2021年11月シンポジウム最終報告:概要

つれづれに

2021年11月シンポジウム最終報告:シンポジウム概要

「アングロ・サクソン侵略の系譜」―系譜の中のHIV感染症とエイズ

日時:2021年11月27日(土)10:00~12:00

発表:

赤木秀男:「HIV/AIDSから社会問題を炙り出す」

玉田吉行:「ケニアの小説から垣間見えるアフリカのエイズ」

*Zoom招待状の招待状です↓

トピック: 玉田吉行 の Zoom ミーティング

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<はじめに>                                        玉田吉行

科学研究費のタイトル「アングロ・サクソン侵略の系譜」の流れで、すでに2回シンポジウムをやりました。前回はZoomでした。今回も杉村さんと寺尾さんに連絡しましたが、異動のことでこじれたようで、3人では無理なようでした。そこで急遽、医者になった赤木くんにも発表者で参加してもらい、前回以上に双方向でやれればと考えました。21日(日)に司会の中原さんと3人で打ち合わせをして、大体の方向性や進め方などを確認しました。今はコロナで大変ですが、エイズも大きな問題ですし、病気の話は人ごとではないと思います。いろいろ病気や免疫についても考えるいい機会になれば嬉しいです。よろしくお願いします。

<今回の科研費について>

科学研究費基盤研究(C)(4030千円) 平成30年4月~令和4年3月

「文学と医学の狭間に見えるアングロ・サクソン侵略の系譜―アフロアメリカとアフリカ」

<申請時の概要>

広範で多岐にわたるテーマですが、アフリカ系アメリカ人の歴史・奴隷貿易と作家リチャード・ライト、ガーナと初代首相クワメ・エンクルマ、南アフリカの歴史と作家アレックス・ラ・グーマとエイズ、ケニアの歴史とグギ・ワ・ジオンゴとエイズ、アフリカの歴史と奴隷貿易、と今までそれぞれ10年くらいずつ個別に辿ってきましたので、文学と医学の狭間からその系譜をまとめようと思っています。

リチャード・ライト(小島けい画)

ライトの作品を理解したいという思いからアフリカ系アメリカ人の歴史を辿り始めてから40年近くになります。その中でアフリカ系アメリカ人がアフリカから連れて来られたのだと合点して自然にアフリカに目が向きました。大学に職を得る前に、神戸にあった黒人研究の会でアフリカ系アメリカとアフリカを繋ぐテーマでのシンポジウムをして、最初の著書『箱舟、21世紀に向けて』(共著、1987年)にガーナへの訪問記Black Powerを軸に「リチャード・ライトとアフリカ」をまとめて以来、南アフリカ→コンゴ・エボラ出血熱→ケニア、ジンバブエ→エイズとテーマも範囲もだんだんと広がって行きました。辿った結論から言えば、アフリカの問題に対する根本的な改善策があるとは到底思えません。英国人歴史家バズゥル・デヴィドスンが指摘するように、根本的改善策には大幅な先進国の経済的譲歩が必要ですが、残念ながら、現実には譲歩の兆しも見えないからです。しかし、学問に役割があるなら、大幅な先進国の譲歩を引き出せなくても、小幅でも先進国に意識改革を促すように提言をし続けることが大切だと考えるようになりました。たとえ僅かな希望でも、ないよりはいいのでしょうから。

文学しか念頭になかったせいでしょう。「文学のための文学」を当然と思い込んでいましたが、アフリカ系アメリカの歴史とアフリカの歴史を辿るうちに、その考えは見事に消えてなくなりました。ここ500年余りの欧米の侵略は凄まじく、白人優位、黒人蔑視の意識を浸透させました。欧米勢力の中でも一番厚かましかった人たち(アフリカ分割で一番多くの取り分を我がものにした人たち)が使っていた言葉が英語で、その言葉は今や国際語だそうです。英語を強制された国(所謂コモンウェルスカントリィズ)は五十数カ国にのぼります。1992年に滞在したハラレのジンバブエ大学では、90%を占めるアフリカ人が大学内では母国語のショナ語やンデベレ語を使わずに英語を使っていました。ペンタゴン(アメリカ国防総省)で開発された武器を援用して個人向けに普及させたパソコンのおかげで、今や90%以上の情報が英語で発信されているとも言われ、まさに文化侵略の最終段階の様相を呈しています。

ジンバブエのムレワ村(小島けい画)

聖書と銃で侵略を始めたわけですが、大西洋を挟んでほぼ350年にわたって行われた奴隷貿易で資本蓄積を果たした西洋社会は産業革命を起こし、生産手段を従来の手から機械に変えました。その結果、人類が使い切れないほどの製品を生産し、大量消費社会への歩みを始めました。当時必要だったのは、製品を売り捌くための市場と更なる生産のための安価な労働者と原材料で、アフリカが標的となりました。アフリカ争奪戦は熾烈で、世界大戦の危機を懸念してベルリンで会議を開いて植民地の取り分を決めたものの、結局は二度の世界大戦で壮絶に殺し合いました。戦後の20年ほど、それまで虐げられていた人たちの解放闘争、独立闘争が続きますが、結局は復興を遂げた西洋諸国と米国と日本が新しい形態の支配体制を築きました。開発や援助を名目に、国連や世界銀行などで組織固めをした多国籍企業による経済支配体制です。アフリカ系アメリカとアフリカの歴史を辿っていましたら、そんな構図が見えてきて、辿った歴史を二冊の英文書Africa and Its Descendants 1(1995年)とAfrica and Its Descendants 2 – The Neo-Colonial Stage(1998年)にまとめました。奴隷貿易、奴隷制、植民地支配、人種隔離政策、独立闘争、アパルトヘイト、多国籍企業による経済支配などの過程で、虐げられた側の人たちは強要されて使うようになった英語で数々の歴史に残る文学作品を残してきました。時代に抗いながら精一杯生きた人たちの魂の記録です。

『アフリカとその末裔たち』(Africa and Its Descendants

 

発表1:「HIV/AIDSから社会問題を炙り出す」            赤木秀男

この世界には数多の病気(疾患)がある。その中でなぜAIDSは世界の貧困、搾取、不平等、差別、偏見を炙り出す疾患たりうるのか。AIDSの病気としての特徴に焦点を当てつつ、この疑問について考える。結論を先取りすると、AIDS特有の①歴史、②感染経路、③発現形式、④感染拡大防止方法、⑤治療ゆえに、AIDSは社会問題の1つの切り口になると私は考える。本報告では、まずHIVがヒトの免疫機構を破壊する過程を解説する。そのあとで、①~⑤の特徴についてまとめ、参加者の意見・感想を得たい。

AIDSは1981年6月にアメリカで初報告された。それから今年で40年である。2021年6月のWHO統計では、この40年間に世界で3770万人がHIVに感染し、2020年の1年では150万人が新規に感染し、68万人がAIDSで死亡したと推計されている。本邦でも2019年の1年間で891人の新規感染者が報告されている。これらの数字は、後述するAIDSの特徴ゆえに、あくまで推計人数に留まり、実数を捉えることは不可能であろう。

ヒトの体内環境は常にウイルスや細菌などの病原体が感染する危険にさらされている。免疫とは、そんな病原体の感染から体を守るしくみであり、免疫細胞とは、体を守る細胞で、病原体の感染から体を守る細胞のことをいう。血液の細胞の中で免疫にかかわるのは白血球で、その白血球は大きく好中球、マクロファージ、リンパ球に分かれる。好中球、マクロファージは食細胞とも呼ばれ、病原体を食べて撃退する。これは生まれながらに誰もが持っている免疫の働きであり、自然免疫と呼ばれる。リンパ球はT細胞とB細胞に分かれ、樹状細胞が抗原提示することでT細胞が活性化する。T細胞には司令塔でありB細胞に抗原提示をし、マクロファージを励ますヘルパーT細胞と、病原体そのものを殺すのではなく感染した細胞ごと殺すキラーT細胞があり、これらT細胞による免疫を細胞性免疫という。もう一つ、体液性免疫という仕組みがあり、これはヘルパーT細胞から抗原提示を受けたB細胞が抗体を産生し、その抗体が病原体の表面にくっつき毒素を抑え、病原体がそれ以上感染できないように無力化する。

HIVはT細胞(ヘルパーT細胞、キラーT細胞)に入り込んで、T細胞を破壊する。それゆえに細胞性免疫、体液性免疫(2つを併せて適応免疫と呼ぶ)が機能しなくなる。免疫機構が機能しないため、病原体の感染から体を守ることができなくなり、HIV感染者は「免疫不全」の状態となる。「免疫不全」ゆえに、健常人ではおおよそ罹らない弱小病原体にまで罹ってしまう状態になると、AIDSと診断される。

HIV/AIDSは①貧困層、ゲイ、薬物中毒者から感染が広がったという歴史があること、② (a)HIV感染者との性交、(b)HIVが混入している血液との濃厚接触、(c)HIV感染者の妊娠・出産という3つの感染経路しか報告されていないこと、③T細胞は破壊されてもすぐ新しく作られるゆえに感染初期は自覚症状がなく数年~10数年という潜伏期間をもつこと、④予防には検査体制の充実、性教育、コンドームへのアクセスが必要であること、⑤予防薬、完治薬はなく、ただAIDS発症を遅らせる治療しかない。ゆえに世界全体の、社会の中での、さまざまな問題や矛盾を映し出す病気たり得るのだと考える。

逆に、病気(HIV)はヒトを選ばない(国籍、人種、年齢)ため、HIV/AIDS患者のあり様はその社会を映し出す鏡とも言える。社会問題を考える際に一つの疾患に着目することは「artificial(人工的)な因子」を排除する観点からも非常に有用なアプローチであろう。

【参考】

・NHK高校講座「免疫のシステム」(https://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/seibutsukiso/archive/resume025.html、2021年11月22日最終アクセス)

・厚生労働省「新規HIV感染者・エイズ患者報告数の推移」(https://www.mhlw.go.jp/stf/wp/hakusyo/kousei/19/backdata/02-08-03-07.html、2021年11月22日最終アクセス)

・ステッドマン医学大辞典編集委員会編『ステッドマン医学大辞典 第6版』(メジカルビュー社、2008年)

・高久史麿ほか『新臨床内科学 第9版』(医学書院、2009年)

・WHO「HIV/AIDS」(https://www.who.int/news-room/fact-sheets/detail/hiv-aids、2021年11月22日最終アクセス)

・東京都福祉保健局「エイズという病気とその現状」(https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/iryo/kansen/aids/genjo.html、2021年11月22日最終アクセス)

 

発表2:「ケニアの小説から垣間見えるアフリカのエイズ」         玉田吉行

系譜の中のHIV感染症とエイズについて、次の順序で話をしようと思います。

(1)ケニアの概略と歴史/(2)『ナイスピープル』(Wamugunda Geteria, Nice People, 1992)/(3)『最後の疫病』(Meja Mwangi, The Last Plague, 2000)/(4)アングロ・サクソン侵略の系譜の中のエイズ

(1)  ケニアの概略と歴史

植民地以前(紀元前2000年頃北アフリカから定住、のちにアラブ人とペルシャ人が植民地化)→ヨーロッパ人到来(1498年にポルトガル人が来てモンバサを拠点に貿易を支配、19世紀に英国が到来)→植民地時代(1895年英国の東アフリカ保護領、1920年英国の植民地に)→独立・ケニヤッタ時代(植民地政策への抵抗運動後、1963年独立、1969年に「事実上の」単一政党国家)→モイ時代(1978年にモイが二代目大統領)→キバキの時代 →現連立政権時代(2007年の暴動で、大統領の国家統一党とオレンジ民主運動の連立政権)

(2)『ナイスピープル』

ケニア中央病院

アフリカでの最初のエイズ患者が出始めた1985頃のケニアの状況を描いた小説。ナイジェリアの大学を出てケニア中央病院で働き始めた医師ムングチの眼を通して、謎の病気(のちにエイズと判明)で入院して来た患者の話や、自分の愛人と関係、ナイスピープルと呼ばれる都市部の富裕層の人たちの姿が描かれていて、最初のエイズ患者で慌てる医者や世間の姿を描いた歴史的な資料にもなっています。

(3)『最後の疫病』

エイズが蔓延し、今まさに死にかけのケニアの小さな村クロス・ローヅを舞台に、子供3人と母親と暮らすジャネットという女性を通して、エイズで夫を亡くした女性を夫の兄が引き継ぐなどの様々な問題を抱えた農村部の実情が描かれています。

ナイロビ市内

(4)アングロ・サクソン侵略の系譜の中のエイズ

 

エイズをテーマに2回科研費をもらっています。最初は「英語によるアフリカ文学が映し出すエイズ問題―文学と医学の狭間に見える人間のさが」(平成15年~平成18年)で、2回目は「アフリカのエイズ問題改善策:医学と歴史、雑誌と小説から探る包括的アプローチ」(平成21年~平成23年)。どちらも文学と医学を結び付けた視点からエイズを考え直すいい機会になりました。

アメリカ人医師Raymond Downingさんの著書 As They See It The Development of the African AIDSは極めて示唆的で、Nice Peopleなどの小説もその本で知り、エイズに限らず病気を包括的に見る視点の大切さを教えてもらいました。

奴隷貿易で資本を蓄積し、産業革命を起こして資本主義を加速させて、経済を拡大し続けて来ているのですから、当然搾り取られる側の弊害や惨状は大きいわけです。その一つとしてエイズを捉えるようになったのは、アフリカ系アメリカの歴史から辿り始めて、アフリカに目を向けて考えるようになった必然の結果なのかも知れません。その流れで、エイズの問題を考えたいと思っています。