つれづれに:映像1976年(2024年4月29日)

つれづれに

つれづれに:映像1976年

 2回目にエボラ出血熱が流行した際の映像が残っていたのは嬉しかった。1976年にコンゴで未知のウィルスが発生したときに、アメリカから2人の医師が現場にかけつけた時の映像である。2005年のドキュメンタリー(↑)の中で、その映像を見つけた。1回目の発生についてはウェブでも調べてある程度は概要を把握していたので、映像は有難かった。

 「アフリカシリーズ」で見たコンゴの独立(↑)とコンゴ危機の映像は目に焼き付いていた。ベルギーから独立を果たし、民衆に選ばれた首相ルムンバが、アメリカに担がれたモブツに率いられた軍隊に飛行機から引き下ろされ連行されて、後に惨殺されたときの映像である。ルムンバ内閣の1員だったモブツに目をつけたアメリカが担ぎ出したわけだが、その映像には精悍(せいかん)な若き日のモブツ将校(↓)が闊歩(かっぽ)している。30年後の肥ったモブツ(↓)の映像をCNNのニュースで突き付けられたとき、後世畏(おそ)るべしを実感した。後の世代は、30年前の映像と30年後の映像を同時に見比べられるのだから。これを文字通り一目瞭然(りょうぜん)というのだろう。

 1976年の映像は、米国GBH局で2005年に製作された「人類の健康を守れるか(RX for Survival?)」という4回シリーズのドキュメンタリーの3回目「エイズ・鳥インフルエンザ対策」の中で紹介されていた。当時私は、エイズで外部資金を交付されていたので、資料探しの意味もあってかなりの衛星放送を予約録画していた。謝金も使えたので、映像や音声の編集も学生に手伝ってもらえた時期である。

 米国疾病予防センター(CDC、↑)から派遣された2人の医師ジョー・ブレミング博士と同僚が見たものは、大半の医療関係者やパイロットが完全なパニック状態に陥っている異様な様子だった。教会に行く途中で火が見えた。村人が自分たちの小屋を燃やしていた(↓)のだ。精霊を殺す伝統的な手法を信じる村人には他に術がなかったのだろう。教会から修道女が飛び出して来た。医者は中に入ったときの感想を「私が今まで見てきた中でも最も哀しい光景です」と語っている。

 番組は「日々刻々とより国際化しつつある世界では、すべての感染症の脅威は実際に増しつつあります。ヒト免疫不全ウィルス(↓)のような慢性的な殺し屋を制御することは可能でしょうか。鳥インフルエンザのような致死的な脅威を死者が増える前に止めることが出来るでしょうか。一体どれくらい私たちは安全なのでしょうか?これからお送りするのは生き延びるための処方箋についてです」で始まってる。

 一般教養と医学を繋(つな)ぐためにエボラ出血熱に目を向けて始めたのだが、映像から思わぬ視界が開けた。1976年の様子を再現した映像もみつかったし、1995年の肥ったモブツと1963年の軍服姿の精悍なモブツを見比べることができた。アフリカの世界を広げてくれたのは「アフリカシリーズ」だが、その映像がますます意味を持っていく。次回は精悍なモブツがアメリカに踊らされたコンゴ危機と、独立である。