つれづれに:日常(2025年10月29日)

つれづれに

つれづれに:日常

 10月も終わり、気がつくともう来年である。

日常が何気なく大事に思えるようになって久しい。毎日1時間ほど歩き、たくさんの種類の食べ物を摂り、根菜類主体の野菜スープや甘酒を飲む。一度体調を崩しかけてから、出来るだけ仕事量を減らし、充分に寝る、そんな何気ない日常がとても大切に思えるようになった。腰を痛め、前立腺肥大の生体組織検査をしたり、手術で入院したりすると、ますますその思いが強くなっている。退院してだいぶ経つがそんな日常をすっかりは取り戻していない。今日は、まず1時間ほど歩こうとでかけた。家から少し東の大きな道に出ると、加江田の山の遠景(↑)が待っている。

 高台の公園の長い階段を上るか、上の公園に登る車道を歩いて上ることもあるが、大抵は高台の側面の山肌(↑)を登る。いつの頃からか、西の斜面の大きな杉を切って下の方に柑橘類を植えている。毎年実をつけるが、今は黄色くなる前に落ちる実(↓)もある。毎年、落ちた日向夏の実をもらって帰っている。野菜にかけるとほんのり甘くて爽やかで食べやすい。

 腰を痛める前は、その山肌を10回ほど往復していた。30代の前半からマッサージでお世話になった人が「樵の人がいいですな。山を登ったり降りたりする運動は、体に一番でっせ」というのを、のぼっている時によく思い出す。だから、一日10回ほど昇り降りできれば、体には一番なのはわかっているのだが、実際に続けるのは難しい。そこへ行けない時もある。今回のように、行きたくても行けない時もある。それが、歳を取るということかも知れない。

 のぼると、高台の公園(↑)である。人がいない時もあるが、土日でない時も何人かいる時もある。西側はきれいに晴れていれば、尾鈴の山々が見える。東側には樹々の間から、青島(↓)が見える。考えれば、山の緑に澄んだ日向灘、住むにはいい所だ。

 毎年どくだみ(↓)を摘むようになってから何年かになる。意識すると、色んな所に生えているのに気づく。この時は、散歩道の途中の道の脇に生えている場所まで行って摘んだ。木通にしろ、どくだみにしろ、ある日、一瞬で消える運命にある。雑草の部類に属しているからである。木通の実がなるにはだいぶ歳月が必要である。しかし、雑草だと判断されて、樹の根元からばっさりと切られてしまう。どくだみも、ある日、草刈りの手が入ると叢そのものが刈られてしまう。しかし、この時期に、二番草が生える。柔らかくて、香りもいい。摘んだどくだみは、風呂に浮かべる。豊かな気分が味わえる、しかし、毎日摘んで来るのは至難の業である。

 どくだみを摘んだあとは、久しぶりに木花神社(↓)に行った。近くの竹を確認するつもりもあった。無人で、普段はめったに人は見かけない。年に何回かは宮司も来て、行事が行われているようだ。地元の人が恒例の行事の担い手である。

 展望所があって、南側は加江田の山々の東の端である。総合運動公園やサンマリーン球場や青島も見える。山の裾には田んぼが広がる。もう少しすれば、超早生米に向けて、田起こしが始まる。白鷺や烏が、耕運機の後をついて歩く。この時期の年中行事である。

 そろそろ西条柿が色づいてきた。梯子を樹にかけて、先日45個取り入れた。剥いて湯煎して吊るせたのは15個だけである。なかなか剥き切れない。明日と明後日は雨になりそうだから、取り入れた柿が熟してしまわないか心配である。

 先週は雨の日が多かったので、去年の悪夢(→「柿干せど」、2024年10月23日)が蘇らないかと心配だった。雨が続いて、干しても、虫や蛾が群がり、乾かないままぼとりと落ちてしまった。悪臭といい、ぼとりと落ちる光景がまだ目に残っている。生り年で500個余りも生ったのに、全滅だった。今年は生り年の翌年なので生らないものと思っていたが、どうやら100個ほど生っているようである。500個にくらべて、一つ一つの実も大きい。15個は干して吊るせている。残りの柿を剥いて、干せるのを祈るばかりである。

日常の有難さを、充分に味わっているようである。

「柿干して 今年も暮れる」(2003年12月11日)、→「干した柿に、ひよも飛んできて」(2004年11月27日)、→「寒空に、祭りの後の花火が儚げに」(2005年11月20日)、→「渋柿を吊せなかった、今年が暮れる」(2008年12月31日)、→「過ぎ行く秋の陽に、柿を干す」(2011年11月23日)、→「句も出ず、霧島降ろしに柿を干す」(2011年11月23日)、→「今年も過ぎて行くようです。」(2014年12月29日)、→「昨日やっと柿を干しました」(2017年10月30日)、→「西条柿6個」(2021年10月23日)、→「かき顛末記③西条柿」(2022年12月18日)、→「かき顛末記②」(2022年12月17日)、→「かき顛末記」(2022年12月7日)