つれづれに:原言語(2023年8月5日)

2023年8月6日つれづれに

つれづれに:原言語

百日紅(さるすべり)

一昨日撮ったご近所の百日紅、曇りがちでも少しのぞく青空に映えていた。長いこと居座っている台風が迷走しながら、こちらに来るらしい。

「えらいこっちゃ」

今も朝から雨が降って、雷まで轟(とどろ)いている。自然に勝てるわけがないか?停電や断水しなければいいが‥‥。この時期、停電は致命傷になる可能性もある。明日で大暑の期間が終わるとは言え、まだまだ肌がひりひりする暑さが続く。雨風が激しいとシャッターを降ろして窓を開けることになるが、それでも暑さはすごい。猫たちも音と暑さはきついだろう。何とか被害が出なければいいがと祈るしかない。

原言語について書きたい。その言葉を意識したのは、私が宮崎に引っ越ししてきた日に出版社の人が届けてくれた分厚い手紙だ。

「‥‥闇は光です この眼に見えるものはことごとく まぼろしに 過ぎません 計測制御なる テクニカル・タームをまねて 『意識下通信制御』なるモデルを設定するのは またまた 科学的で困ったものですが 一瞬にして千里萬里を飛ぶ 不可視の原言語のことゆえ ここは西洋風 実体論的モデルを 御許しいただきたい 意識下通信制御を 意識下の感応装置が 自分または他者の意識下から得た情報を 意識下の中央情報処理装置で処理し その結果を利用して 自分または 他者の行動を 制御することと定義するとき 人の行動のほとんどすべては 意識下通信制御によるものだと考えられます 少なくとも東洋人とアフリカ人には あてはまるはずです 私たちの行動のほとんどすべては 意識下の原言語できまるのであって 意識にのぼる言葉など アホかと思われるほど 些末なことです その些末を得意になって話しているのが ほかならぬ 学者文化人であって もう ほんまに ええかげんにせえ と 言いたくなります」

今回4作目を書きながら、この「意識下の感応装置」が察知した情報を如何に形而上の言葉で表現するかを意識した。いつも思う「心のどこかに塊りみたいなものがあって、書いているうちに形になって行く」という感覚である。小説の中で大学で取った→「第2外国語」について少し書いた。塊としてあったのは、怒鳴られた時に感じた担当者の傲慢さである。

「学生がいて職にありつけてるのに、『授業をしてやっている?』あんた、それはちょっとおかしいやろ」

意識下の感応装置が察知した情報を如何に言葉にするか?書き出して修正しながら、それが結果的に言葉になった。

「ロシア語を取ったのは入学後5年目である。大学で運動を再開してから始めた中学校でのコーチの真似事を優先して、2年留年していたからである。5回目くらいに初めて授業に出たら、受講生が私以外に2人、人数は申し分なかった。当てられても素直に謝ったあとは黙っているつもりだったのだが、成り行きとは言え、最初から思いとはまるで違う方向に進んでしまった。6時過ぎに遅れて入って来た担当者が息せき切ってしゃべり始めた。

『京都での授業のあと、名神高速を100キロ以上でぶっ飛ばして来たんだが‥‥』

どうやらロシア学科の専任らしかった。

『私は世界的な学者で、名前も知れ渡っている』

従って、私は忙しい、専任の教授だがⅡ部にも授業に来てやっている、それも世界的に有名な学者がである、だから少しくらい遅れても仕方がない、私にはそう聞こえた。偉くない人が偉そうにする、あれか?ひとこと「すみません」と言えば済むのになあ、そんな風に考えているうちに授業が始まった。当てられて、訳すように言われた。ひと月以上も経ってから、準備もせずに授業にのこのこやって来た、それがどうにも許せなかったらしい。その通りだから、私としては謝るしかない。

『初めてですいません。やって来ていません』

『やって来てない?おまえ、昼間は何をしてるんだ?』

『昼間は、寝てますけど‥‥』

『授業から帰ったあとも興奮して寝られずに、夜中じゅう起きて本を読んでますので‥‥』を意図的にとは言え、省いたのがよろしくなかったらしい。

『若いのに、惰眠を貪るとは何事か!』

烈火のごとく怒り始めた。ここで止めればよかったが、ぷいと壁の方を向いた。火に油を注ぎたかったらしい。怒りは収まらず、怒鳴り続けていたようだった。次の時間からが大変だった。大人数だと避(よ)けようもあるが、3人だけである。初回のこともあるし、自分で責任を取るしかない。

『購読?』

どこまで進むかわからないが、準備するしかない。

『母音の数が13もあるみたいやし、格の変化も面倒臭そう。言われっぱなしも癪(しゃく)に障るし‥‥」

準備に毎回何時間もかかった。根に持つとは相手も大人げない、授業ではいつも喧嘩腰で、細かいことろまで質問して来る。

『初修やねんから、そんなとこまで知らんやろ』

20数回も続いた。最後のころ、冬場だったと思うが、いっしょに授業を受けていた女子学生2人が授業前に揃って私の席までやって来た。

『またやってもらえませんか?』

『?』

『あのう、最近やってくれはらへんので、進むのが早くて、早くて。このままやったら、試験範囲がどんどん広がって試験の時に大変そうなんで、またやってくれませんか?』

毎回毎回体力を消耗し、必要以上に気も遣ったが、授業はなんとか終わった。単位は無事取ったものの、後味は悪かった。後に、博士課程の試験で第2外国語が要るのがわかって、ロシア語も考えたが、役に立ちそうになかった。結局、フランス語で受験した。」

この手の作業が続く。

出版社が売れると判断するかどうかはわかわないが、自然と書き始めたのだから、このまま書き溜めておくとしよう。活字になって溜まった原稿が売れてお金になる、かも知れない。立原正秋の場合は、押し入れに積み上げていた原稿がやがては売れて金になると言い切り、実際に売れていたが、私の場合はやっぱり、「かも知れない」である。「生きても30くらいまでやろ」と思いながら生き在(なが)らえて来たのだから、何が起こってもおかしくないとは思うが。

昨日通った時は、まだ稲刈りの済んでいないところもあったが、この土日で雨の中でも作業をすることになりそうである。大変だあ。一昨日撮った写真(↓)では、まだ半分ほど、刈り入れが済んでいなかった。

刈り入れ前の写真