つれづれに: 通草6(2021年10月2日)
つれづれに: 通草6
大分の飯田高原での個展(→九州芸術の杜)でも何度か持って行って、あけびの絵を展示した。画廊が広かったこともあり、毎年60枚ほど見てもらっていたと思う。荷造りも運ぶのもなかなか大変だった。東京に場所を移してからは、スペースの関係もあり、前年度に描いたものにそれまでのものを少し足して、という感じの展示である。去年はコロナ騒動で中止せざるを得なかったが、今年は金土日の3日間、去年観てもらえなかった絵を展示する予定である。→「小島けい2021年個展案内」
カレンダーの中にもあけびの絵が残っている。
息子が東京のビッグサイトに字に絵をつけた作品を出すついでに妻の絵も出していたら、カレンダーを創りませんかと長崎のオムロプリントから連絡があった。クリエイター何人かのカレンダーを創って売り出したようで、クリカレという名で宣伝していた。それぞれのトレカ(トレンディーカード)入りだった。トレカにはパンダを描いて下さいと言われた。
色々サイトを探しているとき、ちょうど教育文化学部日本語教育支援専修の修士課程で担当していた中国の留学生が「パンダは中国語で熊猫と言いますよ」と言いながら、サイトをいろいろ紹介してくれた。
有難い話で、花の絵のカレンダーを出した。東京の東急ハンズや紀伊国屋や旭屋などにも置いてもらったようである。宮崎の旭屋(昔の寿屋デパート、今はツタヤが入っている建物の1階)にはたしかに置いてあった。ただ、作った人に入るお金はほんとに雀の涙ほど、そのうえたくさんの種類のカレンダーが出ているので利益は出なかったようで、一年限りだった。そのあと、個人的なカレンダーを続けているが、アフリカ関係の本同様に、つくづく芸術関係はお金にならないことを改めて思い知らされた。そのカレンダーを創る前、妻は毎年なぐり描きの絵を描いてカレンダーを創ってくれていた。今思えば贅沢な話で、世の中に一つだけの手作りのカレンダーである。すべて残しておけばよかったのだが、そんな貴重なものだという認識はなく、使ったあとは大部分がごみ箱行きになった。幸い奇跡的に、不完全に残っているものもあって、その中に二枚あけびの絵が残っていた。当時はあけび探しの最中で、いつも家に採って来たあけびがあった。それを見ながら、紙もその辺にあるのを適当に使い、きちんと図ることもなく線を引いて、さっさと描いていた。注文を受けた絵を描くときは、丁寧に丁寧に気の済むまで時間をかける今とずいぶんとちがう。おおざっぱだが、勢いがある。やっぱり捨てずに取って置くべきだった、とつくづく思うが、後の祭りである。
クリカレを作り始めたのが2009年である。当時の状況からするともっとあけびを使っていると思っていたが、出ているカレンダーを確認してみると、あけびは一枚だけだった。大手の店舗で売る以外に、企業用のカレンダーとしても売り込んでいたようで、最初の何年かは地元長崎の会社が数件採用してくれていたようである。採用されたサンプルを2冊ずつ送ってもらえたので、2011年度の大村グリーンサービス社用の11月の分が残っている。↓
あけびについてこれほどたくさん書くとは思ってなかったが、それだけあけび探しに時間をかけたということだろう。本の表紙絵がまだ残っているので、次回7回目が最後ということになりそうである。あけびの画像を探しているときに、カレンダーにも本にも思っていた以上に烏瓜を使っているのに気がついた。葛もたくさんある。からすうり2と葛も書いておきたい。