12月12日9回目の授業でした。
年末までに2回、年明けに3回です。1月16日(木)は金曜日の時間割。
今日は、ジンバブエの話の続き、アパルトヘイト政権について(北畑くん)と国民会議についての(渡辺さん)発表でした。発表を準備してくれてた橋詰さん(シャープヴィルの虐殺)と小野さん(リボニアの裁判、ほんとごめんなさい。次回よろしく頼みます。
ジンバブエの話の続きは、ジンバブエ大学、アレックス、子供たちが行った小学校、みんなで訪問したゲイリーの子供たちの小学校、帰りに寄ったパリでのファーブルさんの話、それと一握りの貴族と大多数のの貧乏人の現実と、加害者としての自分についてなどについて話をしました。関連のリンクを最後に貼っておきます。↓
長男と仲良しになってチキンを食べるアレックス
ソルボンヌを背景にファーブルさんと
北畑くんと渡辺さんの発表、どちらもしっかりと準備してたし、ポイントを押さえてて、ほんと感心しました。
なぜなぜアパルトへイト政権が誕生したのかと国民会議について少し補足しときます。
まとめの意味で、アパルトヘイト体制とアフリカ人の抵抗運動に関して箇条書きにしておきます。
第二次世界大戦で大きくヨーロッパの国力が低下
→それまで抑圧されていた人たちが独立・自由を求めて闘争
→南アフリカでも、旧世代に飽き足らない若者がANC青年同盟(1943)を結成してデモやストライキなどで激しく闘争を展開
→当時の与党イギリス系の統一党は事態の収拾が出来ず
→1948年に総選挙→アフリカナーの野党国民党はアパルトヘイト(人種隔離)をスローガンに掲げ、人種によって賃金の格差をつけ、本来社会の最底辺のプアホワイト=アフリカーナーの大半の農民を優遇することを約束
→白人人口の60%のうちの大半のプアホワイトが国民党に投票→オランダ系アフリカーナーが議席の過半数を獲得
→アパルトヘイト政権の誕生
→体制を強化(人口登録法で人種の明確化、集団地域法で居住区を限定、共産主義弾圧法で反体制勢力を弾圧)
→アパルトヘイト政権に対抗してANCの闘争は激化
→1955年にクリップタウン郊外で全人種による国民会議、自由憲章を採択→指導者156名を逮捕して裁判にかけ、全員の死刑をはかる
→結果的には無罪
(今日はこの辺りまで)
メールマガジンにまとめた分をリンクしときます。たぶん理解し易くなると思います。↓
→「南アフリカ小史前半」「モンド通信 No. 65」(2014年1月10日)
<次回>は
* シャープヴィルの虐殺(橋詰さん)
* リボニアの裁判(小野さん)
* 前回からの分の映像
時間があれば、少しでも「アフリカの蹄」を観てもらえたらと思ってるけど、時間あるかなあ。
<配ったプリント>
* The Struggle for South Africa②(B4表裏1)
* ANC History (BBC)(B4表1)/ Rivonia Trial (B4裏1、表裏1)
* ラ・グーマ関連(B4表裏2)
また、来週に。
メールマガジンに連載したあと、僕のブログに載せてある分のリンクです↓
→「ジンバブエ滞在記一覧」(「モンド通信」No. 35、2011年7月10日~No. 59、 2013年7月10日)
→「ジンバブエ滞在記⑬制服の好きな国」(「モンド通信」No. 47」、2012年7月10日)
→「ジンバブエ滞在記⑭ルカリロ小学校」(「モンド通信」No. 48」、2012年8月10日)
→「ジンバブエ滞在記⑮ゲイリーの家」(「モンド通信」No. 49」、2012年9月10日)
→「ジンバブエ滞在記⑱アレックスの生い立ち」(「モンド通信」No. 52」、2012年12月10日)
→「ジンバブエ滞在記⑲ロケイション」(「モンド通信」No. 53」、2013年1月10日)
→「ジンバブエ滞在記25『ジンバブエ滞在記』の連載を終えて」(「モンド通信」No. 59」、2013年7月10日)