つれづれに: 歩くコース1の③・・・(2021年7月8日)
歩くコース1の③
歩くコース1の②の続きである。
二つ目の三叉路を左折、緩やかな坂を下る
水道局の加圧基地から少し歩くと右側に一軒の廃屋が見える。以前は老夫婦が住んでいた。トタンで出来たおそらく6畳と4畳半くらいの建物が崩れている。中のものはそのままのようである。南側は崖の竹林、北側にも大きな樹が何本か植わっていて、建物には陽が入らないので、年中暗くてじめじめしている。ときどきドアが開いていて、土の土間の裸電球が見えた。
僕が生まれた播州の小さな町の家も同じようなものだった。戦後のどさくさに急増された粗末な一軒家のひとつで、屋根が油紙では危ないからと消防署から言われてトタンを張ったそうである。親戚が固まって住んでいたようで、従弟も何人かいた。暗い、穢い、臭いイメージしかない。貧乏人は自分が貧乏だという自覚に欠ける。その場所が当たり前で、決して自分から出て行こうとしない。その意識が一番嫌だった。赤痢や疫痢がよく流行(はや)り、どぶやそこら中にDDTの白い粉が撒かれていた記憶がある。僕は疫痢にやられ、姉は2回も赤痢に罹(かか)り死にかけたそうである。
行くところがなくて入った大学の夜間学生だったが、なぜか将来にテキストを作ったり、翻訳はしたくないなと思っていたが、よりによって、ケープタウンのスラムの話の日本語訳を出版してもらうことになった。雨漏りの音や、暗い、穢い、臭いイメージなどが感覚的にわかったのは皮肉な話である。
ナイジェリア版表紙(神戸市外国語大学黒人文庫所蔵)
『まして束ねし縄なれば』表紙(小島けい画)
編註テキストの付録の地図(空港のマークの下の黒塗りの辺りのスラムが舞台)
最近翻訳の経緯についてまとめた。→「アングロ・サクソン侵略の系譜28:日本語訳『まして束ねし縄なれば』」(玉田吉行)
作者のアレックス・ラ・グーマを読むようになった経緯については→「MLA(Modern Language Association of America)」(続モンド通信15、2020年2月)、テキストについては→「A Walk in the Night」(続モンド通信30、2021年4月)に、作品については→「『三根の縄』 南アフリカの人々①」(『三根の縄』はのちに『まして束ねし縄なれば』と改題)、「ゴンドワナ」16号14-20頁、1990年8月)と→「『三根の縄』 南アフリカの人々②」「ゴンドワナ」17号6-19頁、1990年9月)に書き、翻訳こぼれ話のようなものも少し書いた。→「ほんやく雑記④『 ケープタウン第6区 』」(「モンド通信 No. 94」、2016年6月19日)、→「ほんやく雑記③『 ソウェトをめぐって 』」(「モンド通信 No. 93」、2016年4月26日)、→「ほんやく雑記②「ケープタウン遠景」」(「モンド通信 No. 92」、2016年4月3日)
廃屋の西側に八朔の樹があって、主(あるじ)が居なくなっても、毎年実をつける。去年は何個かもらって帰り、半分に切って金木犀の樹に刺した。年末から春先まで、山に餌がなくなるのか、鳥たちが実を啄(つい)ばみにやって来る。宮崎に来る前の朝霧の家では、たしか梅の木に二つ切りの蜜柑を刺していた。目白や鵯(ひよ)などが多かった。
まだ落ちないで実をつけている八朔