南アフリカ概論

年明けの次回1月9(木)は2回目の課題提出で、1月16日(木)は金曜日時間割です

②★英語の授業の課題なので、英語で書いて下さい。→日本語でも英語でも

12月26日11回目の授業、今年最後でした。残り年明け3回です。

ANC History (BBC)の映像を観てもらってから、英文を少し解説、Rivonia Trialのマンデラの陳述の英文を解説、残りの時間で「アフリカの蹄」を観てもらいました。

<次回>は

2回目の課題を集めてから、「アフリカの蹄」の続き。

休みが10日ほど、短いけど、出来るだけ課題を読んで、2回目の課題を集めたあと、最終日までに成績が出せるようにしたいと思ってるけど、やれるかな。

主役の大澤たかお、次回この場面を観てもらえると思うよ。

次回は年明けに。

冬休み、いい骨休めになるよう祈ってます。

南アフリカ概論

初回に配った課題についてのプリントの訂正→①提出期限、2回目は1月の1回目:1月19日。19日→9日

②★英語の授業の課題なので、英語で書いて下さい。→日本語でも英語でも

12月19日10回目の授業でした。

来週と年明けの3回で終わりです。1月16日(木)は金曜日時間割です

橋詰さんのシャープヴィルの虐殺と小野さんのリボニアの裁判の発表と、関連の映像でした。

発表してくれた人はみんな落ち着いて凄いねえ。今回の橋詰さんと小野さんの発表もきちんと内容がまとめられていて、感心しました。前回の発表とあわせた内容をだいたい把握していれば、今日観てもらった映像でイメージもかなり鮮明になったような気がするけど。

映像は反アパルトヘイト団体が作ったドキュメンタリー「抵抗の世代」。今日観てもらったのは1944年のANC青年同盟、その青年同盟が率いたゼネスト、1955年の国民会議、パス法に反対した女性たち、PAC(パンアフリカニスト会議)とソブクエ、シャープヴィルの虐殺、女性の日に宮崎に来たミリアムさんの講演のニュース(髪が黒黒としてたね、39の時やろか)でした。

ミリアムさん(小島けい画)

プリント(英文主体の5枚)に関してはラ・グーマに関するのを2枚解説しました。ミリアムさんとラ・グーマについて雑誌やメールマガジンに書いた記事をブログにも載せています。↓

<ラ・グーマについて>

「アレックス・ラ・グーマ 人と作品1 闘争家として、作家として」「ゴンドワナ」8号22-26頁。
「アレックス・ラ・グーマ 人と作品2 拘禁されて」「ゴンドワナ」9号28-34頁。
「アレックス・ラ・グーマ 人と作品3 祖国を離れて」「ゴンドワナ」10号24-29頁。
「アレックス・ラ・グーマ 人と作品4 『夜の彷徨』上 語り」「ゴンドワナ」11号39-47頁。
「アレックス・ラ・グーマ 人と作品5 『夜の彷徨』下 手法」「ゴンドワナ」13号14-25頁。
「アレックス・ラ・グーマ 人と作品6 『三根の縄』 南アフリカの人々 ①」(『三根の縄』はのちに『まして束ねし縄なれば』と改題)、「ゴンドワナ」16号14-20頁。
「アレックス・ラ・グーマ 人と作品7 『三根の縄』 南アフリカの人々 ②」(『三根の縄』はのちに『まして束ねし縄なれば』と改題)、「ゴンドワナ」17号6-19頁。

ラ・グーマ(小島けい画)

<ミリアムさんについて>

「ミリアムさんを宮崎に迎えて」「ゴンドワナ」15号2-8頁。
「ミリアム・トラーディさんの宮崎講演」「ゴンドワナ」15号9-29頁。

一般法修正令(90日拘禁法)の白人第一号ジャーナリストのルス・ファーストの娘さんが手紙爆弾で殺された母親を想って作った映画「ワールド・アパート」についても少し触れましたが、映画評を雑誌に書いてこのブログにも載せてますのでリンクしときます。映画はいつでもコピーするよ。↓

「『ワールド・アパート』 愛しきひとへ」「ゴンドワナ」18号7-12頁。

主人公役のバーバラ・ハーシー(小島けい画)

ソブクエについても書きました。日本ではあまり紹介されてないけど、歴史に翻弄されて52歳で治療も受けられずに肺癌で亡くなくなりました。理想主義者(ソブクエ)と日和見主義者(マンデラ)の歩み寄りが出来んかったんやろか、といつも思います。僕が理想主義者だけに、ソブクエへの思い入れは強いけど、現実の世界は理想主義者には手に余るほどどうしようもないもんやったんやろなあ。ブログにも載せました。↓

「ロバート・ソブクウェというひと ① 南アフリカに生まれて」「ゴンドワナ」20号14-20頁。

「ロバート・ソブクウェというひと ② アフリカの土に消えて」「ゴンドワナ」21号6-19頁。

ソブクエ(小島けい画)

<次回>は配ったプリントThe Struggle for South、ANC History (BBC)/ Rivonia Trialをチェックしながら関連の映像を紹介、時間があれば「アフリカの蹄」を少しでも。

主役の大澤たかお

また、来週に。

南アフリカ概論

12月12日9回目の授業でした。
年末までに2回、年明けに3回です。1月16日(木)は金曜日の時間割

今日は、ジンバブエの話の続き、アパルトヘイト政権について(北畑くん)と国民会議についての(渡辺さん)発表でした。発表を準備してくれてた橋詰さん(シャープヴィルの虐殺)と小野さん(リボニアの裁判、ほんとごめんなさい。次回よろしく頼みます。

ジンバブエの話の続きは、ジンバブエ大学、アレックス、子供たちが行った小学校、みんなで訪問したゲイリーの子供たちの小学校、帰りに寄ったパリでのファーブルさんの話、それと一握りの貴族と大多数のの貧乏人の現実と、加害者としての自分についてなどについて話をしました。関連のリンクを最後に貼っておきます。↓

長男と仲良しになってチキンを食べるアレックス

ソルボンヌを背景にファーブルさんと

北畑くんと渡辺さんの発表、どちらもしっかりと準備してたし、ポイントを押さえてて、ほんと感心しました。

なぜなぜアパルトへイト政権が誕生したのかと国民会議について少し補足しときます。

まとめの意味で、アパルトヘイト体制とアフリカ人の抵抗運動に関して箇条書きにしておきます。

第二次世界大戦で大きくヨーロッパの国力が低下

→それまで抑圧されていた人たちが独立・自由を求めて闘争

→南アフリカでも、旧世代に飽き足らない若者がANC青年同盟(1943)を結成してデモやストライキなどで激しく闘争を展開

→当時の与党イギリス系の統一党は事態の収拾が出来ず

→1948年に総選挙→アフリカナーの野党国民党はアパルトヘイト(人種隔離)をスローガンに掲げ、人種によって賃金の格差をつけ、本来社会の最底辺のプアホワイト=アフリカーナーの大半の農民を優遇することを約束

→白人人口の60%のうちの大半のプアホワイトが国民党に投票→オランダ系アフリカーナーが議席の過半数を獲得

→アパルトヘイト政権の誕生

→体制を強化(人口登録法で人種の明確化、集団地域法で居住区を限定、共産主義弾圧法で反体制勢力を弾圧)

→アパルトヘイト政権に対抗してANCの闘争は激化

→1955年にクリップタウン郊外で全人種による国民会議、自由憲章を採択→指導者156名を逮捕して裁判にかけ、全員の死刑をはかる

→結果的には無罪

(今日はこの辺りまで)

メールマガジンにまとめた分をリンクしときます。たぶん理解し易くなると思います。↓

「南アフリカ小史前半」「モンド通信 No. 65」(2014年1月10日)

<次回>は

* シャープヴィルの虐殺(橋詰さん)

* リボニアの裁判(小野さん)

* 前回からの分の映像

時間があれば、少しでも「アフリカの蹄」を観てもらえたらと思ってるけど、時間あるかなあ。

<配ったプリント>

* The Struggle for South Africa②(B4表裏1)

* ANC History (BBC)(B4表1)/ Rivonia Trial (B4裏1、表裏1)

* ラ・グーマ関連(B4表裏2)

また、来週に。

メールマガジンに連載したあと、僕のブログに載せてある分のリンクです↓

「ジンバブエ滞在記一覧」(「モンド通信」No. 35、2011年7月10日~No. 59、 2013年7月10日)
「ジンバブエ滞在記⑬制服の好きな国」「モンド通信」No. 47」、2012年7月10日)

「ジンバブエ滞在記⑭ルカリロ小学校」「モンド通信」No. 48」、2012年8月10日)


「ジンバブエ滞在記⑮ゲイリーの家」「モンド通信」No. 49」、2012年9月10日)

「ジンバブエ滞在記⑱アレックスの生い立ち」「モンド通信」No. 52」、2012年12月10日)


「ジンバブエ滞在記⑲ロケイション」「モンド通信」No. 53」、2013年1月10日)
「ジンバブエ滞在記25『ジンバブエ滞在記』の連載を終えて」「モンド通信」No. 59」、2013年7月10日)

南アフリカ概論

12月5日8回目の授業でした。あと年末までに3回、年明けに3回です。1月16日(木)は金曜日の時間割です。

今日は、1992年に行ったジンバブエの話で時間切れ。北畑くん(アパルトヘイト政権)と渡辺さん(国民会議)、申し訳なかったです。次回は是非。

ハラレに行く前に寄ったロンドンでお会いしたラ・グーマの奥さんのブランシさん(写真↓)の話。1985年にキューバでご主人を亡くされたあとロンドンに一人住まい。その家に招待されました。1990年にマンデラが釈放されてたけど、まだロンドンに亡命中。このあとすぐに生まれ育ったケープタウンに戻られました。でもマンデラの政権が出来る前のどさくさ、1966年の亡命以来久しぶりに帰国した時は、空港で一晩待機。ANCもひどいですよねと手紙で書いたら、今はいろいろ大変な時期、大目に見て下さいね、と逆に窘(たしら)められました。

スイス人の八十過ぎの一人暮らしの女性から借りた家の家賃は10万円、500坪。↓家の中にジャカランダの大木が植えてありました。

すぐに仲よくなったガーデンボーイとして雇われていたゲイリー。給料は一月170ジンバブエドル(4200円ほど)それと番犬のデイン。白人には吠えないで、黒人には激しく吠えてました。僕らはデインに白人と分類されたようで、誰も吠えられなかったねえ。

冬休み(北半球では夏休み)を利用して父親の元に来ていっしょに過ごしていた家族。普段は敷地内に家族を泊めることは出来なかったみたいやけど、僕らが借りてたので、南西の小さな部屋、コンクリートの床に毛布を敷いて寝たたみたいです(南半球では北側が陽当たりがいいので南西にある部屋は陽当たりがよくない)長女と長男とゲイリーの子供3人は一日中遊んでました。どっちも言葉もわからないのに、笑い声が絶えず、楽しそうやったねえ。蹴ってるバスケットボールが199ジンバブエドル、ゲーリーの一月の給料より高く、複雑な気分になりました。

ゲーリーの奥さんフローレンスにモデルを頼んで僕の奥さんが描いた水彩画。初めての経験で、フローレンスはやや緊張気味でした。

ゲイリーの家族写真。写真は貴重品で、現像して持って行くと、どこでもひとしきり写真談義。それもそのはず、現像費が毎回ゲイリーの給料ほど。写真は贅沢品の一つ。大学で誰かが飲んでた大瓶のコーラが10円。日本円やドルが強いんやとしみじみ思いました。

ゲイリーにインタビューを頼んで、生い立ちなどを聞いた時に撮った写真です。↓

<次回>は

大学、ハラレの街、子供たちの小学校などについて少し話をしたあと、アパルトヘイト政権とアフリカ人の抵抗運動の話を。

* アパルトヘイト政権(北畑くん)

* 国民会議(渡辺さん)

* シャープヴィルの虐殺(橋詰さん)

* リボニアの裁判(小野さん)

の発表を聞いて、時間があれば関連の映像を。大きな流れが掴めたら、ドキュメンタリーや「アフリカの蹄」など、映像も観てもらいたいと思っています。(終わってから橋詰さんと小野さんが発表すると言いに来てくれました。)

また、来週に。

ハラレの話は帰国してから半年後に本を書いたけど出版は出来ず(1冊300万もかかるんで)、あとでメールマガジンに連載したらと言われて、分けて載せました。僕のブログに載せた一冊分のリンクです↓

「ジンバブエ滞在記一覧」(「モンド通信」No. 35、2011年7月10日~No. 59、 2013年7月10日)

今日話をした分のリンクです↓

<2>→「ジンバブエ滞在記②ハラレ第1日目」「モンド通信」No. 36」、2011年8月10日)

<3>→「ジンバブエ滞在記③突然の訪問者・小学校・自転車」「モンド通信」No. 37」、2011年9月10日)

<4>→「ジンバブエ滞在記④ジンバブエ大学・白人街・鍵の国」「モンド通信」No. 38」、2011年10月10日)

<5>→「ジンバブエ滞在記⑤バケツ一杯の湯」「モンド通信」No. 39」、2011年11月10日)

<12>→「ジンバブエ滞在記⑫ゲイリーの生い立ち」「モンド通信」No. 46」、2012年6月10日)