つれづれに:既卒組(2022年9月21日)
つれづれに:既卒組
講義棟
一度大学を出てから再受験して入学して来るいわゆる既卒組で嫌な思いをしたことがある。それも「宮崎に」来た最初の年にである。既卒組は非常勤では経験したことがなかった。制度にもよるが、医学科では他の学部より多い。最近は医学部偏重が高じて、その傾向が強くなっている気がする。「宮崎医科大学 」は私が来た3年目に、学力試験から小論文試験へと大きく入試制度を変えた。それまでせいぜい学年に数名だった既卒者が、一気に十数名に増えた。ある年は、東大や早慶などのトップレベル卒の30代が多く、「この人らよくできるなあ」とう印象が強く残っている。教授会で卒業判定を決める成績一覧を見たとき、既卒者は上位を占めていたので感心し、改めて得心したことがある。
一度大学を経験しているし、大抵はトップレベルの大学の違う学部から来ているのだし、学力や動機もしっかりしていて成績がいいのも当然である。入試委員会で副学長から海外青年協力隊の経験者の成績を調べるように言われたことがある。10名近くいたが、大抵は10番以内、学年トップの経験者も何人かいた。実現はしなかったが、その人が入試で海外青年協力隊枠を創ろうとしていたのもわかる気がする。継続的に入試制度の変更を検討していたので、追跡調査もやっていた。入学時の成績と1年次終了時の成績の相関性はない。高校まで求められていたものと入学後に必要なことが違うということだろう。従って、1年次の最後の成績が卒業時の成績と相関性があった。つまり、入学後すべきことをやれた人は卒業までその姿勢を続ける傾向があるというわけである。どの枠で入学して来ても入学後の成績には相関性がないという結果もあった。入学後いかにやったかが結果として現れるということだろう。既卒者の成績が抜群だという結果も出ていた。それと、その成績優秀な既卒者は例外を除いて宮崎には残らないと結果も添えられていた。いくら優秀でも、医局には残ってくれないのである。これが、推薦制を導入する根拠になった。例外は、結婚相手が宮崎の人だった場合である。
来た年と次の年は学力入試で、2年目の学年用には問題作成と採点もした。同僚が後期から在外研究に行ったので、1年目は2年生と1年生の両学年を担当した。その人たちは学力入試で入学して来ていて、既卒者は学年にほんの数名、30代はいなかったと思う。嫌な思いをしたのは1年目の1年生である。既卒者がしゃしゃり出ないで、現役組を支える方がうまく行く場合が多い。その学年は旧宮崎大学から東大の院を出た人と京大を出た人が暗躍していた。最初はわからなったが、こちらを見ながらいろいろ試しているようだった。欠席がかなり多い時もあり、誰かが操作しているような雰囲気だった。年上が年下を操作して、年下がみんなそれに従う。いじめの構図である。直接かかわっているので、見て見ぬふりはできなかった。「2年生は生化と生理が2つづつあって、一年の時に比べれば、1年がなんだったんだろうと思う」と誰かが言っていたが、そんな事情があったかも知れない。しかし、こそこそは嫌だった。クラスでは何も言わなかったが、京大出の人を研究室に呼んで「お前、奨学金止めたろか」と穢い播州弁で脅し付けた。相手は震えていた。
それ以降、操作は影をひそめたが、何とも後味の悪い経験だった。人はそうかわらない。医者になっても、また同じことをするんだろう。英語科同僚の結婚相手と保健管理センターの専任がその学年の人たちだったが、当事者だった自覚はないだろう。私には、ほろ苦い医学科の洗礼だった。
宮崎に来た頃の宮崎医科大学