つれづれに:暑い日々(2022年9月8日)
つれづれに:暑い日々
暑い日々が続く。畑にいる時間や散歩をして草花や樹の様子を見ているときは、旧暦の24節気が身近に感じられる。「昔の人はうまいこと言うなあ」と感心することが多い。ただ今のこの暑さというか熱さというか、こういう事態が続くと吹っ飛んでしまう。年齢とともに皮膚が弱くなり、焼けるようにひりひりすることもある。汗の臭いがきつく感じられることも多い。何回も風呂に入って汗を流すが、それでもなかなかである。高校と大学時代に過ごした部屋はトタン屋根で、南側に窓がなかった。別の屋根に拵えた部屋に行くための階段があったためである。トタン屋根で風が通らず、最高のコンディションである。若くて肌も堪えてはいたが、苦しかった。何軒か行ってた家庭教師先には皆クーラーがついていたので、その時ばかりは過ごしやすかった。家庭教師代をまかなえる家はクーラーも設置可ということか。一度、台風でトタン屋根が飛んだことがある。それもそれまで吹き荒れた雨風が急に止んで、青空が見えたのである。台風の目の中に入っていたようだ。その経験は初めてだった。そのあとしばらくして、また猛烈な雨と風が吹き荒れた。もちろん、部屋の中は水浸しである。貴重な経験だったが、大変だった。今の家は雨漏りもしないし、少々の雨でも家の中にいればあまり音もしない。天国と地獄である。黒澤明の「天国と地獄」でも。研修医を演じる山崎努がうだるような暑さの中のぼろアパートの一室から、丘の上に立つ三船敏郎が演じる金持ちの家を見上げていた。丘の家には戦後まもなくの時代でもエアコンがついていた、と思う。
家から見えた紡績工場
春の花をささっと書くつもりがもうずいぶんと時間がかかっている。その期間、24節気のことが頭からすっかり抜けていた。畑にも出られずに、季節を感じられないほどだったというわけである。今年は立秋が8月7日からで、その辺りまで季節を辛うじて追いかけていたが、それ以降吹っ飛んでしまっていた。暑すぎたのである。畑に出る自信がなかった。いろいろ試すつもりだったが、畑にも出られず、春先に植えた夏野菜が実をつけているのに、それを採りに出るのも難しかった。オクラ(↑)は虫がつくと葉が巻いてしまうので、希釈した酢をかけないとと思いながら、実も採れなかった。大きくなり過ぎると包丁も入らない。大きくなっているのがわかっていながら、出られなかったわけである。次の節気の処暑が8月23日に始まり、 今日の9月8日から白露が始まる。処暑「厳しい暑さの峠を越した頃です。朝夕には涼しい風が吹き、心地よい虫の声が聞こえてきます。暑さが和らぎ、穀物が実り始めますが、同時に台風の季節の到来でもあります」とあるが、実際はまだ峠を越した感じがしない。朝晩が涼しくなったら、また畑を再開したい、と思えるといいのだが。オクラはまだ峠を越していない。虫でやられた箇所は切り取って、希釈した酢を撒き、追肥もしたい。南瓜の柵も途中になったままで、蔓が伸び放題、一昨日隣との境の草を取った時は、危うく隣の家に蔓の先が侵入しかけていた。樹に蔓を蒔いて、大きな実が2個なっていた。金木犀の垣根にも蔓が這っているので、実は期待できそうである。
柿(↓)がすっかり大きくなっている。大きな台風が来て落とされなければ300個近くあるかも知れない。一時期取り入れるのも洗うのも剥くのも干すのも面倒臭くなっていたが、今年はその頃には暑さも過ぎていそうなので、大丈夫そうである。去年は6個しか干し柿にできなかったのでお裾分けも叶わなかったが、今年は何軒が持っていけそうである。保存食とは言え、甘いので冷蔵庫に入れていても黴が生える。二人ではそうたくさんは食べられない。やっぱりお裾分けしかない。
23日から始まった処暑も昨日7日で終わり、白露に入る。処暑は厳しい暑さの峠を越した頃で、例年なら朝夕には涼しい風が吹き、暑さが和らぐはずだが、相変わらず暑いまま。辛うじて空が秋の気配を見せ始めたものの、まだ昼の暑さは続きそうである。白露は、夜中に大気が冷え、草花や木に朝露が宿り始める頃らしいので、遅れても例年に追い付くことを祈るのみである。畑に出る気になりますように。秋刀魚と梨と南瓜の季節らしい。畑に出られないお陰で、一面が南瓜(↓)天国である。