つれづれに:エイブラハムズさん1(2022年7月31日)

2022年7月30日つれづれに

HP→「ノアと三太」にも載せてあります。

つれづれに:エイブラハムズさん1

 ニューヨークからトロントまで飛行機で1時間ほど、空港からはバスに乗って45分ほどでセントキャサリンズに着いた。玄関のドアをノックしたら、エイブラハムズさんが現れた。微妙な瞬間だった。手紙には来て下さいとは書いたが、日本からほんとに来たか、そんな表情だった。奥に女優のような金髪の女性(↓)が座っていて、こちらを向いていた。

 アメリカに来て1週間ほど、電話が繋がらないままだった。ニューヨーク(↓)のホテルで電話をしながら、このまま帰ることになるのかと諦めかけたとき、電話の向こうで声がした。長期の休暇に出ていたらしい。充分予測出来たのに、そんなことも考えずに飛行機に乗った。「北アメリカに来たら電話して下さい」という手紙の指示に従ったわけだが、それにしてもよく会えたものだと、今なら言える。

 ラ・グーマと同じように亡命したと言うことだった。二十歳の時にANCの車で国境を越え、タンザニアとインド経由でカナダに渡り、市民権を取って博士課程を修了したらしい。今はブロック大学文学部(Humanities)の学部長(Deans)、学生は4万人ほど、直前に寄ってきたUCLAの規模と似ている。「ミシシッピ」(7月22日)の本屋さんのリチャーズさんが届けてくれたAlex La Guma(↓)は博士論文を元にして本に仕上げたらしい。作家論と作品論が本格的だったので、やっぱり博士論文だったんだと納得した。

 来た時にドア越しに見えた白人女性は再婚相手で、その女性の子供もいっしょに住んでいた。エイブラハムズさんにも離婚した南アフリカの人との間に大学生の子供がいて、出入りしていると言っていた。女性の子供は中学生の女の子で、夕食のあとアブドラ・イブラヒムという南アフリカの歌手の曲に乗って、エイブラハムズさんと軽快に踊っていた。

 一日目の夜はエイブラハムズさんが料理(↓)を作ってくれた。インド風のカレーやナンはおいしかった。ズールーとインドの血が混じっているそうなので、アパルトヘイト体制の下では「カラード」と分類されたと言う。3回刑務所に入れられたらしい。自分で英語をしゃべるようになると決めてからそう経っていないので、聞き取れる自信もなく、用意していた超小型のカセットレコーダーで録音させてもらった。ジョンに聞いてもらって、雑誌に使うつもりだった。録音した拘置所の部分である。
「私が拘置所に初めて行ったのは12歳のときですよ。サッカーの競技場のことで反対したんです。アフリカ人の子供たちと白人の子供たちの競技場があって、黒人の方は砂利だらけで、白人の方は芝生でした。すり傷はできるし、ケガはするし、だからみんなを白人用の芝生の所まで連れて行ったんです。そうしたらみんなで逮捕されました。それから、人々があらゆる種類の悪法に反対するのを助けながら自分の地域で大いに活動しました。だから、3度刑務所に入れられたんです。」

 中学生の女の子ともだいぶ仲良しになった。(↓)お返しに餃子を作ったときも横でいろいろ手伝ってくれた。家ではよく強力粉で皮を作り、大きなボール一杯の具でたくさんの餃子を作って焼いていた。ただ、ミンチ肉も小葱もないカナダでは、日本のようには行かなかった。女の子は珍しいのか、これは何?あれは何?と質問攻め、楽しかったが、料理の英語は聞いたことがなかったので返事に困った。言葉がなかなか出て来なくて、苦戦した。エイブラハムズさんとはしっくり行ってないのか、ずっと近くにいていろいろ話しかけてきた。
次は、エイブラハムズさん2、か。