アフリカ系アメリカ小史④公民権運動

2020年2月25日2010年~の執筆物アフリカ系アメリカ

概要

前回は「アフリカとその末裔たち」(Africa and its Descendants 1)の3章「アメリカ黒人小史」("A Short History of Black Americans")の③で、北軍が占領政策を行なった再建期と復活した南部の寡頭勢力による反動について書きました。

今回は第二次世界大戦後、ヨーロッパの総体的な力が落ちたとき、それまで抑えつけられていた第3世界の人たちが1950年代、60年代に独立を求めて闘いました。アメリカ国内では、法的に解放されながら基本的には余り変わらなかったアフリカ系アメリカ人が立ち上がって闘いました。今回はその公民権運動についてです。

『アフリカとその末裔たち』

本文

公民権運動

南北戦争に負けても、奴隷貿易や奴隷制で資本を蓄め込んだ南部の大農園主たちは滅びませんでした。金持ちは死なず、です。反動勢力は強力で、占領軍が出した「法の平等保護条項」(イコール・プロテクション)を保障する修正第14条をめぐる裁判で、連邦最高裁は州政府による「分離平等政策」(分離すれど平等)を退けることが出来ませんでした。

連邦最高裁で「公立学校での人種隔離は違憲である」という判決が下ったのは、1954年です。もちろん判決を勝ち取ったのは長年挫けずに法廷で闘い続けた人たちがいたからですが、実際にはもっと大きな力が働いていました。時の流れです。

「アメリカの20世紀 第6回 黒人の体験~”平等”への戦い~」(1983年米国デビッド・グラビン・プロダクション制作1984年NHK教育、原題:A Walk through the 20th C with Bill Moyers)でこの判決を次のように紹介しています。

1954年という年は国際的なビッグニュースがいくつもありました。インドシナではフランス軍が破れました。イランでは一時亡命していたファーレリ国王がアメリカの梃子入れで返り咲きました。赤狩りで一躍有名になったマッカーシー上院議員がアメリカ陸軍まで非難して自らの墓穴を掘ったのもこの年でした。またこの年、マリアン・アンダーソンが黒人歌手として初めてメトロポリタンハウスの舞台に立ちました。マーチン・ルーサー・キング牧師はアラバマ州モントゴメリーのバプテスト教会に赴任しています。連邦最高裁判所が公立学校での人種差別は憲法違反であるという画期的な判決を下したのもこの年でした。

マーチン・ルーサー・キング牧師

アメリカの独立宣言は人間の自由平等の権利を謳っていますが、それは現実には白人だけが享受してきた権利でした。事実この国の憲法は黒人に対してはこの権利を長い間拒んで来ました。黒人は奴隷でその身分は国が独立しても同じでした。1776年の独立宣言から奴隷制度の廃止まで90年もかかっています。その後も人種差別は根強く残り、1896年に連邦最高裁判所は「分離すれど平等」という苦肉の策を打ち出したものです。公立学校での平等という判決が出たのは1954年です。

アフリカと南アフリカの歴史でも書きましたが、変革の嵐(The wind of change)という時の流れを生んだのは第二次世界大戦で、白人同士が殺し合って総体的に力が落としたために、それまで長い間虐げられ続けて来た人たちが立ち上がり始めました。アメリカにもその変革の嵐が吹き寄せたたわけです。

 

1954年の判決を受けてアーカンソー州リトルロックのセントラル高校では判決に州が抵抗して混乱を極めました。1963年にはアラバマ州立大学のフォーバス知事は学生の入学を阻止するために建物の入り口に立ちふさがりました。

多くの公民権運動指導者に導かれて、バスボイコット運動やレストランでの座り込み運動など、様々な非暴力の運動が展開されました。1963年にはワシントンに25万人(推定)もの人たちが集まり、キング牧師は「私には夢がある」という有名な演説をしました。最初に約束手形を現金化するためにやって来ましたと言いましたが、奴隷解放宣言が空手形で、奴隷解放宣言後も平等を謳う合衆国憲法と現実とがかけ離れていたからです。

ワシントン大行進で壇上から手を振るキング牧師

1964年には公民権法が成立しました。

公民権運動で一番注目されるのはマルコムとキングで、多くの人を引きつけました。

回教団のスポークスマンとして白人社会に過激な発言を繰り返して挑みかかっていたマルコムも、回教団を去り、暗殺される直前には、白人への戦いをアメリカ国内だけの人種闘争で終わらせずに、世界中に見られる格差を是正するための人種闘争の一環にすべきであるという境地に到達しています。

画像

(マルコム・リトゥル:小島けい画)

人種闘争を国内の問題として捉えていたキングも、マルコムの死後、公民権運動の行き詰まりを感じるなかで、活動の目的を黒人の解放だけではなく、すべての虐げられた人の救済に置くべきだと考え始めていました。二人とも若くして暗殺され、志を遂げることは出来ませんでしたが、二人の思想は今もいろんな人たちに影響を及ぼしています。

リトルロックの高校事件を扱った「アーカンソー物語」(1980、原題:Crisis at Central High、 http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=3)、「いつも心に太陽を」のシドニー・ポワチエ主演で、黒人エリート医師と大富豪の娘との結婚をめぐる「招かれざる客」(1967)、原題:GUESS WHO’S COMING TO DINNERhttp://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD8577/index.html)、スパイク・リー監督、デンゼル・ワシントン主演、アレックス・ヘイリー『マルコムX自伝』を元にした「マルコムX」(1992)、原題:MALCOLM Xhttp://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=22534)はお薦めです。(宮崎大学医学部教員)

アフリカ系アメリカ小史④では、「ブラック・パワー」(BLACK POWER)について、英文で書きました。日本語訳もつけた全文は→ https://kojimakei.jp/tamada/works/africa/ZimHis9.docx(画面上に出てくるZimHis9.docxです。)アドレスをクリックすれば “A Short History of Black Americans” in Africa and Its Descendants「アメリカ黒人小史」:『アフリカとその末裔たち』(Mondo Books, 1995; 2009; Chapter 3) のワードファイルをダウンロード出来ます。

執筆年

  2014年6月10日

収録・公開

  →「アフリカ系アメリカ小史④」(No. 70  2014年6月10日)

ダウンロード・閲覧

  「アフリカ系アメリカ小史④」