つれづれに:国際エイズ会議(2024年9月12日)
つれづれに:CDC
今回は国際エイズ会議である。
1981年にアメリカで初めてエイズ患者が出てから4年後の1985年に第1回国際エイズ会議がCDC(疾病対策予防センター、Centers for Disease Control and Prevention、↑)のあるアトランタで開かれた。それから今年2024年までに25回の国際エイズ会議が開催されている。会議に沿って、エイズ問題の大きな流れを辿(たど)って行こうと思う。
1994年までは毎年、それ以降は隔年開催である。25回のうちアメリカとカナダで各4回、ヨーロッパで10回、アジアとアフリカで各2回、中南米(厳密には北米?)とオセアニアで各1回である。アジアは日本(1994)とタイ(2004)、アフリカは南アフリカで2回(2000/2016)となっている。同じ都市で2回開催されたのはアムステルダム(1992/2018)とダーバン(2000/2016)だけである。2020年第23回はCovid19の影響でオンラインでの開催だった。開催された年と開催地一覧である。
1985年第1回アトランタ/1986年第2回パリ/1987年第3回ワシントン/1988年第4回ストックホルム/1989年第5回モントリオール/1990年第6回サンフランシスコ(↓)/1991年第7回フィレンツェ/1992年第8回アムステルダム/1993年第9回ベルリン/1994年第10回横浜/1996年第11回バンクーバー/1998年第12回ジュネーブ/2000年第13回ダーバン/2002年第14回バルセロナ/2004年第15回バンコック/2006年第16回トロント/2008年第17回メキシコシティー/2010年第18回ウィーン/2012年第19回ワシントン D.C./2014年第20回メルボルン/2016年第21回ダーバン/2018年第22回アムステルダム/2020年第23回オンライン/2022年第24回モントリオール/2024年第25回ミュンヘン
横浜でアジアで初めての国際エイズ会議があったのは1994年で、医学生の英語の授業で医学的な問題を取り上げようと思案していた時期である。次の年にコンゴで2回目のエボラ出血熱騒動があって、並行して準備を進めた。会議については、タイやインドなどで感染が拡大していたので、アジアでの開催が必要だったのかも知れない。ただ、エイズ自体についての目新しい動きはなかったように思う。英字新聞にあれこれ関連記事が出たのは有難かった。
1996年のバンクーバーでの会議では、すでにアメリカのエイズ会議で多剤療法の症例報告があったので、エイズ=死ではなくなったエイズ治療元年にふさわしく明るい話題が多かったようである。
1981年に最初のエイズ患者を診察した医師の一人デビッド・ホー
当時の同僚の外国人教師が夏にバンクーバーに一時帰国した時期と会議とが重なっていて、土産(みやげ)に雑誌を何冊かくれた。もちろん、エイズ会議の特集記事もあった。国立大でまだ外国人教師を採用していた頃のことである。キャリアの割りには破格の待遇という印象が強かった。4人と同僚になったが、英会話の授業だけで公務もほとんどなく、2年毎に配偶者もいっしょに帰国する手当までついていた。何か鎖国明けの外国人招聘みたいやな、長いこと続きすぎやろと思った記憶がある。待遇の割りには、そのカナダ人以外は何らかの形で学生と揉(も)め事を起こしてこちらに飛び火していたから、余計にそう感じたのかも知れない。21世紀に入って、ようやくその外国人教師のポジションはなくなったが‥‥、鎖国明け対策がやっと終わったか、そんな感じだった。
医大の講義棟(英会話の授業は4階の機材のないLL教室であった)
エイズ治療元年の会議の反動か、1996年のジュネーブの会議は終始重苦しい雰囲気が漂っていたと言う。一つは、多剤療法の副作用の症例報告が多かったからと、次回開催の南アフリカダーバンの医師が「多剤療法にわいてますが、私の勤めている国立の病院で抗HIV製剤を見たことはありません」と発言したかららしい。
そして迎えた2000年のダーバンの会議では、アパルトヘイト後の処理に追われる大統領のマンデラからエイズに関してはすべてをされて来たタボ・ムベキ(↓)が散々非科学的だと欧米のメディアに叩(たた)かれていたにも関わらず「エイズはウィルスだけが原因ではありません」と、従来の発言を繰り返した。それで、更に一層製薬会社がスポンサーの西洋のメディアはまたムベキに矛先を向けて叩き続けた。
この時期、3年間と4年間の科学研究費をもらってエイズとアフリカ、医学と文学を交えながらあれこれたくさん書いたので、アフリカとエイズに関しては3つ目の山☆社会問題としてアフリカ:(欧米・日本の偏見、ケニアの小説、南アフリカ)で詳しく書きたい。
次回は医師の苦悩である。