つれづれに:海外事情研究部(2022年8月26日)

2022年8月26日つれづれに

HP→「ノアと三太」にも載せてあります。

つれづれに:海外事情研究部

 宮崎に来た次の年に、非常勤で顔を合わせるようになった女性から講演を頼まれた。その人が顧問をしている海外事情研究部が大学祭で講演会を企画しているので、そこでアフリカの話をしてほしいということだった。宮崎でアフリカの話を頼まれるのは初めてだったので、事情を聞いた。海外事情研究部は、海外渡航や他大学との交流などの広範な活動をしているサークルだった。部が出来てからその年が25年目で、その年の統一研究テーマが「アフリカ」だったらしい。活動の一環で大学祭でアフリカ関係の講演会を開くので、私が顧問の人から頼まれたというわけである。顧問の人は県北の私大(↓)の講師で、私と同じ日に非常勤に来ていて、私と同じように誘われて教育学部の助教授の人の部屋にお昼を食べに来ていた。

 実践的な英語をやっていたようで、友人の福岡アメリカ文化センターの副センター長を紹介してくれた。特に興味があったわけではないが、いっしょにアメリカ文化センターに行ったことがある。アメリカ文化センターは、終戦直後のアメリカ化の一環でいくつかの都市に創られたようで、昔神戸にもあったと聞いたことがある。古本屋で見つけたカーター・G・ウッドスンの『私たちの歴史の中の黒人』という本の裏扉にアメリカ文化センターの蔵書印が押してあったのを思い出した。誰かが返却しないで売り飛ばしたか、廃棄処分にしたものが流れたのか、どっちやろ?としか思い浮かばなかったが‥‥。本は印字も剥げかけて古びていたが、黒人が初めてハーバードで博士号を取った人の本で、アメリカ黒人の歴史を辿る時は必読の本である。探していたので、僅か1000円で手に入ったのは幸運だった。センター長はアメリカ人で、実質的にセンターを運営しているのは日本人、如何にもアメリカの政策らしい。敗戦からずいぶんと経つのに、後遺症は残っているということか。

部長と顧問の人と

 大学では部員から大歓迎を受けた。大きな広い講義室で、日本人全般が持っているアフリカ観、この500年余りのアングロ・サクソン系の侵略の過程で植え付けられた白人優位・黒人蔑視の意識などについて話をしたあと、南アフリカに入植したオランダ人とイギリス人の話を、アパルトヘイトと日本の関係などを詳しく解説した。今なら映像や音声を交えながらやると思うが、その時はタイトルの「アフリカを考える—アフリカ、そして南アフリカ」を念頭に置きながら、黒板に南アフリカの地図を書いて、「自己意識と侵略の歴史」の話をした。アフリカを考える機会になってくれていたら嬉しい限りである。

 講演会の後、部員に部室に誘われてしばらく話をした。部長の人はリーダーシップがありそうなタイプで、全国唯一剪定師の資格が取れるのでこの大学にきましたと言っていた。部室は煙草の煙りで一杯だったが。この部長は「いつか南アフリカに行ったら、連絡します」と言い、その後も研究室に来てくれた。居合わせた医学生から大学祭での審査員を頼まれて、大学祭にも参加してくれたようである。卒業後は千葉に帰って起業したらしいが、ある年、南アフリカのおみやげがどっさりと送られてきた。「南アフリカに行って来ました。たまさんが話してくれた通りの南アフリカでした」と中の手紙に書かれてあった。「ラ・グーマの育ったケープタウンに家族で行くつもりで在外研究の申請をしたが、文化交流の禁止を理由に文部省に却下されて、僕は南アフリカに行けずじまいやけどなあ」
次は、歯医者さん、か。

講演の内容を「自己意識と侵略の歴史」にまとめて「ゴンドワナ」(1991年)に書いた