ZoomAA2f:戦士(2024年1月18日)

つれづれに

つれづれに:戦士

 アメリカのテレビドラマ→「『ルーツ』」の主人公のクンタ・キンテ(↑)は自分たちのことを戦士(warriors)と呼んでいた。外敵から村を守るためだけに、すべての男性がそういう訓練や教育を受けていたのである。15歳で割礼(今でいう包茎の手術)を受けて大人の仲間入りをする。自分一人の藁葺(わらぶき)の小屋(↓)を家族からもらって一人暮らしを始める。そして、村の教育係から戦士になるための教育を受ける。村の大人は、村の子供たち全員を村全体が育てるという昔からの慣習を守っていたのである。

 アレックス・ヘイリー(Alex Haley, 1921-92)が船舶記録や奴隷船の→「積荷目録」(Cargo Manifests)を調べて自分の7世代前の祖先クンタ・キンテの話をその村の歴史を語るグリオをから聞いたのは、西アフリカのガンビア海岸(↓)からモーターボートで川を4日間もかけて遡った村だった。ヨーロッパ人の金持ち層の思惑通り、奴隷貿易や侵略行為を正当化するためにアフリカ人を蔑(さげす)み、キリスト教の高度なヨーロッパ文明の世界に引き上げてやるという高慢な捏造(ねつぞう)を一般の白人層に信じさせるには、こういった藁葺小屋の小さな村のイメージは好都合だった。

 しかし、実際は違う。西アフリカの中心部にはずいぶんと昔からしっかりとした統治機構を持つ王国がいくつもあり、豊かな埋蔵量のあった金をベースにした貨幣経済が発達し、大規模な交易網もあった。トワレグ人が駱駝(らくだ)の背に交易品を乗せ、サハラ砂漠を越えてエジプトまで運んでいた。当時の世界の交易の中心地だったエジプトのカイロを経由して、遠くはインドや中国と、ヨーロッパや東アフリカ、南アフリカと繋がっていたのである。豊かな王国を訪れたヨーロッパ人がその繁栄ぶりの報せを持ち帰っていたので、アフリカ人を蔑む風潮はなかったわけである。田舎もクンタ・キンテの村のように小規模ながら自給自足の生活をし、外敵から村を守り、村全体で次世代を育てる教育制度も整っていた。その制度や仕組みが、代々しっかりと受け継がれていたのである。当時のアフリカは、ヨーロッパや中国や日本と違って、文字を使わない口承の世界だった。しかし、考えてみればクンタ・キンテが「ある日、森に木を切りに行っていなくなった」とヘイリーに語ったグリオの存在は、文字文化が当たり前の人間からすれば、驚異の世界である。村の歴史を丸々覚え、後の世代に口承で伝えていて、実際にヘイリーがそれで祖先を確かめることが出来たのだから。ドラマの中のグリオは村の歴史を何時間も諳(そら)んじていた。グリオにはきっと、かなり理解力や記憶力の優れた人が選ばれたのだろう。世襲だったようである。欧米や日本でも人気のあったセネガルの歌手ユッスー・ンドゥール(↓、Youssou N’dour, 1959-)は自分がグリオの子孫であることを誇りにしていた。常にグリオの子孫であることを意識して歌を作り、歌っていたそうである。セネガルはガンビアの北隣で、ユッスー・ンドゥールが音楽活動をしている首都のダカールは、世界一過酷な自動車レース「パリダカ」(パリ・ダカール・ラリー、Paris-Dakar Rally)で有名である。グリオは吟遊詩人と日本語訳されている場合が多いが、キンタ・キンテの子孫の近くでは、村の歴史を口承で伝える人だったわけである。

 藁や泥の小屋はヨーロッパ人の蔑みの対象の一つになることが多かったが、それも実際は違う。次回は家なども含む、制度の違いについての続きになりそうである。