つれづれに:フィクション(2023年7月26日)

つれづれに

つれづれに:フィクション

 白浜の砂の多い部分を探して撮った

 「今日も白浜に手入れをしてもらいに行って来ました」と1回で書くつもりが、4回(→「白浜に」、→「白浜に2」、→「青島と少年」、→「青島→白浜」)になった。最終回の最後につけた箇所は実際とは違う。

 「今日は8時台に雨が降り始めた。そう多くはないが、これで今日も水遣りをしなくて済む。ほんとうに恵みの雨である。こういう風に水を撒く手間を省いてくれる程度ならいいが、そのうち外に出てはいけないほどの雨風ややってくる。すでに先日も台湾や沖縄が台風にやられたという報道があった。雨のために出るのが遅くなったが、10時台にまた歩きに出た。今日も木花神社→農産物店→木花駅→木花小中学校脇を歩いて来た。1時間余りである。今日も2箇所でどくだみ(↓)を摘んできた。汗もかけたし、風呂に浮かべて汗を流すとしよう。」

 10時台に歩きに出なかったので、どくだみも摘めなかった。風呂に入って汗は流したが、歩いて来た汗でなかったわけである。

すぐにブログを訂正しようと思ったがそのままにして、フィクションについて書くことにした。今書いてる小説の中でよく使う手口である。事実のある部分を書きかえるわけである。もちろん、大きな枠の中で組み替えたり、設定そのものを変えたりのようにそう大がかりなものではないが、あるものを基にして修正を加えるわけである。取ってつけたような感じもよくないし、流れにそぐわないで不自然になるのもよくない。この場合、普段も歩きにでかけているので、少しくらい書き換えても信憑性については大丈夫だ。

何を書くかは人によって違うが、私の場合、取り敢えず今まで生きて来た現象の深層を言葉にしようとしている感じがする。出版社の人によく言われた意識下の原言語を、意識上の言葉に変えて表現する、どうもその作業をしているような気がする。書き始めに意識下に眠っている原言語を大枠を決めて書き始める。一般に言われるプロットを決めて書き始めるわけである。4作目を今チェックしているが、ラ・グーマ(↓)のように書く前に大体が完成しているというようなことは一切ない。たぶん、頭の構造や思考形態そのものが違うのだろう。

 今日でチェックの1回目は終わりそうで、あと3日ほど集中して5回目を終えて、ウェブで送ろうと思っている。少し前から5冊目の大枠を考えているが、外国(↓)の話を絡めたものになりそうである。

<追記>

今日は歩きに出かけられた。木花神社→農産物店→木花駅→木花小中学校脇の1時間余り。どくだみも取って来た。ただし、今日は高台の公園の出口は西側の道で墓の横を通った。階段を上がった辺りで陽が照り出し、西側の木陰を通ったので、そのまま西側の出口を利用したわけである。その途中の空き家でどくだみを見つけて明日の分を摘んだ。明後日の分は木花神社の忠魂碑(↓)裏の空き地で取った。だいぶどくだみのある気配を感じるようになった。その目で見たら、いろんなところにある。