つれづれに:コンゴあれこれ(2024年5月1日)

つれづれに

つれづれに:コンゴあれこれ

 コンゴの理解が少しでも深まることを願って、国土や音楽などについてのあれこれを書いてみたい。

エボラ出血熱流行のCNNニュース(↑)を録画した翌日の1995年5月16日付けロイター発の短い記事には「サハラ以南のアフリカで2番目に大きい国ザイールには豊かな農場があり、旧コンゴ川のザイールの川から水の恵みを得ています。その国は世界でも有数の銅の埋蔵量を誇っていますが‥‥」と国が紹介されている。国の広さは半端でない。コンゴ共和国、中央アフリカ、南スーダン、ウガンダ、ルワンダ、ブルンジ、タンザニア、ザンビア、アンゴラと9か国と隣接している。

 後にカビラ(↓)が政権に就いたとき、欧米はアメリカ式の民主主義をせっついたが、デヴィスドスンだけは、荒廃した今こそ自分たちの手で国を立て直す絶好の機会だと書いた。そして9ケ国と隣接している広大な国が機能すれば、マンデラが大統領になった南アフリカと繋(つな)がって、将来は明るいと断言した。

 『ホットゾーン』(↓)の英文を宮崎県立図書館から取り寄せたとき、1ページ大の地図が挟(はさ)まれていて、アフリカ大陸の東端の首都キンシャサから西端のケニアの港町モンバサまでの道路にAIDS HIGHWAYと命名されているのに気がついた。アフリカでの流行が1985年くらいだから、1994年の出版までにその名が定着したということである。アフリカ大陸の交通網の極めて重要な場所でもある。

 キンシャサのラジオ局からの音楽がケニアやタンザニアにも流れてよく聞いていたという医大の卒業生に教えてもらったとき、住んでみないと実感できんわなあと感心した。タンザニアとケニアに5年足らず住んで36歳で入学して来た強者である。英語の授業で音楽について何か書いてよと言ったときに書いてくれた解説の一部である。

 「リンガラ」は、特に1970年代以降、ケニア(↓)やタンザニアだけでなくブラック・アフリカ地域で最も人気のあった音楽と言っても過言ではない。なぜコンゴ(旧ザイール)の音楽が、この時期それほどの影響力を持っていたのか。それは、ザイールの首都キンシャサに、アフリカ最大の出力を持つ国営ラジオ局「ヴォア・ドゥ・ザイール(La Voix du Zaire)」があったためと言われている。ラジオから流れる音楽が庶民の最大の楽しみだった当時のアフリカでは、ラジオ局でオン・エアされることが非常に重要であったため、ザイール内外から多くのミュージシャンがキンシャサを目指したという。それが様々な音楽要素の融合を生み、ザイールの音楽を発展させるとともに、他のブラック・アフリカ諸国でも人気を得ることにつながったと言われている。また、そうした状況の背景には、当時のモブツ大統領が提唱したオータンティシテ(伝統回帰)政策の影響(=多種多様な民族の伝統文化の強化)があったとも言われている。

 他にも何回か授業で発表してもらったが、その地に住んだだけはあるなあと毎回感服した。私などよりよほど落ち着いて貫禄があった。「ミュージシャンとして、ザイールの音楽シーンを引っ張っただけでなく中央アフリカ最大の都市キンシャサという大都会に住む若者たちのファッション・リーダー、トレンド・リーダーとして、そのライフ・スタイルにまで影響を与える存在」だったパパ・ウェンバのCDをコピーして渡してくれた。この年以降、毎年エボラ出血熱とコンゴの話をしたときはパ・ウェンバのアルバムEmotionの中のYoleleという曲を聴いてもらった。軽快な音楽は暗いコンゴの話題をいっとき忘れさせてくれるほどの伸びやかさがあった。次回はペンタゴン、独立時にしゃしゃり出て来たアメリカの国防総省についてである。