つれづれに:エイズハイウエィ(2024年5月10日)

つれづれに

つれづれに:エイズハイウエィ

 広大なアフリカ大陸の赤道に近いところを走る高速道路の話である。西端の首都キンシャサとケニア東海岸の港町モンバサを繋(つな)ぐ道路である。

英語の授業で一般教養と医学を繋ぎたいと考え→「エボラ出血熱」から始めたら、思わぬ視界が開けた。映像や歴史を探していると、国全体が想像以上に大変な状況にあると知った。モブツの長年に渡る独裁で、ザイール社会には賄賂(わいろ)が横行し、経済は破綻(はたん)して、エイズにエボラが追い打ちをかけて医療施設は散々だった。手袋やマスクなどの必需品さえも絶対的に不足していた。

1995年のCNNニュース

 1995年の1回目のエボラの流行に、同年のアメリカ映画→「『アウトブレイク』」(↓、→「音声『アウトブレイク』」)とリチャード・プレストンの『ホット・ゾーン』(Hot Zone)が大きく影響していると知って、どちらも手に入れた。ページを開いてみると、『ホット・ゾーン』にコンゴの地図が挿入(そうにゅう)されていた。その地図で、初めてエイズハイウエィの言葉を知った。アフリカにエイズ患者が出始めたのが1985年くらいだから、10年ほどで地図に書かれるほど言葉が定着していたと言うことだろう。長距離トラックの運転手が先々で買春をしてHIV感染の拡大の要因になっているというわけだが、ベラルーシでの話を読んだ時、ベラルーシ?と思ったことがある。政情の不安定なところの方が感染率が高かったのは無理からぬ話だろう。

 医学部の図書館に文献依頼を出したら、すぐに本が届いた。見ると、宮崎県立図書館の蔵書印が押してあった。英文なので、へえー、誰が購入依頼したんやろ?とふと思ったのを覚えている。その時は、最初の20ページほどと2ページにわたる地図のページをコピーさせてもらった。地図はB4サイズで印刷して、毎年授業で配った。20ページの方は、希望者がいればコピーを渡した。そこには1976年にCDC(米国疾病予防センター、↓)の医師2人がヤンブクの教会に派遣されたときの詳細が記されていたので、医学生にも役に立ちそうな気がしたからである。レベル4のウィルスの初動操作を間違えればどれだけ感染が広がるかが書かれていたし、→「ロイター発」の英文で読んだ賄賂の実態を知るいい機会になると思ったからでもある。医師2人は飛行機や自動車の手配をする時に、賄賂を要求されて大変だったと書いていた。プリントにした原稿は綴(と)じて大事に保管していたが、再任終了時に整理して捨ててしまって、今は手元にない。県立図書館に行けば、コピーはできるが、今日の間には合わない。それでウェブで地図を調べて見たが、描いていたイメージと食い違いがあった。

 実際の道路はこれも想像以上によくない。ERの映像では、空港から北東部のキサンガニに行く途中の道(↓)が映っていた。ハイウェイの言葉とは程遠い。政府軍の車のようだ。東部で出る希少金属をめぐって、政府軍と反政府軍の衝突が絶えない。隣国のタンザニアなどの軍隊も駐留して、一触即発の危険地帯になっている。

 ERの主人公カーターは後部席の義足を見て驚いていたが、窓から見える光景も強烈だった。政府軍と反政府軍の衝突から逃れ、文字通り家財道具を担いで避難中の人がたくさん歩いていた。後に、キサンガニの診療所から派遣された小さな診療所でその衝突を目の当たりにすることになるとは、この時のカーターは夢にも思わなかっただろう。

 出所がどこかはわからないが、ウェブで探してみたが『ホット・ゾーン』の地図は見つからなかった。一番よく出て来た道路地図(↓)である。わかりやすいように、画像はいつもより大きめにして載せている。

 侵略者は収奪したものを運ぶのに大きな道路を作る、北海道の道路は広くてまっすぐでしょう、とよく出版社の人が言っていた。ツングースに追われて北に逃れたアイヌの人たちと南に逃れた沖縄の人たちの彫りの深い顔、あれは縄文人の顔です、とも言っていたのをなぜか思い出した。地図にある緑の線⑧がケニアのモンバサとナイジェリアのラゴスを結ぶ道路である。この線が基幹道路で、ウガンダの首都カンパラ、今回カーターが行った診療所のあるキサンガニ、中央アフリカの首都バンギを経てラゴスに至る。『ホット・ゾーン』のエイズハイウェイの起点キンシャサは、この地図では南アフリカのケープタウンーリビアの首都トリポリ線③の途中にある。カーターが通ったキンシャサーキサンガニ線の道路は、アフリカ全体から見れば基幹道路ではないようだ。今回は地図からコンゴを見てみたが、次回はキサンガニの診療所とそこから出かけた小さな診療所(↓)である。

列をなして患者が待つ小さな診療所に到着