ジンバブエ滞在記⑲ ロケイション

2020年2月27日2010年~の執筆物アフリカ,ジンバブエ

概要

横浜の門土社の「メールマガジン モンド通信(MonMonde)」に『ジンバブエ滞在記』を25回連載した19回目の「ジンバブエ滞在記⑲ ロケイション」です。

1992年の11月に日本に帰ってから半年ほどは何も書けませんでしたが、この時期にしか書けないでしょうから是非本にまとめて下さいと出版社の方が薦めて下さって、絞り出しました。出版は難しいので先ずはメールマガジンに分けて連載してはと薦められて載せることにしました。アフリカに関心の薄い日本では元々アフリカのものは売れないので、出版は出来ずじまい。翻訳三冊、本一冊。でも、7冊も出してもらいました。ようそれだけたくさんの本や記事を出して下さったと感謝しています。連載はNo. 35(2011/7/10)からNo. 62(2013/7/10)までです。

本文

ロケイション

ある時、音楽の話題になって、今ジンバブエでどんな歌が一番人気があるのと私が尋ねましたら、アレックスは「ミズミヤング」などの曲をあげてくれました。街に行けば、その歌のテープが簡単に手に入ると言うので、2人で出かけることにしました。

ウォークマンで音楽を聴くアレックス

大学でアレックスと待ち合わせて、大学からイマージェンシータクシー(Emergency Taxi)を使って街に出ました。ETは乗り合いのタクシーです。日本では馴染みはありませんが、利用者の多い2つの地点を結ぶもので、日本の乗り合いバスのタクシー版と考えればいいと思います。ただし、途中下車はなく、空席があれば途中でも拾ってくれます。ヴァン型の後部席の荷台と前の助手席に18人が詰め込まれます。普通は一杯になるまでは出発しません。
車を持てない大部分のアフリカ人は、仕事場のある白人街までバスかETを利用する場合が多いようです。うまく乗り継げない所は、歩くしかありません。ミスタームランボも、毎日2度ETを乗り継いだあと、45分も歩くんですよとぼやいていました。ETに使われている車はマツダ(MAZDA)が圧倒的に多いようです。

ミスタームランボといっしょに

料金はバスと同額で一律1ドルです。安い代わりに、窮屈な思いを強いられます。ETを利用してグレートジンバブエに行った経験のある吉國さんは、乗った時のこのままの姿勢で数時間ですよと、まるで満員電車の中にいるような仕草をしながら、その時の様子を教えて下さったことがあります。

アメリカ映画「遠い夜明け」の中で主人公のアフリカ人青年ビコが新聞社の編集長の白人ウッヅに「どうして俺たちのようにバスやタクシーを利用しないのか?」と問いかける場面を見て、タクシー?と疑問に思った記憶がありますが、あのタクシーはバスと同じ料金のこのイマージェンシータクシーだったわけです。

「遠い夜明け」の試写会でもらったパンフレット

何箇所かの店屋を回って3本のテープを買いました。1本が30ドル前後です。「ミュージシャンにはきつい時代ですよ、レコードでもテープでも、買う余裕のある人は非常に少ないんですから。ミュージシャンはみんな、他で稼ぎながらレコーディングをしています。」とアレックスが言います。

アレックスと一緒にみんなでまたシェラトンに出かけました。ゲイリーたちより2日遅れのお別れ会です。みんなで一緒にお別れ会をしてもよかったのですが、それぞれ接し方も思い入れも違いますので、別々の機会を持ちました。アレックスは、その日のために「食事を2回飛ばしてくるぞ!」と固い決意を見せていました。

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アレッククスと従業員の人といっしょに

ゲイリーは聖歌隊で歌うためにシェラトンに来たことがあったそうで、アレックスは教員の新任研修で丸2週間滞在した経験があると言います。普段はとても利用できないこの豪華なホテルを使って「これから君たちが新しい国造りをするように……。」と若い教員に政府の意気込みを見せようとしたのでしょうか。

また、みんなお腹一杯に料理を詰め込みました。飲みすぎたビールで私もアレックスも顔が真っ赤です。アレックスはもう動けませんと唸っています。

食事のあと、ホテルの職員に国際会議場をはじめ、ホテル内の施設を見せてもらいました。この前来た時に、子供たちが2人の職員と仲良しになり、今度来たときはお父さんやお母さんも一緒にホテル内を案内してあげようという約束をしてもらっていたようです。言葉もそれほど解らないはずなのに、子供の好奇心と柔軟性は大したものです。大人にはとても真似出来そうにありません。

お蔭様で、国際会議場も見せてもらいました。何とも豪華なものです。こんな会場で会議をしたあとホテルで存分に寛げば、ジンバブエも欧米諸国と何ら遜色はない、そんな錯覚に陥ったとしても不思議はありません。

シェラトンホテルでアレックスといっしょに

大半の人がその日の食事に事欠いている現実を見せつけられているだけに、その豪華さはどこか不釣り合いに思えました。「経済が自分たちでコントロール出来るようになって、いい政策が実施出来れば、人々もやる意欲を持てるのですが……いくら何でも不公平ですよ。」と言ったアレックスの言葉が思い出されて仕方がありませんでした。

アレックス

帰る前に、行ってみたいところがありました。ロケイションです。最初から、一度は訪ねてみたいと考えていました。アレックスに頼みましたら、意外と気軽に応じてくれました。今泊めてもらっている従妹の家まで連れていってくれると言います。

家庭教師を頼んだ時点ではまだ寮にいましたが、冬休みになって寮を追い出されたアレックスは、仕方なくロケイションにいる従妹の家に泊めてもらい、そこから毎日通って来てくれていたのです。

9月29日、9時半にアレックスと街で待ち合わせました。ラッシュは避けるという話になっていました。帰国する4日前です。

街の中心より南寄りのバス発着所の近くでETに乗りこみました。ラッシュ時ではありませんでしたが、バスの発着所は人で一杯でした。その辺りにいるのは、アフリカ人だけです。

街の中心部から南西の方角に10キロほど離れたグレンノラ地区に住む従妹の家に行くまでに、2度ETを乗り換えました。直通のETはないようです。まずムバレに着きました。この国最大のスラムで、1番の密集地だそうです。ゲイリーがお父さんと住んでいた地区で、たくさんの人です。大きな青空市に連れて行ってくれました。ムバレムシカという有名なマーケットだそうです。
衣類や装飾品など、たくさんの品物が並べられていました。外国の品物もあるようです。次に、近くの市営住宅の中を歩きました。鉄筋コンクリート4、5階建ての、日本の市営住宅や県営住宅と似ています。ただ、1部屋にかなりたくさんの人が住んでいるようです。排水事情も悪く、全体にうらびれた感じがしました。途中で、ひとりのおばあさんが2人の方に大きな罵声を浴びせかけてきました。ショナ語のようです。何と言ってるの?とアレックスに尋ねましたが、ばつが悪そうに笑っているばかりでした。何かに怒りをぶちまけているようですから、アレックスも言い難いに違いありません。詮索はしませんでした。やはり、私がここにいるのが場違いなのでしょう。

またETに乗り、別のショッピングセンターで乗り換えました。今度はしばらく待ちました。ひとりのアフリカ人の男性が、大きな声でアレックスにショナ語で話しかけています。横にいるのはお前のボスかって聞いていますよとアレックスが小声で耳打ちしてくれました。ボスなら金を持っているだろうから、一杯になるのを待たずにETを借り切らないかという誘いのようで、ロケイションでの外国人はボスが相場のようです。しかし、ボスかと聞かれても、アレックスも私も答えようもなく、何とも複雑な心境です。

グレンノラ地区に着きました。ずーっと一戸建の家が続きます。
電気や水道も通っているようす。道から少し入ったところに従妹の家がありました。挨拶のあと、部屋の中に入れてもらいました。2つの部屋は人に貸していて、周りのどの家もそうだと言います。電気は通っていますが、実際には使っていないそうです。
そうでないとやっていけないと言います。恥ずかしそうにしていた2歳の女の子が近くまで来て、踊りを披露してくれました。小さいのに、腰を使ってさまになっています。メイビィに似て陽気です。初めて白人を見て、興奮しているんですと母親が言ってますよとアレックスが笑っています。この女の子の目には、私は白人と映るのでしょうか。アレックスはここから通ってくれているわけですが、夜は電気なしの生活だそうです。昼間は大学の図書館で本を読んでいますが、5時に閉まるので困りますと言います。

しばらく話をしたあと、家を出て、帰りはバスに乗りました。バスは直通でハラレまで行くようです。バスに乗る前に、また酒場に連れていってくれました。人影もまばらで、ゲーム機なども備えつけられていました。

バス乗り場では15分ほど待ちましたが、バスはさほど混んでいませんでした。入り口のドアはありません。工業地帯を抜けて、バスは進みます。予想以上にたくさんの工場があります。乗客は大人しく、そのバスのスピードは、早いとは思いませんでした。

街に着きました。2人でウィンピーというレストランに入って食事をしましたが、アレックスは終始不機嫌そうでした。

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ハラレの街の出店

「この1ヵ月、白人地区とロケイションを行き来して、大変でしたね。心のバランスが取れなかったんではないですか?」
「…………。」私の方もうまく言えませんでしたが、感受性の強いアレックスの心の綾が、何となく私には理解出来たような気がして、心がますます沈んでいきました。

食事が済んだ2人は外に出ました。辺りはすでに暗くなっていました。アレックスは遠くの方を見つめながら、1度大学に戻りますと呟きました。(宮崎大学医学部教員)

アレックス

執筆年

  2013年1月10日

収録・公開

  →「ジンバブエ滞在記⑲ロケイション」(No.53)

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