つれづれに

つれづれに:日常

 10月も終わり、気がつくともう来年である。

日常が何気なく大事に思えるようになって久しい。毎日1時間ほど歩き、たくさんの種類の食べ物を摂り、根菜類主体の野菜スープや甘酒を飲む。一度体調を崩しかけてから、出来るだけ仕事量を減らし、充分に寝る、そんな何気ない日常がとても大切に思えるようになった。腰を痛め、前立腺肥大の生体組織検査をしたり、手術で入院したりすると、ますますその思いが強くなっている。退院してだいぶ経つがそんな日常をすっかりは取り戻していない。今日は、まず1時間ほど歩こうとでかけた。家から少し東の大きな道に出ると、加江田の山の遠景(↑)が待っている。

 高台の公園の長い階段を上るか、上の公園に登る車道を歩いて上ることもあるが、大抵は高台の側面の山肌(↑)を登る。いつの頃からか、西の斜面の大きな杉を切って下の方に柑橘類を植えている。毎年実をつけるが、今は黄色くなる前に落ちる実(↓)もある。毎年、落ちた日向夏の実をもらって帰っている。野菜にかけるとほんのり甘くて爽やかで食べやすい。

 腰を痛める前は、その山肌を10回ほど往復していた。30代の前半からマッサージでお世話になった人が「樵の人がいいですな。山を登ったり降りたりする運動は、体に一番でっせ」というのを、のぼっている時によく思い出す。だから、一日10回ほど昇り降りできれば、体には一番なのはわかっているのだが、実際に続けるのは難しい。そこへ行けない時もある。今回のように、行きたくても行けない時もある。それが、歳を取るということかも知れない。

 のぼると、高台の公園(↑)である。人がいない時もあるが、土日でない時も何人かいる時もある。西側はきれいに晴れていれば、尾鈴の山々が見える。東側には樹々の間から、青島(↓)が見える。考えれば、山の緑に澄んだ日向灘、住むにはいい所だ。

 毎年どくだみ(↓)を摘むようになってから何年かになる。意識すると、色んな所に生えているのに気づく。この時は、散歩道の途中の道の脇に生えている場所まで行って摘んだ。木通にしろ、どくだみにしろ、ある日、一瞬で消える運命にある。雑草の部類に属しているからである。木通の実がなるにはだいぶ歳月が必要である。しかし、雑草だと判断されて、樹の根元からばっさりと切られてしまう。どくだみも、ある日、草刈りの手が入ると叢そのものが刈られてしまう。しかし、この時期に、二番草が生える。柔らかくて、香りもいい。摘んだどくだみは、風呂に浮かべる。豊かな気分が味わえる、しかし、毎日摘んで来るのは至難の業である。

 どくだみを摘んだあとは、久しぶりに木花神社(↓)に行った。近くの竹を確認するつもりもあった。無人で、普段はめったに人は見かけない。年に何回かは宮司も来て、行事が行われているようだ。地元の人が恒例の行事の担い手である。

 展望所があって、南側は加江田の山々の東の端である。総合運動公園やサンマリーン球場や青島も見える。山の裾には田んぼが広がる。もう少しすれば、超早生米に向けて、田起こしが始まる。白鷺や烏が、耕運機の後をついて歩く。この時期の年中行事である。

 そろそろ西条柿が色づいてきた。梯子を樹にかけて、先日45個取り入れた。剥いて湯煎して吊るせたのは15個だけである。なかなか剥き切れない。明日と明後日は雨になりそうだから、取り入れた柿が熟してしまわないか心配である。

 先週は雨の日が多かったので、去年の悪夢(→「柿干せど」、2024年10月23日)が蘇らないかと心配だった。雨が続いて、干しても、虫や蛾が群がり、乾かないままぼとりと落ちてしまった。悪臭といい、ぼとりと落ちる光景がまだ目に残っている。生り年で500個余りも生ったのに、全滅だった。今年は生り年の翌年なので生らないものと思っていたが、どうやら100個ほど生っているようである。500個にくらべて、一つ一つの実も大きい。15個は干して吊るせている。残りの柿を剥いて、干せるのを祈るばかりである。

日常の有難さを、充分に味わっているようである。

「柿干して 今年も暮れる」(2003年12月11日)、→「干した柿に、ひよも飛んできて」(2004年11月27日)、→「寒空に、祭りの後の花火が儚げに」(2005年11月20日)、→「渋柿を吊せなかった、今年が暮れる」(2008年12月31日)、→「過ぎ行く秋の陽に、柿を干す」(2011年11月23日)、→「句も出ず、霧島降ろしに柿を干す」(2011年11月23日)、→「今年も過ぎて行くようです。」(2014年12月29日)、→「昨日やっと柿を干しました」(2017年10月30日)、→「西条柿6個」(2021年10月23日)、→「かき顛末記③西条柿」(2022年12月18日)、→「かき顛末記②」(2022年12月17日)、→「かき顛末記」(2022年12月7日)

つれづれに

つれづれに:10月も半ばを過ぎて

10月 秋立ちぬ(サンダンス) (3号)

9月 (ぴのことジョバ)青い街(3) (2号)

 10月も半ばを過ぎている。今回もカレンダーを更新できずに、2ヶ月分を載せることになった。吉祥寺にいる娘は寒いのが苦手、こっちと代わって、こっちも代わってほしいと母と娘で遣り取りしている。3年続きで、10月の半ばを過ぎてもまだ日中の最高気温が30以上である。しかし、昨日から北東の風が吹いて雨も降り、少し気温が下がり始めている。月曜日くらいからは、下が22℃くらいになるらしい。植物は暑さ寒さに対応する幅があるようで、例年通りしっかりと柿(↓)も色付き始めて、芒もあちらこちらで見かけるようになっている。

 先週は熱中症気味でやられたかなと思ったが、早めに対策したので、何とか持ち直した。先々週に、暑い最中に長時間自転車に乗ったのがじんわりときいていたらしい。出来るだけ外出は控えましょう、は人ごとではなかったわけである。

 この時期になって、瓢箪南瓜(↑)の実がつき始めた。今年はわりと早い時期に竹の柵(↓、解体作業中)を拵えて肥料も入れたが、それがよくなかったらしい。最初の頃は葉っぱばかりが繁り、花が咲いても実をつけなかったり、途中で変色して消えてしまったり。1本の蔓に7~8個はなるものらしいから、70、80個はなってもおかしくないのに、今のところ十数個である。南瓜は肥料なしの方がたくさん実がなるものらしい。

 9月末と10月の半ばに、小説は投稿した。最近はウェブで投稿できるので原稿用紙を綴じて、郵送するという手間が省ける。ただ、相手次第なので、先行きは相変わらず見えない。教授選といっしょで候補者には投票権がない。相手任せである。次回は3月末に2つ出す予定で、どちらも400字で250枚と300枚らしい。1つは3日ほど前から書き始めている。100枚ほど書いたところだ。先の見えない旅路が続く。考えれば、小説を書きたいと思って大学の職を探したくらいだから、やりたいことがやれているので、有難い話である。

赴任当時の旧宮崎医科大学(ホームページより)

 きのう、長崎のオムロプリントから2026年のカレンダーの見本が送られて来た。いつも専属の人が表紙や各月の構成や色合を考えてくれる。今年も、なかなかの出来栄えである。有難い。表紙と8月は、注文をして下さった東京の方の愛犬である。お気に入りのうさちゃんの人形がかわいい。名前がりりーちゃんなので、百合の花が豪華である。僕はいつものように、花屋を巡って材料の調達係だった。写真ではなく、生きた花を見ながら描いているので、勢いもある。毎年、最後は寝不足になるので、来年は個展が終わったら準備を始めようと言っている。恒例行事である。

リリーちゃんと百合:2026カレンダー表紙