つれづれに:アフロアメリカ史を(2022年10月1日)

つれづれに

つれづれに:アフロアメリカ史を

小島けいカレンダー「私の散歩道2022~犬・猫・ときどき馬~」10月

 10月になった。最近周りにあまりコスモスは見かけないが、季節は確実に巡っているようである。もうすぐ来年度のカレンダーが届く。

今回はアフリカ系アメリカ人の歴史である。母親から突然「百万円」借りてきてと言われ人に借りたものの、30くらいで死ぬにしても人に借りてまで生きてはいけないと思い直して「採用試験」の準備をして高校の教員になった。書くために大学の職を求めて職歴5年の資格で「教職大学院」で修士号を取って準備を始めた。その時書いた「修士論文」のテーマに選んだのがアフリカ系アメリカ人の作家リチャード・ライト、その作品を理解するために自然と歴史を辿り始めた、というわけである。

リチャード・ライト(小島けい画)

 そのつもりでやり始めたわけではないが、途中でそうだったんだと気づくことがある。一度気づくと、実は元々意識下の深層にあったもので、それに気づいただけに過ぎないと思えることがある。意識下の深層に気づいたことを書きたくなった。実際に触ると冷たいとか熱いと感じるなどの現象と違って、意識の中の問題なのでうまく書けるかどうかもわからないし、それが実際にそうなのかも確かめようがない場合もある。しかし、高校の時に摺り込まれた無意識の常識と同じように再確認する必要がある。つい生き存らえてしまった意識の深層を探るのに時間がかかっているが、今回は大学の職が決まって大学で時を過ごす中で考えたことが中心になる。二つ目の大きな山になりそうだ。少し時間がかかるかも知れない。

 ラングストン・ヒューズ(↑、Langston Hughes, 1902-1967)の “The Glory of Negro History” (↓、1964年)が私の最初のアフリカ系アメリカ人の歴史である。如何にも詩人の書いた歴史で、華がある。アフリカ人がアメリカに連れて来られるようになった頃から公民権運動が始まる頃くらいまでの詩人から見た民衆の物語である。詩人らしく、自ら朗読してレコード(LP)にも残している。当時生存中の著名人の演奏や朗読を織り込んだ貴重な歴史資料でもある。アフリカから無理やり連れて来られた人たちが受け継いできた音楽も盛り込み、レコードをカーター・G・ウッドスン博士に献じている。

 本格的に歴史をするのであればハーバード大学でアフリカ系アメリカ人として初めて博士号を取ったCarter G. WoodsonのThe Negro in Our History (1922)ゼミの担当者貫名義隆さんが翻訳したWilliam Z. FosterのThe Negro in An American History (1954)(『黒人の歴史―アメリカ史のなかのニグロ人民』、大月書店、1970年)シカゴ大のJohn Hope FranklinのFrom Slavery to FreedomA History of Negro Americans (1980)などを読むのだが、私の力量を越えていたので、先人たちの手を借りた。ヒューズの“The Glory of Negro History”、ライトの12 Million Black Voices、マルコム・リトゥルのMalcolm X on Afro-American Historyアレックス・ヘイリーのRoots、本田創造さんの『アメリカ黒人の歴史』、それとテレビ映画「ルーツ」である。おおまかな全体像を掴む助けになった。

12 Million Black Voices

 今日で73歳になった。授業でセネガルのユッスー・ンドゥール(↓)の曲をかけている時にたまたま誕生日が同じなのを知った。ただし、1959年生まれ、私より10歳年下である。フランスはイギリスとの植民地争奪戦で遅れを取り、イギリスの植民地より条件が悪い地域しかなく、人と制度などを利用しての間接統治は出来なかったので、直接統治の形態を取らざるを得なかった。同化政策なので、パリが中心である。セネガルで成功したらパリで活躍というパターンが多い中で、首都のダカールにスタジオを持ってそこを拠点に活動をしたらしい。なぜか、1990年のネルソン・マンデラ釈放記念コンサートや1994年のウッドストックロックフェスティヴァルなどの世界の大きなイベントにも招待されていた。日本にもたびたび来て、ファンも多かった。宮崎のツタヤでもオブラディ・オブラダの入っているアルバムJOKOが売っていたから驚きである。アフリカものの2枚のうちの1枚だった。