つれづれに:古本屋(2022年4月18日)

つれづれに

つれづれに:古本屋

「2年目の女子のチームに毎日練習日記をつけるように薦めてノート代に500円を渡したが、その日のお昼に使うかノートに使うかと迷った」(→「コーチ」、4月15日) と書いたが、お金はないよりあった方がいい。3人の家庭教師をするようになってから少し余裕が出て、行き帰りに神戸近辺の古本屋に行くようになった。

阪急に乗り換える時に利用した国鉄三宮駅(今はJR)

大学までは2時間足らずかかるので、授業だけの日は4時台の電車に乗った。宮崎の単線にすっかり馴染んでいるが、複線の山陽本線も昼間は1時間に1本しかなかったので他に選択肢はなかった。駅まで自転車で10分ほど、1時間ほど快速電車に乗り、三宮で乗り換え、阪急電車で3駅目の阪急六甲で降りて、20分ほど歩いた。三宮からの月額定期が580円、阪急3駅分が1000円前後だったから、今から思えば超格安だった。→「夜間課程」(3月28日)

大学に一番近かった阪急六甲駅

行き帰りに行った古本屋は、神戸と三宮間の高架下と、神戸から三宮センター街までの間にあった。10軒くらいはあった気がする。インターネットもスマートフォンもない時代、それなりに活気もあった。英語もしないのに、なぜか高架下で中古の手動英文タイプライターを1万5000円で買い、asdfとブラインドタッチの練習をやりかけたこともある。大学院では電動タイプライターで修士論文を書いた。締め切りに追われて遅くまで打っていた電動タイプの音が、2時間おきにミルクをやっていた息子には子守歌だったかも知れない。オレ、そんなん知らんでえ、と言われそうだが。

神戸元町の高架下

少し余裕が出始めてから、だんだんと本の数も増えていった。最初は漱石や芥川、太宰や谷崎を、そのあと古典の源氏や落窪、宇津保、萩原朔太郎の詩にまで手を出してみたが、どうもしっくりこなかった。その頃、家で取っていた讀賣新聞の夕刊で立原正秋の『冬の旅』を読んだ。なぜか、すっと心に沁み込んで来た。古本屋に行くと、たくさん出回っていて、目についた本は手当たり次第に買って、読んだ。多作で、出版社の要請に応えた駄作も結構ある。しかし、小説を書くという自分の中にあった思いに気づき始め、その思いが強くなっていったのは確かである。→「作州」(3月14日)

次回は、髭と桐下駄、か。