つれづれに:二つ目の大学(2022年7月25日)

2022年7月24日つれづれに

HP→「ノアと三太」にも載せてあります。

つれづれに:二つ目の大学

 今年は一昨日の7月23日から大暑(たいしょ)で、8月7日からの立秋まで続く。大暑は一年でもっとも暑さが厳しく感じられる頃で、土用の鰻や、夏祭りや花火大会の季節である。盆を過ぎると朝晩も過ごし易くなり、秋もすぐそこである。庭のオクラ(↑)と瓢箪南瓜の葉の勢い(↓)がずいぶんと増して来た。(花の写真はどちらも去年の分)

 二つ目の大学は4年制文系の私学で、住んでいた「明石」(6月16日)からは東の方、大阪府の南にあって、がらの悪さと言葉の悪さで悪名高い土地柄である。それだけ離れていると、さすがに身上調査はなかったようだが、今回は、教授会は通ったが、理事会が押す人に決まった、という結果だった。この前の人事もそうだったが、私を推薦してもいいことは何もないと思われるのに、二度も推薦をしてもらった。今回理事会とやり合った人は一面識もなく、人からの推薦で世話を焼いてくれただけである。聞かなかったが、おそらく推薦してくれた人の後輩だったような気がする。どちらも人事が成立しなかったとは言え、頭が下がる思いで一杯だった。捨てる神あれば、拾う神ありである。こちらが何か悪いことをしたような気になってしまった。申し訳ないという気持ちが、先に立った。
 その人が直後に送ってくれた手紙が手元にある。「せっかく応募いただいたのにあんな結果になってしまって申し分けありません。私学とはそんなものといってしまえばそれまでですが、それにしてもあまりにも教学を無視した理事会のやり方に憤りを覚えます。英語の専任が一人になろうと、理事会側の人事しかすすめないという露骨な対応は、教授会側の怒りを高めています。今度の辞令交付では、理事会側が推進したメンバーを客員講師とし、次は専任にと無理強いしてくるのは必至です。こんな中で、どこまでできるかわかりませんが、可能性を最大限に追及してみたいと思います」と書かれている。達筆で、誠実そうな人柄が偲ばれる文面である。次の手紙では「私は組合の委員長をしていまして、引き続き教授会として理事会側と交渉を続けますので、非常勤として来てもらえませんか」と書かれていた。既に大阪工大と二つの学院大学で結構なコマ数になっていたが、火曜日に2コマ引き受けることにした。家から大学まで2時間ほどかかるので朝早くにでかけた。その日は大阪工大で夜間に3コマ入っていたので、移動も含めて長時間の5コマの日になった。
 非常勤の条件が「ネクタイを締める、出席半分で単位を出す」だったのにはびっくりしたが、お昼休みにベンチで座っていたら、隣のベンチにいた学生が「わいABCもわからへんねん」と言ってたので納得した。非常勤講師室で、誰かが「この大学、やくざが作ったそうで。女性の非常勤は、顔で選ぶらしいですな」とまことしやかに話しているのを聞いた。2年間授業を担当して非常勤講師料も貰ったが、授業にならなかった。座って授業を聞くのが元々苦痛なんだから、無理に座らせることもないだろう、と感じる大学だったわけである。40人くらいの再履修のクラスで、行ったら誰もいないことがあった。非常勤講師室でその話をしたら「あれきつですよねえ」と言う人がいたから、私の持ったクラスが特別だったわけでもないらしい。少し待っていたら4人が来て、雑談を始めた。一人が「せんせ、アメリカ行ってんてな。白人とやったことあるん?わい、台湾でやって来たで」、もう一人が「わい、大阪のぼけの高校で街宣車乗ってたで」、更にもう一人が「お前もか、わいもやで」、最後の一人が「何言うてんねん、わいの親父やくざやで」、百聞一見に如かずである。後に国立大の医学科で授業をしたとき、「授業が出来る!」と泣きそうになった。
 大学の学部、大学院、大学の職と、よくもまあ、これだけ色々と次から次へと何かが起こるものである。
 次は、嘱託講師、か。

大阪工大(HPより)