つれづれに:グレートジンバブエ(2024年11月16日)
つれづれに:グレートジンバブエ
ジャカランダの咲くジンバブエの首都ハラレの街
バズル・デヴィドスン(Basil Davidson, 1914–2010)が「アフリカシリーズ」の冒頭で石造りの遺跡の中を巡りながら威圧感を感じるとグレート・ジンバブエを紹介しているのをみたとき、まさかのちに実際に家族といっしょにその遺跡を訪ねるとは思ってはいなかった。ビデオ録画を初めて観たのが放映された1983年、私たちがジンバブエの遺跡に行ったのは1992年の9月である。首都のハラレで借家を借りて家族で暮らすのはなかなか大変で毎日が一杯一杯だったが、折角来たのだからどこかに出かけようと子供たちが言い出して、腰を上げたのである。日本を発つ前も大変で、予防接種を宮崎では受けられなかったので鹿児島まで一泊で出かけたり、小学校に挨拶に行ったり、予想外の出来事もあって気持ちも重たかった。候補地は2つ、ビクトリアの滝かグレート・ジンバブエか。ビクトリアの滝は滝の前でアフリカ人としゃべりながらデヴィドスンがヨーロッパ人が初めて滝を見た時の模様を語っていたので、一度は行ってみたい気持ちもあった。国の一番北側にあって滝の北側はザンビアである。1981年に初めてアメリカに行った時は3大瀑布の一つナイアガラの滝にも行っているので、比べてみたい気持ちもあった。ただ、湿地帯でマラリア蚊にやられる危険性が高い。ワクチンを打ちに病院に行くのは勇気が要る。グレート・ジンバブエは「アフリカ・シリーズ」で観たときから行ってみたかった。こちらの方は、幸い30年ぶりの大旱魃でマラリヤの心配はなさそうである。結局、遺跡に興味があった息子の意見を尊重することにした。
「アフリカシリーズ」の冒頭で、デヴィドスンは自分たちの侵略を正当化するために捏(ねつ)造した白人優位・黒人蔑視の意識の具体例として、ジンバブエの遺跡をあげている。
「100年余り昔、金鉱を探して渡り歩いていたカール・マウスと言うドイツ人がいました。彼はこのアフリカ南部の奥地にまで足を踏み入れ、不思議なものを見つけました。あれです。あれが白人の目に触れたのはこの時が2度目でした。彼は知るべくもありませんでしたが、このジンバブエの遺跡こそ、ナイル川より南では最大の石造建築でした。一体誰が、何のためにアフリカの奥地にこんな大きなものを建てたのでしょうか?
アフリカの本格的な研究が始まったのはつい最近、第2次大戦後のことです。そして、今では思いもよらない事実、つまりここに強大な黒人王国があったことがわかっています。この暑い壁の奥深くには、かつて歴代の国王が住んでいました。隠れたその存在は神秘性を増したでしょう。王は単なる支配者ではなく、宗教的力も兼ね備え、民衆の守り手として崇(あが)められていました。アフリカの真ん中の石造りの都市、発見当初アフリカにも独自の文明が存在したと考えるヨーロッパ人はいませんでした。文明などあるはずがないという偏見がまかり通っていたのです。初期の研究者はこれをアフリカ人以外の人間が造ったものだと主張しました。果ては、ソロモン王とシバの女王の儀式の場だという説まで飛び出したものです」
グレート・ジンバブエのあるマシンゴはハラレの南の方角(↓)にあり、ハラレ空港からプロペラ機で小一時間かかる。外国人向けの観光ツアーがあったので予約した。朝早い便だったので、タクシーを呼んで空港まで出かけた。運転手の時間があまり当てにならないので、友だちになった借家に雇われてたショナ人のゲイリーにタクシーの予約を頼んだ。
赤い丸印が首都のハラレで、そこからまっすぐに伸びた先がマシンゴ
遺跡は観光の目玉の一つである。プロペラ機から見下ろす大地は乾ききっていた。こんな乾いた大地に人が住めるんやろかというのが素朴な疑問だった。ジンバブエ大学で仲良しになったアレックスに聞いたら、昔からこんな中で生き延びてきましたから、術は知ってますよ、ということだった。水不足は明らかだったが、大学やホテルの周りでは芝生のスプリンクラーがくるりくるりと回っていた。ハラレに滞在した3ケ月足らず、一滴の雨も降らなかった。新聞では水不足だが、観光業を維持するためには外国人のサーヴィスも欠かせないというジレンマに陥っているという記事を載せていた。空港にはホテルの迎えの車が待っていた。昼食はホテルで取ってということだった。遺跡ではショナ人の英語のガイドがついて解説をしてくれた。家族は3人とも英語を聞いてもわからないので、ツアーのグループから少し離れて別行動だった。
デヴィドスンは遺跡を観て圧倒され、威圧感を感じたと言っていたが、私は威圧感を感じなかった。日本の奈良の東大寺のような大きな伽藍のある木造建築と比較したせいかも知れない。技術的は、石を積んだだけである。1980年に独立したとき、国名をローデシアからジンバブエに変えた。ケープからの入植者セシル・ローズの名前が入った名前も変えたかったのだろう。新しいジンバブエの国名はジ(大きな)インバ(家)ブエ(石)、大きな石の家ですよと空港に迎えに来てくれた人が、独立のアーチをくぐるときに教えてくれた。
次回は「アフリカシリーズ」関連の続き、探検家である。