科は90分でやってるんで、開始と終わりの時間がまだ意識に定着してないな。

<1回目やったこと>:顔を見て名前とオンライン環境を確認、コメントを言ってもらって時間切れ。

① 名前とオンライン環境の確認。

② 簡単な自己紹介などのコメント。

<次回>は

① 簡単な自己紹介などのコメント。(まだの人がいたら)

② 配付資料の確認と解説→<②の説明>

③ 次回の授業予定、それ以降の授業予定、発表者の決定。→<③の説明>

④ 課題・課題図書解説→<④の説明>

⑤ トーイック→<⑤の説明>

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配付した資料一覧:①(B4表裏2)2020年度前期 工部1年 英語Ta1 (7) 、②(A4表1)自己紹介、③(A4表1)自己紹介用紙、④(B4表裏6)地図(The Hot Zone)/ Ebola virus returns~ / Ebola Outbreak (CNN) / Zaire in 1976 / Outbreak (1) / Outbreak (2) / Deadly Ebola virus ~ / Nature of the killer virus /  Zaire’s Turmoil~ / Pushing Kabila ~ / Music in Kenya ~ (表裏)、⑤ The colonization of Africa、⑥(B4表裏2)奴隷制度を詳細に~ / アフリカシリーズ / ODA (1) / ユッスー・ウンドゥール、⑦(B4表裏1)トーイックについて / TOEICテストについて / ⑧(B4表裏2)①8品詞と5文型 / ③副詞 / ④分詞(表裏)、⑨(A4表裏14)『金のフレーズ①~⑤』、⑩(A4表裏9)過去問Sample Questions

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<②の説明> 配付資料を見ながら確認と解説。まだ5人分部屋の前に残ってるけど。

<③の説明> 授業は、教養関連(④~⑥)とトーイック関連(⑦~⑩)を7対3くらいで進めようと思っています。最初は④⑤を使ってエボラ出血熱とコンゴを軸に、色々考えてもらえれば。発表もしてもらいながらいっしょにやってこ。参考ファイル(ファイル置き場)に置くファイルも実際に見てもらってダウンロードしてや。

僕が一方的にしゃべるのではなく、みんなが調べて発表したり、意見をたたかわせたり出来れば一番やと思っています。Zoomではグループワークも出来るし。④の1:Ebola virus returns~ / 2:Ebola Outbreak (CNN) / 3:Outbreak (2) の三つの発表です。1は要約か日本語訳、2、3は聞き取りです。聞き取りシートは資料の中に入れてあります。

<④の説明> ①を見ながら説明します。

<⑤の説明> ⑦~⑩を見ながら説明します。

(4) 2回目授業終了

<連絡事項>

*次回の3回目の授業→5月26日(火)10:15~11:30。

<2回目やったこと>:75分、短いなあ。全員に一言だけ言ってもらうのも結構時間かかるもんね。

① 簡単な自己紹介などのコメント。誰も話をしてもらってなかったんで時間がかかったねえ。いろんなところから来てるんやなあ。移動して、引っ越しもして、大変な思いやったね。それだけに、授業を始められてよかった、ほんまに。

② ブログ、ホームページの紹介

③ 配付資料の確認と解説→少ししか出来てないので、次回に詳しく。

④ 新聞記事(関谷くん)とニュース(藤川くん)の発表者決定。

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配付した資料一覧:①(B4表裏2)2020年度前期 工部1年 英語Ta1 (9) 、②(A4表1)自己紹介、③(A4表1)自己紹介用紙、④(B4表裏6)地図(The Hot Zone)/ Ebola virus returns~ / Ebola Outbreak (CNN) / Zaire in 1976 / Outbreak (1) / Outbreak (2) / Deadly Ebola virus ~ / Nature of the killer virus /  Zaire’s Turmoil~ / Pushing Kabila ~ / Music in Kenya ~ (表裏)、⑤ The colonization of Africa、⑥(B4表裏2)奴隷制度を詳細に~ / アフリカシリーズ / ODA (1) / ユッスー・ウンドゥール、⑦(B4表裏1)トーイックについて / TOEICテストについて / ⑧(B4表裏2)①8品詞と5文型 / ③副詞 / ④分詞(表裏)、⑨(A4表裏14)『金のフレーズ①~⑤』、⑩(A4表裏9)過去問Sample Questions

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<次回>は

① 名前の確認、自己紹介(まだの人がいたら)。出席になってますかという問いあわせもあるんで、確認のために名前を呼ばせてもらってもええかな。

② On Ebola & Cong in English・・・発表の前に全般の事情を英語で。

European invasion→Slave trade→Industrial Revolution→Colonization→Struggle for Africa→African Division at Berlin Conference→Congo Free State→Two world wars→Independence/ Congo crisis→Mobutu dictatorship→1976 Ebola outbreak→1995 Ebola outbreak→After Mobutu dictatorship

資料⑤The Colonization of Africa(アフリカの植民地化)をさっと読んでおくとわかりやすいと思います。英文のアフリカの入門書を書きましたが、その英文書の1冊目の1章です。

日本語訳役に立ちましたよ、と言った梶原さん(京大で初期研修2年目)の言葉が印象に残ってるので、読んだあと、日本語訳を載せるつもりです。誰か日本語訳せえへんか、添削するでと言ったら、結構な人がやってくれました。それを清書したものです。

③ 新聞記事(関谷くん)とニュース(藤川くん)の発表。

映像・音声ファイルは参考ファイルにアップロードしてるんでダウンロードして使ってや。

時間があれば

④ 資料の解説の続き。資料まだの人が5名。

⑤ 資料⑦~⑩を見ながらトーイックの説明。

今日も時間がなくて触れられなかったけど、次回はウェブ上のフリー辞書も紹介するつもりです。すでに使ってる人もいると思うけど、まだの人は、お気に入りに入れとくとええと思います。役に立つよ。Websterは音も聞けるしね。ま、アメリカ英語やけど。

発音:ウェブ上のフリー辞書のアドレス

「Merriam-Webster」(英英、米)

「英辞郎 on the WEB」(和英・英和)

「Dictionary of Contemporary English」(英英、英)

(5)3回目授業終了

<連絡事項>

*次回の4回目の授業→6月2日(火)10:15~11:30。

<3回目やったこと>:75分、やっぱり短いねえ。

① 名前の確認、自己紹介(まだの人少し)。出席になってますかという問いあわせもあるんで、確認のために名前を呼ばせてもらうことにしました。顔も確かめたいしね。

② 資料⑦~⑩を見ながらトーイックの説明。名古屋大の博士課程にいる寺井くんの話もしました。本気で早目に準備しようと思ってる人で、コピーの要るときはいつでもどうぞ。実際のやり方とか、やってて聞きたいことがあったら、たぶん力になれると思うよ。遠慮なく、いつでも。

③ 新聞記事(関谷くん)途中で時間切れ。

<次回>は

① 名前の確認

② 新聞記事(関谷くん)の続き。

③ ニュース(藤川くん)の発表の前に、On Ebola & Cong in English・・・発表の前に全般の事情を英語で、とCNNにListening Comprehension Practice。ニュースを聞いての英問英答をやるんで、答えてや。間違って覚えるもんやから、たくさん間違ってや。

④ ニュース(藤川くん)の発表

⑤ 1:コンゴ、2:1995年のエボラ出血熱騒動、3:1976のエボラ出血熱騒動、4:コンゴの独立・コンゴ動乱、5:コンゴ自由国について調べて発表してもらおうと思ってるんで、誰かやってや。政治や歴史や社会背景を知らないと理解できないと思うんで。

そのあと「アウトブレイク」とか、映像を見てもらおうと思っています。

ウェブ上のフリー辞書も紹介せなあかんな。

発音:ウェブ上のフリー辞書のアドレス

「Merriam-Webster」(英英、米)

「英辞郎 on the WEB」(和英・英和)

「Dictionary of Contemporary English」(英英、英)

(6)4回目授業終了

少し前に九州南部は梅雨入りようで雨がちな日が続いてるね。オンラインだから家でもやれるんやけど、授業でも話したように、大きな声を出すと猫にも奥さんにも悪いんで、木花の部屋まで行ってます。あした水曜日はすでに対面が始まっているんで、1コマ目から医学科1年生の授業で医学科に。朝が早いと今日もあしたも、なかなかきつねえ。雨が降ると合羽を着なあかんのやけど、蒸せるもんな、この時期。

庭の紫陽花が咲き出してて、今年はきれいな花をつけてるなあ。

小島けい画

<連絡事項>

*次回の4回目の授業→6月9日(火)10:15~11:30。

<4回目やったこと>:75分、やっぱり短い。

① 名前の確認。医学科の対面で気が付いたけど、対面やとマスクをしてるから顔がようわからんねえ。かえってZoomの方が顔と名前が早う覚えられそう。みんなもそれぞれの顔が見えるんやろ。

それと昨日気付いたんやけど、庭の胡瓜がなり出して人にもらってもらおうと思ったけど、Zoomでは胡瓜は送れんな。いい面も悪い面も含めて、今やれることをするしかないか。

② 発表してくれる人を決めました。すんなり決まってよかったねえ。発表、楽しみにしています。1:コンゴ(徳永くん)、2:1995年のエボラ出血熱騒動(浦川くん)、3:1976のエボラ出血熱騒動(上赤くん)、4:・コンゴの独立・コンゴ動乱(山田くん)、5:コンゴ自由国(黒木くん)

③ 新聞記事(関谷くん)、また途中までで時間切れ。たくさん読むにはどうするか、辞書なんか引いてたら読まれへんで、みたいな高校の教員や大学院で修士論文を書いてた時の話をしました。結局は自分でせなあかん、そういうことが言いたかったんやと思います。それから、出席なんかで縛られてたらあかん、知的な好奇心を満たせるところが大学やねんから、大切にせなあかんで、ということも。特に、対面で当たり前に受けてた日常が当たり前やない時期にこそ、与えられた環境が恵まれたものやと考えてみるいい機会なんちゃうやろか。

後の方にやった所の日本語訳を貼っとくんで、参考にしてや。誰かやらへんかと言ってやってくれた人の日本語訳を添削して清書した分です。文型、句や説の解説も少々。必要になった時に文法をチェックするのも今になっては効き目あると思うよ。時々解説はするけど、希望があれば授業中でもいつでも遠慮せんと聞いてや。わからん時は人に聞く、大切なことやから。→日本語訳

要約やなくて、日本語訳やったね。関谷くんは大体わかっててしっかりと準備してくれてたな。最初でもあるし、英文を見ながらわりと細かいところまで、僕も補足や解説をしました。文字を追って英文を理解しても、実際にはコンゴについても、歴史や政治の流れについてもほとんど知らないわけやから、この新聞記事やニュースをもっと理解するためにいろいろみんなに調べてもらおうと思いました。色んなことを考える機会にしてもらえると嬉しいです。

本当は普段やと必要な新聞記事など土日で印刷して教室に持って行くんやけど、今回は取り敢えず連休明けの説明会に間に合うように最低限のプリントしか用意出来なかったんで、この土日にでもエボラやコンゴに関する日本語の新聞記事などを印刷して部屋の前に置いとくつもりやけど、取りに行けるやろか。どうしても取りに行けない人は連絡してや。

<次回>は

① 名前の確認

② 新聞記事(関谷くん)の続き。

③ CNNのListening Comprehension Practice。英問英答をやるんで、答えてや。

④ ニュース(藤川くん)の発表

⑤ 発表:コンゴ(徳永くん)→1995年のエボラ出血熱騒動(浦川くん)→1976のエボラ出血熱騒動(上赤くん)→コンゴの独立・コンゴ動乱(山田くん)→コンゴ自由国(黒木くん)

そのあと「アウトブレイク」とか、映像を見てもらおうと思っています。

日本語訳

“Ebola virus returns Zaire into world’s spotlight”

Reuter (sic) in The Daily Yomiuri (May 16, 1995)

The Ebola virus outbreak in Zaire has refocused attention on the vast nation of 40 million people in the heart of Africa that has lurched from one crisis to another since independence from Belgium in 1963 (sic).

The virus, for which there is no known cure or vaccine, has killed at least 64 people.

Many Zaireans are openly angry at the government of President Mobutu Sese Seko, who has ruled unchallenged for most of the past 30 years and, according to critics, salted a way (sic) a personal fortune estimated in billions of dollars.

ザイールでエボラウィルスが発生して、1963年(原文のまま)のベルギーからの独立以来、数々の危機に揺れ動いて来た中部にあるアフリカ4000万人の広大な国に再び注目が集まりました。

治療薬もワクチンも知られていないウィルスは少なくとも64人の死者を出しました。

批評家によれば、多くのザイール人が過去30年間無投票で当選し、不正にためこんだ個人の資産が数十億ドルにのぼるといわれるモブツ・セセ・セコ大統領の政府に公然と腹を立てています。

Opposition commentators and independent journalists blame the frequency of epidemics and lack of resources to deal with them on corruption and mismanagement of the wealth of a country blessed with just about every strategic mineral known to man.

“Mismanagement of public resources that leads to poor management of the environment create opportunistic factors for the birth and spread of epidemics," lamented an editorial in the opposition newspaper Le Palmares.

“Health facilities are in a deplorable state. We have been heading for disaster for a long time," Lambaert Mende, spokesman for Zaire’s chief opposition leader Etienue Tshisekedi said.

反対派の批評家やフリーのジャーナリストは、流行病が頻繁に起こるのも、取り扱う資源が不足するのも、既知のあらゆる戦略的に重要な鉱物資源に恵まれている国の富の管理ミスと賄賂のせいだと指摘しています。

「環境の管理不備に繋がる、公共資源の管理ミスが日和見的な要因を作り出して、流行病を発生させたり、広げたりしている。」と反対派の新聞ル・パルメール(Le Palmares)の社説は嘆いています。

「医療関係施設は悲惨な状況です。私たちは長い間、大災害が起きてもおかしくない方向に向かって進んできました。」とザイールの野党指導者エティニュエ・ツィセケディ(Etinue Tshisekedi)のスポークスマン、ランバエルト・メンデ(Lambaert Mende)は言いました。

(7)5回目授業終了

発表の準備をしてくれてた浦川くん、上赤くん、山田くん、黒木くん、ごめんなさい。次回はエボラ・コンゴも終わって、映像を見てもらえそう。前期しか授業がないので、アフリカ系アメリカの話もしたいし、音楽も聴いてもらいたいし、トーイック関連も過去問や例文も少しはやっとくつもりやけど、どれくらいやれるかな。

日曜日に行って追加の資料を研究室の前に置いてるけど、取りに行き難そうなら、画像で送るよ。12枚分、メールで送れる容量にしてるんで、遠慮なく。

<連絡事項>

*次回の6回目の授業→6月16日(火)10:15~11:30。

<5回目やったこと>

① 新聞記事(関谷くん)の続き。体調が悪かったんかな、都合があったんかな、待てないで僕がやってしまったけど、諒承のほどを。→日本語訳

② ニュース(藤川川くん)の発表→transcription

きちんとやって来てくれてありがと。わからないところなどがはっきりしてるのは、きちんとやったからやと思う。

③ 発表:コンゴ(徳永くん)途中

コンゴについて、わかりやすかったね。途中で時間切れになったんで、申し訳なかったです。

ウェブだけの情報やと、アメリカの大きな介入があったことはなかなか理解しにくいので、映像とかで補充して、背後に潜む真相について考えてもらうきっかけになると嬉しいけどね。歴史を誰も見たものはおわんわけやし、それをどう捉えるかは各個人の問題やから。

<次回>は

① 名前の確認

② コンゴ(徳永くん)残り

③ 1995年のエボラ出血熱騒動(浦川くん)

④ 1976のエボラ出血熱騒動(上赤くん)

⑤ コンゴの独立・コンゴ動乱(山田くん)

⑥ コンゴ自由国(黒木くん)

時間があれば、映像:「アウトブレイク」、「ER]、「アフリカシリーズ」

① B4表裏6 魅惑の資源 / 誰も守ってくれない  / 「アフリカ大戦」再燃に目を  / ジンバブエ インフレ年2億~  /  コンゴ 反政府軍と~ / エボラ出血熱 アンリカを~  /  エボラ最前線の現実上 /  エボラ最前線の現実下 / 性暴力被害の~  /  無差別暴力~ / エボラ出血熱 続く闘い  / Looking back in Anger

コンゴ・エボラについての日本語の新聞記事はこれと思ったのを取っておいた分です。「ジンバブエ インフレ年2億~」は記事で読んだインフレ率のイメージを感じてもらえたらと。

日本語訳

“Ebola virus returns Zaire into world’s spotlight”

Corruption has eaten deep into the fabric of Zairean society and government and even quarantine measures announced to keep the Ebola virus from the capital of five million people are being undermined by bribery, Kinshasa city officials say.

Public workers are owed several months salary and bribery has become a way of life.

The virus is stretching Zaire’s decrepit medical services, already hard pressed, to cope with the scourge of AIDS, which has hit Zaire harder than most countries.

賄賂はザイールの社会と政府に深く染み込んでおり、500万人が住む首都をエボラウィルスから守るために発令された隔離手段でさえも賄賂がきく有様です、とキンシャサ市職員が言います。

公務員は何ヶ月分もの給料を払ってもらえず、賄賂は生活の一手段となってしまっています。

ウィルスはザイールの老朽化した医療機関に広がっており、医療機関はたいていの国よりも激しくザイールを襲っているエイズ禍の対応追われています。

Zaire’s political problems began early: Katanga, which today is the mineral-rich province of Shaba, made a disastrous attempt at secession, 11 days after independence from Belgium. It was forced back after three years of bloody conflict.

The second largest country in sub-Saharan Africa. Zaire has rich farm and watered by the Zaire river, formerly River Congo.

The country is blessed with some of the best copper deposits in the world but the engine of its economy, the state mining collosus Gecamines, has virtually ground to a halt."

Copper production dropped from a peak of 500,000 tons to under 50,000 tons in 1994. Cobalt production slumped too.

The government has dissolved three core companies in the Gecamines group and not said what will become of the state company, which generates over 70 percent of its hard currency.

ザイールの政治の問題は早くに始まりました。鉱物の豊かな現シャバ州であるカタンガ州はベルギーから独立した11日後に、不幸な結果に終わった分離工作が謀られました。その分離工作は血まみれの闘争の3年後に強行されました。

サハラ以南のアフリカで2番目に大きい国ザイールには豊かな農場があり、旧コンゴ川のザイールの川から水の恵みを得ています。

その国は世界でも有数の銅の埋蔵量を誇っていますが、経済のエンジンである国営巨大鉱山会社ゲカマイン(Gecamines)は、事実上操業を停止しています。

1994年には、銅の製造量は最盛期の50万トンから5万トン以下にまで落ち込みました。コバルトの製造量も同じようにひどく落ちみました。

政府はゲカマイン(Gecamines)グループの中の3つの中心会社を解散させ、硬貨の70パーセント以上を製造する国営会社の先行きについては言及していません。

The World Bank, International Monetary Fund and creditors led by former colonial power Belgium abandoned Zaire long ago.

With inflation running close to five digits, the government has periodically reverted to printing mountains of worthless money.

The capital Kinshasa is still recovering from waves of looting by unpaid soldiers in 1991 that forced France and Belgium to send troops to evacuate Europeans.

The United States, which propped up Mobutu during the Cold War as a bulwark against communism in Africa, has been at the forefront of pressure for democracy in Zaire.

世界銀行も国際通貨基金も旧宗主国ベルギーが仲立ちをする債権者たちも、ザイールをずっと以)前に見捨てています。日本語訳もつけときます。

インフレ率が5桁近くなりつつあるインフレで、政府は定期的に価値のない紙幣を山のように印刷するようになっています。

首都キンシャサは、ヨーロッパ人を退去させるための軍隊派遣をフランスとベルギーに強いた、給料を払ってもらえない兵士たちによる1991年の数々の略奪行為から何とか立ち直ろうとしているところです。

アメリカは、冷戦の間アフリカで共産主義に抗する防波堤としてモブツを支援してきましたが、今は最前線に立って、ザイールでの民主主義を求めて圧力をかけています。

transcription 日本語訳もつけときます。

Ebola Outbreak エボラ騒動

(CNN) ケーブルネットワークニュース

In Zaire the deadly Ebola virus has claimed more than one hundred lives. At least thirty six more are infected with the disease. And Gary Striker reports the source of Ebola still eludes scientists:

ザイールでは致死的なエボラウィルスによって百名以上の死者が出ました。少なくとも更に36以上がその病気に感染しています。ゲイリー・ストライカーは、科学者にもいまだに原因が解っていないと、次のように報告しています。

“A thousand kilometers north of the Ebola outbreak, Zaire’s President Mobutu visits the town of Gimena. He arrived here from the capital where the population faces the threat of an epidemic, now less than two hundred kilometers from Kinshasa. For the people here Ebola seems very far away, too far they would say to affect their lives. But until last month the world’s only Ebola victims were found in this remote region. For nearly twenty years the only known outbreaks of Ebola have been reported here in northern and neibouring Sudan. But the latest epidemic in the southwest has convinced many scientists that Ebola virus is probably lying dormant over wide area of tropical Africa. What scientists do not know is where to find the virus between human epidemics. When it flares up apparently from nowhere, spreads and kills its victims quickly, then disappears just as fast."

エボラ騒動のあった場所より千キロ北部にあるギメナの町をザイールのモブツ大統領が訪れています。キンシャサから二百キロも離れておらず、今現在疫病の危機に直面している首都からこの町に到着しました。ここの住民にはエボラはまったく遠くの出来事のようで、余りにも遠く離れているのでまったく生活に影響はないと言えそうです。しかし先月までは、エボラの犠牲者が出たのはこの遠く離れた地域だけでした。ほぼ二十年間でエボラウィルスの発生が報告されたのは隣国スーダンとの境の北部のこの辺りだけです。しかし、南西部で発生した最近の疫病で多くの科学者はエボラウィルスはあそらく熱帯アフリカの広い範囲で至る所に潜んでいると確信を持ちました。科学者に解らないのは疫病が流行るたびにどこでウィルスを見つければいいのかということです。どこかはっきりしない場所からわーっと広がって蔓延して犠牲者を出しては素早く、できるだけ早く消えてしまいます。

“People speculate whether plants, animals, insects or whatever we don’t know. That’s what we really would like to know."

「人々は植物か動物か昆虫か私たちの知らないものが原因だと思っているようですが、それは私たちが本当に知りたいと思っているものです。」

“Somewhere in this fertile and forested region the Ebola virus is carried by an animal or insect or maybe even a plant. A vector organism carries the virus without harm to itself eventually passing it to a human victim. Finding the vector for Ebola will be a major step in understanding the virus and eventually finding a way to save the lives of its victims. The first priority now for the international medical team in Kikwit is to contain the Ebola outbreak. Beyond that a long process of investigation and analysis lies ahead. Months and probably years of field work to track down the virus on its homeground. A mission, President Mobutu says will have to be financed by other countries, not his. But this is an era of budgets cutbacks for science. And even if money is available for research on Ebola, finding out where it hides and how to kill it could still be at the far end of a very long road. Gary Striker, CNN, Gimena, Zaire."

この豊かな森林地帯のどこかに、エボラウィルスは動物か昆虫か、あるいは植物によって運びこまれて来ています。病気の媒介生物が自分自身は被害を受けないでそのウィルスを運び、実際に人間の犠牲者にそれを伝染させます。エボラの媒体生物を発見することが、ウィルスを理解し、実際に犠牲者の命を救うための大きな歩みになるでしょう。キクウィットの国際医療チームが今一番しなければいけないのは、エボラの発生を抑えることです。そのあと、調査や分析の長い過程が先に待ち受けています。何ヶ月も、おそらく何年もかけて現地調査を行ない、ウィルスが発生した土地でウィルスを追跡しなければなりません。特別任務を請け負う人たちは自分ではなく、他の国から財政支援を受けることになるだろうとモブツ大統領は語っています。しかい今は科学予算の削減の時代です。たとえエボラの研究に予算がついたとしても、ウィルスがどこに潜んでいるのか、ウィルスを如何に撃退するのかの解決策を見いだすのは、道の遙かにかなたの話になりそうです。ケーブルネットワークニュースのゲイリー・ストライカーが、ザイールのギメナからお伝えしました。

(8)6回目授業終了

<連絡事項>

*次回の7回目の授業→6月23日(火)10:15~11:30。

授業

① 発表:コンゴ(徳永くん)残り、1995年のエボラ出血熱騒動(浦川くん)、1976のエボラ出血熱騒動(上赤くん)、コンゴの独立・コンゴ動乱(山田くん)

それぞれ調べてくれてありがとう。いろいろコンゴやエボラについての情報が増えたと思います

アメリカの介入で惨殺されたルムンバ(小島けい画)

この辺りについては、コンゴとエボラ関連で科学研究費を申請した前後に書いてまとめたのがあります。コンゴとエボラでは科研費はもらえず。エイズ関連で2度(通算7年間)もらって、コンゴとエボラはそれ以上やらなかったけど、授業では継続中。

「医学生と新興感染症―1995年のエボラ出血熱騒動とコンゴをめぐって―」「ESPの研究と実践」第5号(2006年)61-69頁。

次回

① コンゴ自由国(黒木くん)

② 映像:「アフリカシリーズ」の独立・コンゴ危機、コンゴ自由国、「アフリカシリーズ」の「植民地分割」

③ 感想・コメント・意見など。

トーイックについて

地域資源創成学部がトーイックの学内試験の中止予定を覆して、オンラインテスト受験を決定(学生にも実際に英語を担当している教員にも連絡なし)したんで、先週はZoomトーイックの準備で、前7クラスのブログも書けないほど追いまくられました。

結局、Zoomトーイックを金曜日に時間外で実施、10時からRa1 (2)とRb1 (3) クラスの合同20人ほどで、2時間半。問題・解答をやってもらって僕が解説。

前日にやっと「Zoomトーイック2解説」、「Zoomトーイック2音声」、「Zoomトーイック2です。」(Vol 6 Test 2の五分の一ほど)を完成。

みんなには希望を聞いて、希望者がいるなら、時間外での実施も考えます。火曜日に聞くね。

地域の対応には、に学生一人一人のこと考えてへんなという思いしかないけど、学部でも説明会を実施、医学科では対面をすでに4週間実施、部活動も開始、の状況からすれば、可能かも。でも、オンラインに関してももっとやることをやってかから、やっぱりもう少し延期が妥当、と思う。

ただ、受験をしないといけない立場からすれば、(お互いに)文句だけ言ってても時間を大事にしてるとは言えないんで、(僕が)割り切って、折角の機会を利用せんと馬鹿みたい→急遽過去問を作り・Zoomトーイック(金曜日の分)を実施。

みんなには予定通り、コンゴ・エボラが一段落したら、サンプル問題をやる予定です。

紫陽花(小島けい画)もそろそろ終わりかなあ。

(9)7回目授業終了

<連絡事項>

* 次回の8回目の授業→6月30日(火)10:15~11:30。

* 前期は14回、課題提出は1週延期で7月28日。

授業

① 予定の確認↑

② 「ER]→ERIX6B・X

③ 授業や自粛期間の生活やオンライン授業についてのコメント、感想など。(数森くん、篠原さん、押川くん、石川さん、浦川くん、山田くん、杉田さん)

トーイックについて

次々回に、配ってあるサンプル問題をやったと、時間外のZoomトーイックを希望する人がいるかを聞くんで、希望者は授業後の再度入室して意思表示してや。希望者がいれば、時間を決めて(たぶん土曜日の午前中くらいに)やってもいいと思っています。参考ファイルに「Zoomトーイック2です。」(Vol 6 Test 2の五分の一ほど)を置いてるので、参考にしてや。Zoomトーイックの希望者がいたら、実施後、「Zoomトーイック2解説」、「Zoomトーイック2音声」を参考ファイルにアップします。

次回

① コンゴの音楽を1曲→【リンガラ音楽】Papa Wemba

② 感想・コメント・意見など(続き)

③ 映像:(時間があれば)「アウトブレイク」、「アフリカシリーズ」のコンゴの独立・コンゴ危機、コンゴ自由国、植民地分割→「アウトブレイク」、「アフリカシリーズ」

 

ERIX6B・X

* IX6『悪夢』(授業で観た分)・・・国際医療同盟の活動に参加していたコバッチュに助けを求められ、アフリカ・コンゴ共和国の難民キャンプでの医療支援活動に参加する。

* X1『失われた友を求めて』・・・強い意思でコンゴの激戦区に残ったコバッチュが死亡したとの連絡を受け、彼を残してきてしまった罪悪感から再びコンゴに飛び、コバッチュの生存を確認し彼をアメリカへ送った後も、自分の居場所と使命を見出しコンゴに留まる。→いつでもコピーするんで、どうぞ。

【リンガラ音楽】

36歳で医科大に入って来てすぐに友だちになった服部晃好くん(北海道新冠郡の新冠町立国保診療所→http://www.niikappu.jp/kurashi/sekatsu/sumai/teijyu/iryo/kokuho.htmlの勤務医)に頼んで頼んで【ケニア、タンザニアの音楽事情とリンガラ音楽について】を書いてもらいましたが、その中に次回聴いてもらうPapa Wembaについても書かれています。一部載せときます。

退職の年にいっしょに医学部でシンポジウムをした時の写真です。

【リンガラ音楽】

「リンガラ」という呼び方は、ケニア、タンザニアなど「外国」(日本を含む)での呼び方であり、コンゴでは単に「ルンバ(Rumba)」と呼ばれる。また、欧米では「リンガラ」よりも「スークース(Soukous)」という名称の方が一般的である。元々、リンガラというのはコンゴの商用語のことであり、コンゴ川流域にそれぞれ独自の言語を持つ民族が多数共存する状況において、特に商取引の便宜を図るために自然発生的に形成されたものと言われている。1960年のコンゴ共和国の独立後、現地で流行したポピュラー音楽の多くがリンガラ語で歌われるようになったため、ケニアやタンザニアなどでは、そうした音楽を「リンガラ(音楽)」と呼ぶようになったのである。

地元(コンゴ)の人々が「ルンバ」と呼ぶように、リンガラ音楽のルーツにはキューバ音楽がある。ただし、これは何も「リンガラ」に限ったことではなく、ナイジェリアの「ジュジュ(Ju Ju)」、ガーナの「ハイライフ(High Life)」、カメルーンの「マコッサ(Makossa)」、そして、ユッスー・ンドゥールやサリフ・ケイタの音楽等々、現代アフリカン・ポップスのベースには、たいていキューバをはじめ中米やカリブの音楽の影響があるという。「(伝統的な音楽を持つ)アフリカ人がなぜキューバ音楽を?」と不思議に思ってしまうが、キューバで生まれた本来のルンバは、アフリカから強制的に連行された奴隷たちが、休憩時間にだけ小屋で踊ることを許されていたという状況の中で生み出された、打楽器と歌(コーラス)だけで構成された(いわゆるアフリカ色の強い)音楽であるということを考えると、アフリカの人々がキューバ音楽を取り入れるのは至極当然のことであろう。キューバやカリブ諸国の(いわゆる)ラテン系音楽は、1920年代から主として白人入植者によってアフリカへ持ち込まれたが、1950年代半ばにはヨーロッパからアフリカに輸入されるラテン音楽のレコードが、コンゴを含む中部・西部アフリカにおいて非常に売り上げの大きい重要な商品であったということから、現地の人々にとってこうした(ラテン)音楽の衝撃が如何に強烈だったかが想像できる。その衝撃は、目新しい衣装をまとって突然目の前に現れたのが、実は音信不通になっていた古くからの友人であったことを知った時のようだったのかもしれない(ちなみに、この時期、ヨーロッパの大手レコード会社が次々に現地へ進出し、キューバやアメリカで既に発表されていた音楽を低コストで再生産・再発売することで、莫大な利益を上げていたという)。

現在、一般に「リンガラ」と呼ばれている音楽は、キューバン・ルンバをベースにしながら様々な民族のリズムを融合したリズム体の上に、複数のエレキ・ギターによる高音域の繰り返しフレーズが絡み合い、主に高音域で歌うヴォーカルとコーラスが載るというのが最も一般的なスタイルであり、多くの楽曲は、①ルンバ、②サカデ(Sakade)、③セベン(Sebene)という3つのパートから構成されている。①ルンバは歌やコーラスを聴かせるゆったりしたパート、②サカデはソロ・ヴォーカルとコーラスの掛け合い(コール&レスポンス)で盛り上げていくパート、そして、③セベンはダンスのためのテンポの速いパートであり、ライブでは5分、10分と続くことも珍しくない。それぞれのパートは、同じようなリズムやリフレインの繰り返しが基本であり、「リンガラ」の目的が踊ることにあるのが一目(一聴?)瞭然である。ライブにおけるヴォーカルの掛け合いやセベン・パートでのダンスは、初めて見る人にはかなり奇異に写るかもしれないが、現地では聴衆も一緒になって盛り上がるのが普通である。そして、こうした構成はまさに伝統音楽を現代の楽器を用いて再現したものであり、夜を徹して延々と繰り返しながら盛り上がり、集団でトランスに入っていくような要素も伝統音楽と同様であるように思われる。ただ、1960年代までの初期(いわゆる第一世代や第二世代)の「ルンバ」は、ゆったりとしたキューバン・ルンバのカラーが強く、楽曲も歌が中心であった。それを上記のような主としてダンスを楽しむための音楽として変革したのが、1969年に結成されたザイコ・ランガ・ランガ(Zaiko Langa Langa)であり、現在のリンガラもその延長線上にあると言える。そして、そのザイコ・ランガ・ランガの中心人物であり、現在も「リンガラ」のシンボル的存在であるのが、欧米や日本でも有名なパパ・ウェンバである。

近年のコンゴの混乱を反映してか、現在のコンゴのリンガラ・シーンは1970~80年代の全盛期に比べてずいぶん沈滞しているという。しかし、ラップの要素なども取り入れた新たなスタイルも生み出されており、特に中部・東部アフリカにおいては依然として最も影響力の強い音楽であることは間違いない。

パパ・ウェンバ Papa Wemba<リンガラ・ポップの伝道師>

中央アフリカに位置するザイールからアフリカ各地へと広まっていったリンガラ・ポップ、このサウンドをアフリカからヨーロッパへ、そして世界中へと広めていった伝道師の役目を果たしたのが、ヴィヴァ・ラ・ムジカを率いて何度も日本を訪れているパパ・ウェンバです。彼はミュージシャンとして、ザイールの音楽シーンを引っ張っただけでなく中央アフリカ最大の都市キンシャサという大都会に住む若者たちのファッション・リーダー、トレンド・リーダーとして、そのライフ・スタイルにまで影響を与える存在でした。そのサウンドは都会の文化、ストリートから生まれた数少ないアフリカン・ポップスと言えます。

「アフリカシリーズ」

「アフリカシリーズ」8巻

授業で紹介している英国人歴史家バズル・デヴィドスンが案内役のNHKのドキュメンタリー番組「アフリカシリーズ」1~8(各45分)、1983年制作。第1部は西洋諸国の侵略が始まる以前おアフリカ。第1回「最初の光 ナイルの谷」、第2回「大陸に生きる」、第3回「王と都市」、第4回「黄金の交易網」。第2部は西洋諸国の侵略が始まった頃から1980年頃まで。第5回「侵略される大陸」、第6回「植民地化への争い」、第7回「沸き上がる独立運動」、第8回「植民地支配が残したもの」。奴隷貿易で暴利を得た西洋諸国がその資本で産業革命を起こし、作った製品の市場獲得のためにアフリカ争奪戦を繰り広げ、結果的には2つの世界大戦を引き起こしたあと、大戦後は戦略を変え、「開発」や「援助」の名のもとに、国連や世界銀行などに守られながら新しい形の支配体制(新植民地体制)を築き上げている歴史を概観している。映像化されてないので、今となっては、極めて貴重な映像。

「アウトブレイク」

アウトブレイク (Outbreak) は1995年制作のアメリカ映画。アフリカからアメリカに持ち込まれた非常に致死性の高いウィルスに立ち向かう人々を描いたサスペンス。

1967年、アフリカで内戦に参加していたアメリカ軍の部隊が原因不明のウイルス感染で全滅状態となった。軍は隠蔽のため部隊のキャンプを気化爆弾で消滅させた。

そして現在、アフリカの小さな村が原因不明のウイルス感染で全滅状態となった。CDCのダニエルズ大佐の調査で、正体が判明した。

そんな折、アフリカから一匹のサルがアメリカに密輸入された。密売人のジンボは、町のペットショップに売りつける事に失敗し、やむなくサルを森に放した。その後、そのサルに関わった、ジンボや周辺の人々が原因不明のウイルス感染で次々と死亡。感染が広まったシーダークリークという町は大混乱に陥った。ダニエルズは調査を進めていく中、原因不明のウイルスの謎に迫っていく事となる。

一部は観てもらうつもりやけど、観たい人はコピー、いつでもどうぞ。

(10)8回目授業終了

<連絡事項>

* 次回の9回目の授業→7月7日(火)10:15~11:30。(七夕なんや)

授業

① Papa Wemba

② 感想・コメント・意見など数人。

③ 「アウトブレイク」冒頭部だけ。

④ ザイール崩壊後のカビラ政権について新聞記事を少々解説:最初に配ったプリントのZaire’s Turmoil Invites an African SolutionとPushing Kabila on early election unrealistic、(追加で配った資料の中の)Looking back in Anger: Life in Mobutu’ Zaire

⑤ 西アフリカの音楽を紹介。→Youssou N’dour

Youssou N’dour

Youssou N’dour【ユッスー・ンドゥール】

西アフリカ、セネガルのミュージシャンで、現代アフリカ音楽最大のスターの一人。

1959年、首都ダカールのグリオ(古くから伝わる音楽や思想を伝承する語り部)の家系に生まれ、10代前半からプロとして活動を始める。1979年、自ら率いるバンド「エトワール・ド・ダカール」を結成。中南米(特にキューバ)の音楽にセネガルの伝統的なリズムを融合し、ウォロフ語(セネガルで最も広く話されている現地語)のヴォーカルをのせた「ンバラ」という洗練されたスタイルを打ち出しセネガルのスターとなる。80年代に入りフランスを中心にその実力が評価され、1984年には初のヨーロッパ・ツアーが実現。その途中、イギリス公演でピーター・ガブリエルと出会い、彼のソロアルバム(「SO」)及びアメリカツアーへの参加、WOMADフェスティバルという民族音楽の祭典などへの出演のほか、世界デビュー・アルバム「ネルソン・マンデラ」の発表、そしてポール・サイモンのアルバム「グレイス・ランド」への参加などによって、一気に世界中にその名が知られるようになる。その後、欧米のレコード会社から自身のアルバム(「THE LION」、「SET」、「eyes open」、「The Guide」、「Joko」)などを発表するとともに、スティングやブルース・スプリングスティーンら様々なアーティストのコンサートやアルバムにも参加し、その評価を不動のものにしている。日本にも1986年以降たびたび来日してコンサートを行っているほか、坂本龍一やDreams Come Trueなどともコラボレーションしている。(現在、ホンダ「ステップ・ワゴン」のCMでは、彼の歌う「オブラディ・オブラダ」(原曲はもちろんビートルズ)をバックに、「コドモト イッショニ ドコヘイコウ?」という彼のナレーションも流れているので、その声を聞いたことがある人も多いはず)

南アのアパルトヘイトを題材にした「ネルソン・マンデラ」の例を見るまでもなく、ユッスーの歌にはメッセージ性の強いものが多い。アフリカの民衆を食い物にしてきた先進国や自国の指導者達への批判、女性の解放、児童労働、環境問題、青少年の飲酒や覚せい剤汚染等々、現代のアフリカが抱えるありとあらゆる問題が彼の歌のテーマになっている。これについて彼は、「音楽には特別のパワーがあるが、メッセージを伝えるものでなければ意味がない。僕の母親は、物語を歌い聴かせるグリオだった。僕もグリオでありたい。それも、王や貴族のために語るグリオではなく、世界の人々にアフリカのことを語って聴かせ、教育やコミュニケーションの役割を果たす、身近でモダンなグリオになりたいんだ」と語っているが、そうしたメッセージを歌にのせるだけではなく、15年以上にわたってアムネスティ・インターナショナル、ユニセフ、UNAIDSなどの組織を支援する様々な活動にも協力しており、現在もILOの反児童労働キャンペーンの名誉大使に任命されている。

天性のヴォーカルとステージ・パフォーマンスの素晴らしさ、そして、こうした意識の高さを反映した歌と行動の力強さが、アフリカのみならず世界中の人々の共感を得る理由なのではないだろうか。(服部晃好)

 

次回トーイックのサンプル問題をやってみようと思うんで、readingの部分はやってみるといいと思います。参考ファイルのZoomトーイック2(過去問Vol 6の5分の1程度)も目を通してみてや。時間外にZoomトーイックの希望者がいれば、機会を作ろうと思っています。14回しか授業回数がないし、各時間15分短縮でもあるんで。(希望者は授業終了後、再度Zoomに入室してや。たぶん土曜日になると思うけど、予定を決めようと思っています。(9)のクラスで合同になると思います。)

前期の単位を認定するためには再試の日程の変更は出来ないので、授業開始が遅れても予定表に従って授業回数を減らし、課題を出すなりして補充するようにと言うことらしいけど、課題がぎょうさんあるそうなんで、僕は遠慮しとくね。Zoomトーイックをするのであれば、それをシラバスには書いときます。

(11)9回目授業終了

<連絡事項>

* 最初に配った『金のフレーズ①~⑤』の演習用シートで、印刷して研究室の前に置いてある資料の6つの元ファイルを参考ファイルに置きました。取りに行きにくい人はこのファイルをダウンロードしてや。(金ワード①_⑤日英、金ワード①括弧、金ワード②括弧、金ワード③括弧、金ワード④括弧、金ワード⑤S括弧)

* 今やっているサンプル問題の音声ファイル(サンプル問題①~④)も参考ファイルに置きました。

* 課題の提出日(問い合わせもあったんで):8月4日(火)までにWebclassでファイルを送って下さい。(ファイルの置き方は画面を共有して説明するね。Webclassで集めるのは初めてやけど、協力してや。)

* 課題の確認(問い合わせもあったんで):~が~であるという明確な仮説を立てて、客観的に、科学的に論証するエセイを書いて提出、課題図書は論証する際に参考として引用するものです。仮説を思いつかない時に課題図書を読んで考えるのも一つのやり方。どうしても論証文ができない時は、課題図書を読んでの感想文でも可。折角の機会なので、エセイを書くことを薦めます。

* 次回の10回目の授業→7月14日(火)10:15~11:30。

授業は

トーイックのサンプル問題(途中)

次回

* コメント(続き)

* 映像:「アウトブレイク」

* 発表:The colonization of Africa; Precolonial Africa(寺原さん)、西アフリカ(東くん)、トワレグ人(押川くん)

西アフリカを訪れたポルトガル商人イブン・バトゥータ

* 発表:The colonization of Africa; The first colonialists(杉田さん)

ポルトガル人に1505年に廃墟にされたタンザニア沖合の島キルワの復元図

* トーイックのサンプル問題(続き:Part 2 12から)

* (時間があれば)『金のフレーズ』①の100題。

Zoomトーイック(過去問Vol 6 Test 2の5分の1程度、Zoomトーイック2のワードファイルを参考ファイルにアップロード済み)、希望者が4人、今週の土曜日(7月7日)の10時から (時間外)Zoomトーイックをやる予定。今からでも希望する人は、遠慮なくどうぞ。(9)のクラスの人も参加するかも。よろしく、ね。

(12)10回目授業終了

<連絡事項>

* 課題提出確認:8月4日(火)の授業時までにWebclassで提出。

* 授業日程確認:

11回目→7月21日(火):The first colonialists(続き)、映像:「アフリカシリーズ」、サンプル問題(続き:Part 4から)、『金のフレーズ』①

12回目→7月28日(火):映像「ルーツ」、歌、『金のフレーズ』

13回目→8月4日(火):奴隷制、南北戦争、歌、『金のフレーズ』

14回目(最終回)→8月11日(火):まとめ

授業は

* (英語で)Precolonial AfricaとThe first colonialistsの解説。

* 発表: Precolonial Africa(寺原さん)、西アフリカ(東くん)、トワレグ人(押川くん)、The first colonialists(杉田さん、途中)→日本語訳Precolonial Africa、The first colonialists

きちんとやってくれてたね。日本語訳は、やっぱり時間がかかるね。難しい言葉が出て来ても、すぐに辞書で調べてたら読めるようにはならないので、前後や文脈を考えて考えるimaginary readingをするように習慣づけるといいね。一朝一夕には力はつかないけど、少しでもしていかな限り力がつくことはないからね。

* 課題提出日と残りの授業日程の確認

次回

* The first colonialists(続き)、映像:「アフリカシリーズ」

* トーイックのサンプル問題(続き:Part 2 12から)

* (時間があれば)『金のフレーズ』①の100題。

土曜日やったZoomトーイックの解説と音声のファイルを参考ファイルに置いてありますので、どうぞ。

もうあと4回、先も見えて来たなあ。何かばたばたと授業を始めて、週に7コマの授業をするだけでアップアップ、それでも何とかあと一月で一息つけるんやろか。

今日基礎教育の部屋で後期の学士力発展科目の話をしたんやけど、前期での受講者がやっぱり例年より少ないみたいやから、予定してた2つに加えて「南アフリカ概論」を3クラス(上限100人)を持つように手配しました。後期もオンラインの可能性が低くはないんで、成績をつけることも考え、責任を持てる範囲でと決めました。地域3クラス、工学部1クラスの英語を加えて7クラスです。

出来れば、最終の週までに成績をつけて、授業が終わったあとは、今回の感染症騒ぎで中断することになって小説を書き上げて、9月末の新人賞に応募出来ればええけどな。

日本語訳Precolonial Africa、The first colonialists

Africa and Its Descendants (アフリカとその末裔)

Chapter One: The Colonization of Africa(アフリカの植民地化)

PRECOLONIAL AFRICA 植民地化以前のアフリカ

Africa has been of great importance to the development of mankind. It has been found that the earliest beings able to make tools once lived in the Rift Valley in East Africa.

アフリカはこれまで人類の発展のためにとても重要でした。ごく初期の頃に道具を作るが出来た人たちが、かつて東アフリカのリフトバレー(大地溝帯)に住んでいました。

A big leap forward was taken when man learnt to sue iron for tools. Another big step was taken when cultivation started on a large scale. Large scale cultivation in Africa began in about 2000-3000 B.C. in both West Africa and Ethiopia.

人々が道具を作るために鉄を精錬するようになって、ひとつの大きな文明の飛躍がありました。大きな規模で耕作が始まって、更に飛躍を遂げました。約紀元前2000年から3000年頃、西アフリカとエチオピアの双方で、アフリカでは大規模な形での耕作が始まりました。

Between the years A.D. 700 and 1400 Europe developed rapidly. But for all this time European society was in many ways inferior to that of its African neighbours. Cairo was the foremost trade centre in the world and gold was used as the means of payment. Some of this gold was brought from West Africa, and some from Central Africa. The gold of Africa kept world trading going. World trade was stimulated by the spread of Islam. The gold from Zimbabwe was transported from the interior by Muslim middlemen to the African East Coast.

700年から1400年の間に、ヨーロッパは急速に発展しました。しかその期間の間も絶えず、ヨーロッパ社会は様々な点で、近隣のアフリカ諸国よりも劣っていました。カイロは世界の最大の貿易拠点で、金が支払いの手段として使われました。このとき使われた金は、西アフリカや中央アフリカからきたものもありあました。アフリカからの金が世界の交易を発展させ続けました。世界貿易はイスラムの広がりによって刺激を受けました。ジンバブエからの金はイスラム教徒の仲買人によって内陸からアフリカの東海岸へ運ばれました。

In West Africa, too, long-distance trade gave birth to new and powerful societies. The West African kingdoms were ruled by kings who appointed local noblemen to collect taxes from the peasants.

西アフリカでは、また、長距離貿易が、新しくて強力な社会を生み出しました。西アフリカの王国は王によって統治され、王に指名された地方の貴族が農民から税を集めました。

西アフリカの王国を訪れたポルトガル商人イブン・バトゥータ

Not only in West Africa, but also in Central Africa a centralized organization of society emerged on the basis of surplus production, trade and a growing population.

西アフリカだけでなく、中央アフリカでも、余剰生産と交易と人口増加を基礎にして、中央集権社会が現れました。

Parallel to the development of large kingdoms in Africa many groups of people learnt to control nature without kings and kingdoms. Their political systems may be called 'village rule.’

アフリカでは、大きな王国の発展と併行して、多くの人々の集団は王や王国なしに自然を制御するようになりました。その人たちの政治制度は “村落共同体支配” と呼べるかも知れません。

In Africa, as elsewhere, migrations of cattle-raising people took place when they had to find new pastures, and new places to live for a growing population.

アフリカでは、他の所と同じように、人口が増えて新たな牧草地を探し、生活するための新たな土地を見つけなければならなくなった時、遊牧民の移住が始まりました。

(小島けい画)

THE FIRST COLONIALISTS 最初の植民地支配を目論んだ人達

Portuguese adventures were the first Europeans to 'discover’ Africa south of the Sahara. The first voyages along Africa’s west coast were little more than an extension of the piracy. The Portuguese took away people from the coasts they plundered and brought them home as slaves. As yet slave trade and economic exploitation were on a small scale.

ポルトガルの探検家がアフリカサハラ以南のアフリカを最初に「発見した」ヨーロッパ人でした。アフリカの西海岸に沿った最初の航海は、海賊行為の延長に過ぎませんでした。ポルトガル人は略奪行為を行なった海岸地域から人々を連れ去り、奴隷として母国に連れて帰りました。しかしそれでも、奴隷貿易と経済的な搾取の規模は小さなものでした。

They started to buy gold directly at the coast. In time they also wanted to find a sea route to India. Their aim was to take away from the city-state of Venice their control over the profitable spice trade with the East Indies.

ポルトガル人たちは海岸線で、直接金を買い始めました。やがてはインドへの海上ルートも発見したいと望んでいました。その人たちの目的はベニスの都市国家から、儲けの多い東インドとの香辛料貿易の支配権を奪うことでした。

Portugal wanted to start trade by exchanging goods with East Africa. But the project failed as the goods that Portuguese had to offer were inferior to those of the East African tradesmen. The Portuguese seafarers and merchants then decided to achieve for themselves the East African trade monopoly by force. With their superior arms the Portuguese managed to destroy the East African civilization.

ポルトガルは東アフリカと商品を交換することによって貿易を始めたいと思っていました。しかし、ポルトガルが持っていった商品が東アフリカの貿易商人の扱う商品よりも劣っていたために、その目論見は失敗しました。その時、ポルトガルの船乗りと商人は、武力を使って自力で東アフリカの貿易を独占しようと決めました。ポルトガル人は、優れた武器を使って辛うじて東アフリカの文明を破壊することに成功しました。

In Western history Vasco da Gama, d’Almeida, and Tristan da Cunha have been estimated as 'great discoverers,’ but they were nothing but destroyers for Africans. A Germany who was present when d’Almeida destroyed Kilwa gives us the following eyewitness report:

“In Kilwa there are many strong houses storeys high. They are built of stone and mortar and plastered with various designs. As soon as the town had been taken without opposition, the Vicar-General and some of the Franciscan fathers came ashore carrying two crosses in procession and singing Te Deum. They went to the place, and there the cross was put down and the Grand-Captain prayed. Then everyone started to plunder the town of all its merchandise and provisions. Two days later the city was set on fire."

西洋の歴史では、ヴァスコダ・ガマやダルメイダやトゥリスタオ・ダ・クンハはこれまでずっと「偉大な発見者」として評価されて来ましたが、アフリカ人にとってその人たちは破壊者以外の何ものでもありませんでした。ダルメイダがキルワを破壊した時に立ち会ったあるドイツ人は、次のような目撃証言をしています。

「キルワでは2階や3階の高いしっかりとした家がたくさんあります。家は、石とモルタルと漆喰で出来ていて、様々な模様をしています。町が抵抗もなく占領されるとすぐに、司教総代理と何人かのフランシスコ会の神父が上陸をして、一列になって十字架を運び、賛美歌を歌いました。それからその場所に行き、十字架が降ろされ、総督が祈りをささげました。それから、その町の全ての商品と食料品を略奪し始めました。2日後、街に火をつけました。」

栄えていた商業都市タンザニア沖合の島キルワ、1505年廃墟に

(13)11回目授業終了

<連絡事項>

* 課題:8月4日(火)の授業時までにWebclassで提出。

* 授業日程確認:

12回目→7月28日(火)映像:「アフリカシリーズ」、サンプル問題(続き)、『金のフレーズ』①

13回目→8月4日(火):映像「ルーツ」、奴隷制、南北戦争、歌、『金のフレーズ』

14回目(最終回)→8月11日(火):まとめ(一人一人の感想やコメントが聞きたいです。)

* 希望者がいれば、前期試験が終わった頃から先ずは後期が始まる前、希望があれば定期試験終了後から9月末まで週一回くらいのZoomトーイック(公式TOEIC Listening & Reading 問題集2と3を編集しての過去問演習、前回希望者でやった要領で)につき合ってもいいと思っています。希望者はメールしてくれたら、Zoomの招待状を送ります。(人数にもよるけど、たぶん他の希望者と合同で)試験最終日が8月の20日くらいやろから、それまでに連絡してくれたら。一人でもメールが届いた時点から新Zoomトーイック(公式TOEIC Listening & Reading 問題集2と3を編集)の問題を作ります。

授業は

* 課題提出と授業日程の確認

* The first colonialists(残りを。杉田さん)、奴隷貿易で儲けた産業資本家と南部戦争の話を少々→日本語訳 The first colonialists(続き)

* 映像:「アフリカシリーズ」の1980年代のエチオピアの飢餓、BBC、Joan Baez: Amazing Grace、Paul McCartney: Let It Be、Do They Know Its Christmas?→LIVE、Paul McCartney

次回

* 映像:「アフリカシリーズ」(読んだ英文に沿って)

* トーイックのサンプル問題(続き:Part 2 12から)

* (時間があれば)『金のフレーズ』①の100題。

授業で、また。

二週間毎にマッサージをしてもらってる西口さんから、玉田さん、左脚の筋肉が少し落ちてますねと言われたんで、昨日は左脚に力を入れて三段変速の一番重いので坂道を立たないで2往復(一年のクラスが終わったあとお昼を食べに家に帰ってるんで)、今日は1往復、汗だくになったね。
日が落ちる頃に歩けるとえんやけど。70過ぎても筋肉はつくそうやけど、生きてるだけで、大変や。
一つ葉の砂浜ではしゃいでいた三太(ブログの名前の片われ)。最近木崎の浜で歩いてないけど、自転車で浜まで行って歩きたいねえ。冬の砂浜もええけど、夏はサーファーとは違う動きで砂浜を歩くのもそれなりに楽しいね。サーフィンの大会があると、警備員に締め出されるけど。
木崎浜から曽山寺浜にかけられた橋。総合公園からのマラソンコース。青島の旧パームビーチホテルのとこら辺まで。道は青島から、青島港まで続いてるけど。

日本語訳 The first colonialists(続き)

Africa and Its Descendants (アフリカとその末裔)

Chapter One: The Colonization of Africa(アフリカの植民地化)

PRECOLONIAL AFRICA 植民地化以前のアフリカ

The main interest of these first colonialists was in spices, cloth, gold, and ivory. They dominated the sea but on land only some narrow strips of the coast. Other countries soon began to compete with the Portuguese for the trade with the East; first the Dutch, then the English and the French gained control over this rich trade.

こうした植民地支配を目論んだ人達の主な関心は、香辛料と布と金と象牙でした。その人達は海を支配しましたが、陸では海岸線の岸の狭い僅かな地域を支配しただけでした。やがて他の国々も東洋との貿易を求めてポルトガルと競争をし始めました。最初にオランダ、次にイギリスとフランスがこの豊かな貿易の支配権を手にすることになりました。

The European conquest of South America suddenly changed the character and importance of the slave trade. With brutal force the prospering cultures of Peru, Bolivia and Mexico were stamped out by the Spanish conquerors and their silver and gold were stolen. Many Spaniards who set out for this Eldorado found no metals but settled as farmers.

ヨーロッパ人が南アメリカを支配したことで、奴隷貿易の特徴と重要性が一変しました。ペルー、ボリビア、メキシコの繁栄した文化はスペインの侵略者に力ずくで踏みにじらされ、金や銀が盗まれました。理想郷を求めて出発したスペイン人たちは金銀を見つけられませんでしたが、そのまま住み着いて農民になりました。

In 1518 a Spanish ship brought the first cargo of Africans directly from Africa to America. This was the start of a trade in slaves which was to continue for three and a half centuries and to bring millions of Africans to America.

1518年、スペイン船が初めてアフリカ人の積み荷を直接アフリカからアメリカに連れて行きました。これがその後3世紀半にも渡って続き、何百万人ものアフリカ人をアメリカに連れ出すことになる奴隷貿易の始まりでした。

The merchants’ profits and the products from America were exchanged in Europe for guns and cloth which were brought to Africa and exchanged for slaves. These humans were sold in America where they produced the goods to be brought to Europe. This was the so-called 'triangle trade.’ The riches of the capitalists grew while Africa suffered.

奴隷商人の利益と、アメリカからもたらされた産物は、ヨーロッパでアフリカへ連れて行かれて奴隷と交換される鉄砲や布に交換されました。これらの人間はアメリカで売却され、そこでヨーロッパに運ばれる商品を作り出しました。これが所謂「三角貿易」でした。資本主義者たちの富が増えて、アフリカが被害を受けました。

European, above all English and American capitalists had gained enormous profits from the trade in slaves and the work performed by the slaves. Slavery was an essential part of the international capitalist market. By this trade the first large-scale collection of wealth was accumulated to speed up the development towards capitalism. The 'triangular trade’ was one of the foundations of the Industrial Revolution in Europe.

ヨーロッパ、とりわけ、イギリスとアメリカの資本家たちが奴隷貿易と奴隷が行なう労働から莫大な利益を手に入れました。奴隷制は国際資本市場で重要な役割を担っていました。この貿易によって、大規模な初期の富の集積が行なわれ、資本主義への発展の速度を加速させました。「三角貿易」はヨーロッパの産業革命の基礎の一つでした。

For Africa the consequences of the slave trade were ruinous, not only in the terms of the boundless suffering of the millions who were taken as slaves, and their descendants, but also for those left behind.

アフリカにとって、奴隷貿易によってもたらされたものは、奴隷として連れ出された何百万もの人々とその子孫の際限ない苦しみという意味だけではなく、後に残された人たちにとっても、壊滅的でした。

LIVE AID

ロックは世界を救えたか?

– バンド・エイド Band Aid , USA フォー・アフリカ USA For Africa –http://www3.ocn.ne.jp/~zip2000/live-aid.htm

<バンド・エイドとは?>バンド・エイドとは、ボブ・ゲルドフ(元ブームタウン・ラッツ)の呼び掛けで集まったスティング、フィル・コリンズ、ボノ(U2)、ジョージマイケル(ワム!)らが参加したシングル「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」で結成した一時的なユニット・バンドの名前です。それは、ボブが1984年にテレビのBBCニュースで飢餓に苦しむエチオピアの人々を見たことがきっかけで生まれました。その年の12月に発売されたこのシングルは、イギリスではもちろんヒットチャートの1位になり大ヒットを記録します。

マイケルジャクソン、ボブディラン、ブルーススプリングスティーン、スティーブィーワンダー、ダイアナ・ロスらが参加したシングル「ウィー・アー・ザ・ワールド」はMTVの助けも借り、全世界で空前の大ヒットを記録します。こうして、この2枚のシングルの収益金がアフリカの飢餓に苦しむ人々への援助金として寄付されました。

そして、同年7月に両者を合体させた“ライブ・エイド”が開かれることになりました。

<開催日時> 1985年7月13日正午(日本時間午後21時、アメリカ時間午前9時)開始。イギリスはロンドンのウェンブリースタジアムから、アメリカはフィラデルフィアのJFKスタジアムから2大スタジアムを拠点に全世界約170ヶ国に衛星生中継。約15億人が視聴したと言われています。各アーティストの出番は約20分。イギリス側のファイナルは7月13日午後22時(日本時間14日午前7時、アメリカ時間13日午後19時)。ポール・マッカトニーの「レット・イット・ビー」の後に出演者全員で「ドゥ・ゼイ・ノウ~」を歌い終了。その後はアメリカ側のみ続けられ、アメリカ側のファイナルは7月14日午前4時(日本時間午後1時、アメリカ時間午前1時)。出演者全員で「ウィー・アー・ザ・ワールド」を歌って終了しました。こうして約16時間に渡る一大チャリティーイベントは幕を閉じ、世界にアフリカの飢餓を訴えるという目的を果たしました。これは、ロックという音楽が大人の音楽として世界の平和に貢献する存在意義を証明した瞬間だったのかもしれません。

Do They Know It’s Christmas?

(Paul Young)

It’s Christmas time, / there’s no need to be afraid / At Christmas time, / we let in light and we banish shade

(Boy George)

And in our world of plenty / we can spread a smile of joy / Throw your arms around the world / at Christmas time.

(George Michael)

But say a prayer, /pray for the other ones / At Christmas time…

(Simon LeBon)

…it’s hard, but when you’re having fun / There’s a world outside your window,

(Sting & Simon LeBon)

and it’s a world of dread and fear

(Sting, Simon LeBon & Tony Hadley)

Where the only water flowing / is the bitter sting of tears

(Bono & Sting)

And the Christmas bells that ring there /are the clanging chimes of doom

(Bono)

Well tonight thank God it’s them / instead of you!

(Everyone)

And there won’t be snow in Africa this Christmas time / The greatest gift they’ll get this year is life / Where nothing ever grows / No rain or rivers flow / Do they know it’s Christmas time at all?

(Paul Young)

Here’s to you raise a glass for everyone / Here’s to them underneath that burning sun /Do they know it’s Christmas time at all?

(Everyone)

Feed the world / Feed the world / Feed the world / Let them know it’s Christmas time again / Feed the world /Let them know it’s Christmas time again

Paul McCartney

ジェイムズ・ポール・マッカートニー

(Sir James Paul McCartney, MBE、1942年6月18日 – )は、イギリスのミュージシャン。

ロックバンド・ビートルズのメンバー。中心メンバーとして、ジョン・レノンとのコンビ(レノン=マッカートニー)で代表曲の多くを手がけた。ビートルズ解散後は、ソロの他、ウイングスのメンバーとして活躍した。

世界で最も有名なポピュラー音楽家、シンガーソングライターの一人である。親しみやすく美しいメロディの作風に特色があり、ビートルズ時代においては「イエスタデイ」「ヘイ・ジュード」「レット・イット・ビー」など、ビートルズの代表曲と言われる楽曲の多くを作詞作曲した。解散後の1970年代には、ウイングスのリーダーとして、1980年代以降はソロとして活動し、全米チャートの首位に9曲、トップ20に20曲以上を送り込んでいる。現在もコンスタントに作品をリリースしており、近年ではポピュラー音楽にとどまらず、クラシック音楽をも手がけている。

『レット・イット・ビー』("Let It Be")は、イギリスにおいて1970年5月8日に発売されたビートルズの13作目のオリジナル・アルバムである。映画『レット・イット・ビー』のサウンドトラック・アルバムであり、ビートルズのラスト・アルバムとなった。

When I find myself in times of trouble, mother Mary comes to me,

speaking words of wisdom, let it be.

And in my hour of darkness she is standing right in front of me,

speaking words of wisdom, let it be.

Let it be, let it be, let it be, let it be.

Whisper words of wisdom, let it be.

And when the broken hearted people living in the world agree,

there will be an answer, let it be.

For though they may be parted there is still a chance that they will see,

there will be an answer. let it be.

Let it be, let it be, …..

And when the night is cloudy, there is still a light, that shines on me,

shine until tomorrow, let it be.

I wake up to the sound of music, mother Mary comes to me,

speaking words of wisdom, let it be.

Let it be, let it be, …..

***********

ポール、聖地・武道館で31曲熱唱 「ジョンに捧げます」にファン涙【全曲掲載】 オリコン 2017/4/26(水) 4:00配信

日本武道館公演を行ったポール・マッカートニー Photo by 堀田芳香

元ザ・ビートルズのポール・マッカートニー(74)が25日、東京・日本武道館で2年ぶりとなるジャパンツアーの初日を迎えた。伝説の地・武道館でのライブは、1966年のビートルズ初来日公演、2015年の単独公演に続き、2年ぶり3回目。2時間で全31曲を水も飲まずに熱演し、74歳とは思えないエネルギッシュなステージでファンを魅了した。

【ライブ写真】2時間にわたって31曲を披露したポール

定刻を30分ほど過ぎた午後7時3分に会場が暗転し、ポールがベース・ギターを抱えてステージに登場。武道館を埋め尽くした1万1000人のファンの大歓声に手を振って応えた。

「A Hard Day’s Night」「Jet」で幕を開けると「コンバンハ、ニッポン。コンバンハ、トウキョウ。コンバンハ、ブドウカーン」と日本語であいさつ。ビートルズ、ウイングス、ソロの楽曲を、ベース、エレキギター、アコースティックギター、ピアノ、キーボードと演奏楽器を次々に変えて披露した。

日本人風の発音で「ザ・ビートルズ」と言うのがお気に入りのようで、何度か「ザ・ビートルズ」と繰り返すと、1962年に本国イギリスで発表した1stシングル「Love Me Do」を演奏。さらに「ジョンニササゲマス」と言って、51年前ともに武道館のステージに立ったジョン・レノンに捧げた曲「Here Today」を歌ってファンの涙を誘った。

「コノキョクハ、ニホンハツコウカイ」と紹介し、サプライズで演奏したのは「I Wanna Be Your Man」。邦題「彼氏になりたい」でも知られる同曲は、ポールとジョンがローリング・ストーンズに楽曲提供し、ストーンズの2枚目のシングルとして63年に発表された曲。66年のビートルズ初来日公演では、リンゴ・スターがボーカルを務めた。

アンコールでは、名曲「Yesterday」を披露。「Hi, Hi, Hi」は観客6人をステージに上げて一緒にステップを踏み、ラストはビートルズのアルバム『アビイ・ロード』(69年)に収録された3曲をメドレーで歌って締めくくった。

ジャパンツアーは27・29・30日に東京ドームでも行われ、4公演計16万人を動員予定。

■ポール・マッカートニー『ONE ON ONE at BUDOKAN』

01. A Hard Day’s Night / 02. Jet / 03. Drive My Car / 04. Junior’s Farm / 05. Let Me Roll It / 06. I’ve Got A Feeling / 07. My Valentine / 08. 1985 / 09. Maybe I’m Amazed / 10. We Can Work It Out / 11. Every Night / 12. In Spite Of All The Danger / 13. Love Me Do / 14. Blackbird / 15. Here Today / 16. Queenie Eye / 17. Lady Madonna / 18. I Wanna Be Your Man / 19. Magical Mystery Tour / 20. Being For The Benefit Of Mr. Kite! / 21. Ob-La-Di, Ob-La-Da / 22. Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band (Reprise)Back In The U.S.S.R. / 23. Let It Be / 24. Live And Let Die / 25. Hey Jude /【アンコール】26. Yesterday / 27. Hi, Hi, Hi / 28. Golden Slumbers / 29. Carry That Weight / 31. The End

(14)12回目授業終了

再確認

* 課題:8月4日(火)の授業時までにWebclassで提出。

* 次の授業8月4日(火):『金のフレーズ』、映像「ルーツ」

* 8月11日(火)が最終回、一人一人話を聞かせてや。

* 前期試験後から9月末までZoomトーイック、希望者はメールしてや。

授業は

* (英語で少し解説しながら)「アフリカシリーズ」:西アフリカ→トワレグ人→カイロ→東アフリカ(ダウと呼ばれる帆船や、モンバサやラムなどの港街)→南部アフリカ(1992年に行ったジンバブエの話と、ジンバブエ遺跡に行った時の写真も)→1505年のキルワの虐殺

* 『金のフレーズ』①解説を少々。

前回観てもらった映像:We Are the Worldの解説です→We Are the World

次回

* 『金のフレーズ』①、ブレイクアウトセッション

参考ファイルに置いてある演習用シートのファイルか、研究室の前の椅子の上に置いてある印刷したプリントを用意しときや。日本語を見て英語を言う練習をするんで。

* (時間があれば)映像「ルーツ」:奴隷狩り、奴隷船、奴隷市、鞭打ち

授業で、また。

とうとう感染者が出たなあ。福岡に行った工学部の学生と、事務の人。誰にでも感染する可能性はあるんで、出来ることはせんとあかんな。
先行きが見えんけど、後期も改善する保証がないし、オンラインが続くと考えて、準備せなあかんみたい。
学士力発展科目を2つから3つに増やしてブログも足してもらわんとあかんし、シラバスも書き足して、最初に配るプリントの印刷も準備せなあかんし。300人分の15回分を、英語のクラス以外に準備せんとあかんからかなりの量、成績をつけたら始めんと間に合わんかも。3月に出来ずにそのままになっている提出課題と残りのプリントの整理(大きなクラスは欠席者も多いから、相当な量。)もせんと、部屋を使いにくいし。
医学科の授業は前期で最後になりそうやから、今医学科で使ってる部屋を片づけて、鍵も返さんとあかんし。ようさんすることがあるみたい。

We Are the World

“We Are the World” 日本語字幕、53分(DVD)

イギリスで活躍するミュージシャン、ボブ・ゲルドフが提唱したバンド・エイドの成功に触発されてアフリカの飢餓と貧困層を解消する目的で作られたキャンペーンソングで、作詞作曲はマイケル・ジャクソンとライオネル・リッチー、プロデュースはクインシー・ジョーンズ。

1985年当時、アメリカ国内だけでシングル400万枚、アルバム300万枚を売り上げた。最終的にはアメリカだけで750万枚のシングルが売れ、シングルとアルバム、ビデオの合計で6300万ドルの収入となり、すべての印税はチャリティとして寄付された。ビルボード(Billboard)誌では、1985年4月13日に週間ランキング第1位を獲得。1985年ビルボード誌年間ランキングでは、第20位。

そのほかドキュメンタリーも制作され、2004年には20周年記念DVDとして「We Are The World THE STORY BEHIND THE SONG」がリリースされた。

We Are the World

There comes a time when we heed a curtain call

When the world must come together as one

There are people dying

And it’s time to lend a hand to life

The greatest gift of all

 

We can’t go on pretending day by day

That someone, somewhere will soon make a change

We are all a part of God’s great big family

And the truth, you know,

Love is all we need

We are the world, we are the children

We are the ones who make a brighter day

So let’s start giving

There’s a choice we’re making

We’re saving our own lives

It’s true we’ll make a better day

Just you and me

 

Send them your heart so they’ll know that someone cares

And their lives will be stronger and free

As God has shown us by turning stones to bread

So we all must lend a helping hand

 

When you’re down and out, there seems no hope at all

But it you just believe there’s no way can fall

Let us realize that a change can only come

When we stand together as one

 

Harry Belafonte originally wanted to put together a benefit concert featuring black musicians to raise money for Africa. Ken Kragen (who became president of the organization United Support of Artists for Africa) thought an American version of “Band Aid" would be a better idea. Ken Kragen is an owner of a personal management and television production company. One of his clients was Lionel Ritchie, so he called him with the idea. Lionel’s wife talked to Steve Wonder’s wife and arranged to line him up for the song.

Quincy Jones was lined up as the producer, and Michael Jackson and Lionel Ritchie were the song writers. The recording took place on the night of the American Music Awards, January 28th, 1985. This was the perfect way to assure that most of the artists would all be free on a single date.

The instrumental tracks were recorded ahead of time and sent out to the interested musicians. With each tape, he sent a letter that stated they should “check their ego at the door." When they arrived in the studio, there was a piece of tape on the floor for each person to stand on, arranged around six microphones in a semi-circle.

800,000 copies arrived in stores on Tuesday, March 7th 1985. There were sold out by the first weekend. It entered the Billboard Hot 100 on March 23rd, at number 21. At the time it was the highest debuting single since John Lennon’s “Imagine" and was number one in three weeks, which at the time was the fastest rising chart-topper since Elton John’s “Island Girl" in 1975. It was the eighth consecutive year the Lionel Ritchie had written a number one song. It won Grammys in 1985 for Song of the Year and Record of the Year.

Dan Aykroyd also sings on We Are the World. You can see him in the top row in the video. Dan Aykroyd was in the Blues Brothers was a band before it was a SNL sketch (and then a movie), hence he was a musician. VH-1’s “Pop-Up Video" states he’s there to represent the American film industry.(http://www.inthe80s.com/weworld.shtml

(15)13回目授業終了

歌の残りと、『金のフレーズ』でアウトブレイクセッション。

(17)課題講評

課題の講評です。もっと早くと思ってたけど、提出してない人との遣り取りや、医学科1年生の不正騒ぎがあり、2週間ほど遅れました。課題を読んで成績はだいぶ前に出してたんやけど、ね。課題の講評です。もっと早くと思ってたけど。昨日は早く寝た分、今朝は早く目覚めて。さっきやっと読み終えました。

全般の講評は、全体によう出来てたと思います。感心しました。たぶん自粛期間も長かったので時間をかけた人も多かったようで。半分ほどが英語というのも異常事態、初めてです。毎年何人かあるかないかやから、やっぱり異常事態、やなあ。

しかも、英語は充分に読めたんで、アウトプットの機会を増やして、書いたり、読んだり、聞いたり、話したり、どんどんやれば気づいたら使えるようになってる、ということかもねえ。

僕は、戦争に負けて無理やりやらされて・・・という意識が強かったせいか英語に対していまだに抵抗があるけど、高校の教員の採用試験が受験出来たのも、38で大学職に就けたのも、受験勉強をしないでたまたま行き着いた先が英米学科で、教員資格も取れたし、(アメリカの半ば支配下にあって)全般に英語と関係のある仕事が圧倒的に多かったからやと思う。もちろん、結果論やけど。

原爆を落とされて無条件降伏をつきつけられ、色々な局面でアメリカを強要されてから久しい今となっては、英語が使える方が圧倒的に有利なのは事実、みたい。

仮説を立てて客観的に論証するという作業は、大学ですべき大事なことの一つ、教養、専門基礎では特に大事やと思います。

秀を3段階(満点、SS、S)、優を2段階(AA、A)に分けました。良はB。

満点 7人、SS 4人、S 5人、AA 3人、A 15人、B 8人、3人未提出(登録のみも含む)。計45人。

英語で書いてたのは20人。満点は、ある一定の水準を超えていそうで、短い期間によう書けたなあ、と感服した課題につけました。

仮説が曖昧なのが結構ありました。~が~であるという明確な仮説を立ててはっきりと論証するのが大切やと思います。感想文に近いのや、調べたものをまとめて自分の意見をつけたのもあったように思います。

最終的には言いたい気持ちが強いのがこちらに一番伝わって来ると思います。課題に限らず、書いたものはすべてそうやと思うけど。

わかりやすいのは、きちんと章立てが出来(もちろん、論理的な展開一目でわかるものがベスト)、参考文献もきちんとついているもの。図や統計のような客観的な資料や、言ってることをまとめているような画像や地図も効果的やと思います。

その辺りは形式の問題なので、読む側の視点も考慮して書ければ自ずから何が読みやすいかは見えて来ると思います。

個人的に講評が必要な人は連絡してもらえればメールでも、Zoomでも、課題を見ながら、意見も聞きながら話出来ると思います。7~8割は後期も授業で会う機会がありそうなので、遠慮なくどうぞ。

なんとか、やっと書けました。

再履修の人で二人、Lineを作ってくれた德永くん(途中、福岡に帰ってから音信なしで、休学か退学でもするんやろか。)の3人は単位出せなかったけど、授業の最初に言った通り、出来るだけ単位を出す協力は出来たかなあ。再履修20人のうち、5人は僕の手の及ぶところにはなかったみたいやけど、何とか少しは役に立てたかねえ。

住んでるのは学園木花台の高台にあるんで、家からも木花の研究室からも、加江田の山が見えます。ひさしぶりに木崎浜に自転車で行って、真夏の砂浜を歩くかな。

(18)最終メッセージ

* 前期Zoomで大変やったけど、授業してて楽しかったです。

* 今日か明日かに成績登録しときます。未提出の人を待ってるんで。

* たぶん4回くらいになると思うけど、Zoomトーイック(夏休み版)やる人は、今からでもメールしてくれたら招待状送るよ。

(2007年10月小島けいカレンダー、手書きのカレンダー)

ジャビーや就職の履歴書にトーイックが必要になる場合もあるようやから、早めに準備したい人はどうぞ。後期に入っても、地域の人にはZoomトーイックをするつもりなんで、問いあわせてくれれば案内するよ。

学士力発展科目の南アフリカ概論は、授業でも言った通り、火曜日の午後2コマ、木曜日の4コマ目の3つを持つ予定です。成績を出す時間も考えると人数制限をせざるを得ないし、Zoomで100人もの人数でやって満足してもらえるかどうかは未知数やけど、前期は3、4年生を優先したと聞いてるんで、是非あなたら1年生を優先したいと思ってるけど。

英語 Ta1(7)

課題の講評です。もっと早くと思ってたけど、提出してない人との遣り取りや、医学科1年生の不正騒ぎがあり、2週間ほど遅れました。課題を読んで成績はだいぶ前に出してたんやけど、ね。

全般の講評は、全体によう出来てたと思います。感心しました。たぶん自粛期間も長かったので時間をかけた人も多かったようで。半分ほどが英語というのも異常事態、初めてです。毎年何人かあるかないかやから、やっぱり異常事態、やなあ。

しかも、英語は充分に読めたんで、アウトプットの機会を増やして、書いたり、読んだり、聞いたり、話したり、どんどんやれば気づいたら使えるようになってる、ということかもねえ。

僕は、戦争に負けて無理やりやらされて・・・という意識が強かったせいか英語に対していまだに抵抗があるけど、高校の教員の採用試験が受験出来たのも、38で大学職に就けたのも、受験勉強をしないでたまたま行き着いた先が英米学科で、教員資格も取れたし、(アメリカの半ば支配下にあって)全般に英語と関係のある仕事が圧倒的に多かったからやと思う。もちろん、結果論やけど。

原爆を落とされて無条件降伏をつきつけられ、色々な局面でアメリカを強要されてから久しい今となっては、英語が使える方が圧倒的に有利なのは事実、みたい。

仮説を立てて客観的に論証するという作業は、大学ですべき大事なことの一つ、教養、専門基礎では特に大事やと思います。

秀を3段階(満点、SS、S)、優を2段階(AA、A)に分けました。良はB。

満点 7人、SS 4人、S 5人、AA 3人、A 15人、B 8人、3人未提出(登録のみも含む)。計45人。

英語で書いてたのは20人。満点は、ある一定の水準を超えていそうで、短い期間によう書けたなあ、と感服した課題につけました。

仮説が曖昧なのが結構ありました。~が~であるという明確な仮説を立ててはっきりと論証するのが大切やと思います。感想文に近いのや、調べたものをまとめて自分の意見をつけたのもあったように思います。

最終的には言いたい気持ちが強いのがこちらに一番伝わって来ると思います。課題に限らず、書いたものはすべてそうやと思うけど。

わかりやすいのは、きちんと章立てが出来(もちろん、論理的な展開一目でわかるものがベスト)、参考文献もきちんとついているもの。図や統計のような客観的な資料や、言ってることをまとめているような画像や地図も効果的やと思います。

その辺りは形式の問題なので、読む側の視点も考慮して書ければ自ずから何が読みやすいかは見えて来ると思います。

個人的に講評が必要な人は連絡してもらえればメールでも、Zoomでも、課題を見ながら、意見も聞きながら話出来ると思います。7~8割は後期も授業で会う機会がありそうなので、遠慮なくどうぞ。

なんとか、やっと書けました。

再履修の人で二人、Lineを作ってくれた德永くん(途中、福岡に帰ってから音信なしで、休学か退学でもするんやろか。)の3人は単位出せなかったけど、授業の最初に言った通り、出来るだけ単位を出す協力は出来たかなあ。再履修20人のうち、5人は僕の手の及ぶところにはなかったみたいやけど、何とか少しは役に立てたかねえ。

住んでるのは学園木花台の高台にあるんで、家からも木花の研究室からも、加江田の山が見えます。ひさしぶりに木崎浜に自転車で行って、真夏の砂浜を歩くかな。

英語 Ta1(7)

* 前期Zoomで大変やったけど、授業してて楽しかったです。

* 今日か明日かに成績登録しときます。未提出の人を待ってるんで。

* たぶん4回くらいになると思うけど、Zoomトーイック(夏休み版)やる人は、今からでもメールしてくれたら招待状送るよ。

(2007年10月小島けいカレンダー、手書きのカレンダー)

ジャビーや就職の履歴書にトーイックが必要になる場合もあるようやから、早めに準備したい人はどうぞ。後期に入っても、地域の人にはZoomトーイックをするつもりなんで、問いあわせてくれれば案内するよ。

学士力発展科目の南アフリカ概論は、授業でも言った通り、火曜日の午後2コマ、木曜日の4コマ目の3つを持つ予定です。成績を出す時間も考えると人数制限をせざるを得ないし、Zoomで100人もの人数でやって満足してもらえるかどうかは未知数やけど、前期は3、4年生を優先したと聞いてるんで、是非あなたら1年生を優先したいと思ってるけど。

英語 Ta1(7)

再確認

* 課題:8月4日(火)の授業時までにWebclassで提出。

* 次の授業8月4日(火):『金のフレーズ』、映像「ルーツ」

* 8月11日(火)が最終回、一人一人話を聞かせてや。

* 前期試験後から9月末までZoomトーイック、希望者はメールしてや。

授業は

* (英語で少し解説しながら)「アフリカシリーズ」:西アフリカ→トワレグ人→カイロ→東アフリカ(ダウと呼ばれる帆船や、モンバサやラムなどの港街)→南部アフリカ(1992年に行ったジンバブエの話と、ジンバブエ遺跡に行った時の写真も)→1505年のキルワの虐殺

* 『金のフレーズ』①解説を少々。

前回観てもらった映像:We Are the Worldの解説です→We Are the World

次回

* 『金のフレーズ』①、ブレイクアウトセッション

参考ファイルに置いてある演習用シートのファイルか、研究室の前の椅子の上に置いてある印刷したプリントを用意しときや。日本語を見て英語を言う練習をするんで。

* (時間があれば)映像「ルーツ」:奴隷狩り、奴隷船、奴隷市、鞭打ち

授業で、また。

とうとう感染者が出たなあ。福岡に行った工学部の学生と、事務の人。誰にでも感染する可能性はあるんで、出来ることはせんとあかんな。
先行きが見えんけど、後期も改善する保証がないし、オンラインが続くと考えて、準備せなあかんみたい。
学士力発展科目を2つから3つに増やしてブログも足してもらわんとあかんし、シラバスも書き足して、最初に配るプリントの印刷も準備せなあかんし。300人分の15回分を、英語のクラス以外に準備せんとあかんからかなりの量、成績をつけたら始めんと間に合わんかも。3月に出来ずにそのままになっている提出課題と残りのプリントの整理(大きなクラスは欠席者も多いから、相当な量。)もせんと、部屋を使いにくいし。
医学科の授業は前期で最後になりそうやから、今医学科で使ってる部屋を片づけて、鍵も返さんとあかんし。ようさんすることがあるみたい。

We Are the World

“We Are the World” 日本語字幕、53分(DVD)

イギリスで活躍するミュージシャン、ボブ・ゲルドフが提唱したバンド・エイドの成功に触発されてアフリカの飢餓と貧困層を解消する目的で作られたキャンペーンソングで、作詞作曲はマイケル・ジャクソンとライオネル・リッチー、プロデュースはクインシー・ジョーンズ。

1985年当時、アメリカ国内だけでシングル400万枚、アルバム300万枚を売り上げた。最終的にはアメリカだけで750万枚のシングルが売れ、シングルとアルバム、ビデオの合計で6300万ドルの収入となり、すべての印税はチャリティとして寄付された。ビルボード(Billboard)誌では、1985年4月13日に週間ランキング第1位を獲得。1985年ビルボード誌年間ランキングでは、第20位。

そのほかドキュメンタリーも制作され、2004年には20周年記念DVDとして「We Are The World THE STORY BEHIND THE SONG」がリリースされた。

We Are the World

There comes a time when we heed a curtain call

When the world must come together as one

There are people dying

And it’s time to lend a hand to life

The greatest gift of all

 

We can’t go on pretending day by day

That someone, somewhere will soon make a change

We are all a part of God’s great big family

And the truth, you know,

Love is all we need

We are the world, we are the children

We are the ones who make a brighter day

So let’s start giving

There’s a choice we’re making

We’re saving our own lives

It’s true we’ll make a better day

Just you and me

 

Send them your heart so they’ll know that someone cares

And their lives will be stronger and free

As God has shown us by turning stones to bread

So we all must lend a helping hand

 

When you’re down and out, there seems no hope at all

But it you just believe there’s no way can fall

Let us realize that a change can only come

When we stand together as one

 

Harry Belafonte originally wanted to put together a benefit concert featuring black musicians to raise money for Africa. Ken Kragen (who became president of the organization United Support of Artists for Africa) thought an American version of “Band Aid" would be a better idea. Ken Kragen is an owner of a personal management and television production company. One of his clients was Lionel Ritchie, so he called him with the idea. Lionel’s wife talked to Steve Wonder’s wife and arranged to line him up for the song.

Quincy Jones was lined up as the producer, and Michael Jackson and Lionel Ritchie were the song writers. The recording took place on the night of the American Music Awards, January 28th, 1985. This was the perfect way to assure that most of the artists would all be free on a single date.

The instrumental tracks were recorded ahead of time and sent out to the interested musicians. With each tape, he sent a letter that stated they should “check their ego at the door." When they arrived in the studio, there was a piece of tape on the floor for each person to stand on, arranged around six microphones in a semi-circle.

800,000 copies arrived in stores on Tuesday, March 7th 1985. There were sold out by the first weekend. It entered the Billboard Hot 100 on March 23rd, at number 21. At the time it was the highest debuting single since John Lennon’s “Imagine" and was number one in three weeks, which at the time was the fastest rising chart-topper since Elton John’s “Island Girl" in 1975. It was the eighth consecutive year the Lionel Ritchie had written a number one song. It won Grammys in 1985 for Song of the Year and Record of the Year.

Dan Aykroyd also sings on We Are the World. You can see him in the top row in the video. Dan Aykroyd was in the Blues Brothers was a band before it was a SNL sketch (and then a movie), hence he was a musician. VH-1’s “Pop-Up Video" states he’s there to represent the American film industry.(http://www.inthe80s.com/weworld.shtml

 

クラス名簿(再掲載)英語 Ta1(7)クラス名簿(45名、5月18日現在)

61200050 石川 真央 イシカワ マオ
61200096 榎木 翔也 エノキ ショウヤ
61200236 杉田 優奈 スギタ ユウナ
61200285 土谷 修史 ツチヤ シユウト
61200290 寺原 萌恵 テラバル モエ
61200393 橋口 大輝 ハシグチ タイキ
61200494 藤川 大雅 フジカワ タイガ
62170390 藤原 幸佑 フジハラ コウスケ
62190501 光成 耕大 ミツナリ コウタ
62200118 大平 悠貴 オオヒラ ユウキ
63190072 魚住 龍太郎 ウオズミ リュウタロウ
63200094 浦川 大和 ウラカワ ヤマト
63200216 黒木 雅人 クロキ マサト
63200300 徳永 紅漢 トクナガ クレハ
63200324 西川 輝 ニシカワ テル
63200463 山川 健伸 ヤマカワ ケンシン
63200487 吉武 直哉 ヨシタケ ナオヤ
64200112 緒方 那美 オガタ トモミ
64200189 数森 皓太 カズモリ コウタ
64200310 田上 嘉伸 タノウエ ヨシノブ
64200363 西原 太輝 ニシハラ タイキ
64200402 東 広明 ヒガシ ヒロアキ
65160230 関谷 文太 セキヤ ブンタ
65180020 厚地 湧太 アツチ ヨウタ
65180210 小牧 優太 コマキ ユウタ
65190414 長谷川 隆郁 ハセガワ タカフミ
65200038 浦野 翔大 ウラノ ショウタ
65200308 高島 陸人 タカシマ リクト
65200447

66190253

牧ノ瀬 開人

栗田 亘

マキノセ カイト

クリタ ワタル

66200053 内山 大智 ウチヤマ ダイチ
66200084 梶谷 伶 カジタニ レイ
66200121 佐藤 賢吾 サトウ ケンゴ
66200134 椎原 陽 シイハラ ヨウ
66200226 永野 聖人 ナガノ マサト
66200257 中山 崇瑛 ナカヤマ タカアキ
66200420 溝口 幸輝 ミゾグチ コウキ
66200433 武藤 聖汰 ムトウ シヨウタ
66200479 山口 寛人 ヤマグチ ヒロト
66200482 山田 大雅 ヤマダ タイガ
67160330 永原 颯 ナガハラ ハヤテ
67200090 大野 和輝 オオノ カズキ
67200135 押川 優 オシカワ ユウ
67200160 上赤 侑矢 カミアカ ユウヤ
67200289 篠原 里奈 シノハラ リナ