つれづれに:陽の光(2024年11月21日)
つれづれに:陽の光
柿を干すとき、陽が充分に照ると艶も増す
晴れた日が続き、少しづつ普段の生活が出来るようになって、日常と陽の光の有難さが身にしみる。一昨日の白浜行きも日常の一つで、庭を潰した畑での作業もその一つである。
中古で今の家を買ったとき、南側の庭はこじんまりとして手入れが行き届いていた。真ん中に小高い円形の花壇があり、名前はわからないが垂れ下がった何本もの枝に小さな可憐な薄紫の花が無数に咲いていた。きれいな整った庭には申し訳ないと思ったが、10年ほど住んだ借家についていた畑の黒土を運び込んで南東の端に積みあげた。小さな畑を作ったのである。円形花壇の樹は、東側の小さな花壇に植えかえた。陽当たりはよくない場所だが健在で、毎年薄紫の花が咲く。
元々中古の家は息子の友だちになってくれればと家に来てもらった子犬のラブラドールが気兼ねなしに住める、が第1条件だった。兵庫から宮崎に来てからずっと学校とは合わずに大変な思いをしていたが、何とか入った高校は更にきつかったようで、学校から戻ったときの目つきが日に日に悪くなっていくのがわかった。少しでも慰めになればと、ラブに登場してもらうことにしたのである。
息子も家では自由に過ごせるので、ラブともすぐ仲良しになって毎日楽しそうに遊んでいた。そして、何とか卒業までもった。受験勉強はしないけど、友だちとクラブで行ってもええかと言って入った高校を、出席日数ぎりぎりで無事卒業した。大学は東京を選んだので、新しい家には住んでいない。ラブといっしょにいられたのも僅(わず)かな期間だったが、息子には有難い存在だった。
入居する前に、庭でラブが走り回れる場所(ドッグラン)を当然優先して確保した。つまり、畑の部分を除く20坪ほどの4分の3を、ドッグランにしたのである。家の中でのトイレを嫌がったので、ドッグランで走り回ったあと、用を済ませていた。トイレ用に、白浜の行き帰りに砂浜から砂を持ち帰って、かなり入れた。犬が早死にしてしまったあと、庭はそのままにしていたが、しばらくしてから近くの雑木林などから土を運んで、ドッグランの部分も畑にした。
妻の願いを入れて南側は全面に、東側と西側は一部に金木犀(もくせい)を植えた。量販店で30本注文したら、結構しっかりとした樹が届いた。植える作業もなかなかだったが、周りから見えるのが嫌な妻の望みは叶(かな)ったわけである。金木犀はぐんぐんと大きくなり、3~4メートル近くになった。そうすると、南側の地面は金木犀の陰になって、畑をしても野菜は育ち難い。それで、チェーソーを買って来て、背の高さくらいに切った。大仕事だった。すべて、成り行きである。勢いでやったとは言え、今の年齢では、とても望めない作業量である。
今回、雨の日が続いて干し柿がうまく行かず、陽の有難さを思い知ったが、胡瓜(きゅうり)の苗でも同じ思いをしている。夏野菜の胡瓜は春先に植えると一番勢いを感じるが、今年は秋口に勢いのある苗を生産者市で見かけたので、10本買って3ケ所に植えた。1番陽当たりのいい南向きの部屋のすぐ脇(↓)に4本(2本は写真の手前にあり、写っていない)
瓢箪南瓜(ひょうたんかぼちゃ)の柵(さく)の東側(↓)と北側(↓)に3本ずつである。雨続きがなかったら、よく育って今頃は食べきれないほどの実がなっていただろう。しかし、実際には何個か小さな実がなっている程度、柵の北側の2本は枯れてしまっている。柵に伝っていた南瓜の茎と葉が、晴れの少なかった僅かな陽を遮(さえぎ)ったわけである。干し柿に続き、胡瓜でも陽の光の重みに気づかされた。それでも、これからはしばらく晴れの日が続きそうなので、実をつけている何個かも大きくなり、霜が降りる前まで生産者市で胡瓜は買わずに済みそうである。
下の写真が柵の北側、右の2本が枯れてしまった
オクラもそろそろ終わりかけ、それでも毎日2、3個はなってくれているので、毎日食べられている。残してある大きな2つの実は、来年の種のために枯れるまで置いておくつもりである。1つの実に何十と種が詰まっているので、2つで十分に事足りる。茎が伸びて、ずいぶんと高くなった。今までで一番高いかも知れない。手間暇を惜しまなかったら、ここまで持つわけである。たぶん、毎年同じ場所は嫌うので、来年は東側に植えることになるだろう。