ZoomAA3a:口承伝達(2024年2月5日)

2024年2月6日つれづれに

つれづれに:口承伝達

 アフリカと欧米では家(house)が持つ概念が違うというのを、ジンバブエの学生→「アレックス」から教えてもらったが、歴史の伝達の仕方もずいぶんと違う。日本は中国や韓国の影響が大きいので、紙に墨(すみ)でかいたものを残して歴史を編纂(さん)して来た。古事記や日本書記などである。そのときの金持ち層の都合によって捏(ねつ)造されたり、捻(ね)じ曲げられたりしている部分もあるだろう。しかし、伝達されている紙媒体で残されたものをもとに歴史が書かれているのは確かである。公教育の場では、その歴史が伝達されている。

しかし、アフリカの場合、長く文字を持たなかった。文字がなくても、自分たち流の生活が送れたからだろう。欧米諸国は、アフリカ人が文字も持っていない=文化程度が低い、を自分たちの野蛮行為や白人優位・黒人蔑視の意識を正当化するために利用したが、文字を持つかもたないかは、文化の違いである。アフリカ人は過酷な大陸で生き延びる方策を持っていたのである。製鉄の技術も高かった。鉄を作るには、鉄鉱石を地中から掘り出す技術が要るし、加工するためにはかなりの温度の高炉も必要である。どれくらい温度を上げられるかで鋼(はがね)の強度が決り、鋼の強度で刀の精度が決まる。長いこと、刀社会では精度の高い刀が命だったと聞いたことがある。

口伝えで自分たちの歴史を次の世代に引き継いで来たのを知ると、口承文化の乏しい私たちからすれば、凄(すご)いとしか言いようがない。文字を持つアフリカ系アメリカの作家アレックス・ヘイリー(↓)が、奴隷として連れて来られた西アフリカの小さな村まで辿(たど)り着き、その村のグリオ(griot)の口から、自分の祖先のクンタ・キンテの名を聞いて、それを本にして出版し、その本を基にテレビ映画「ルーツ」を拵(こしら)えているのだから。

 久しぶりに→『ルーツ』の第2部を見た。2007年に放映30周年記念の6枚組のDVD版(↓)が出て、日本語・英語字幕が完備された鮮明な映像を授業でも使えるようになった。しかし、記念版は第1部だけである。第2部はNHKのアーカイブにもないので、今となっては貴重な映像である。非常勤で世話になった→「LL教室」でダビングさせてもらった映像のお陰である。(→「大阪工大非常勤」

 クンタ・キンテの子孫のアレックス・ヘイリー役の俳優がアフリカに渡り、ジュフレ村で自分の祖先の名前をグリオから聞くくだりは、圧巻である。叔母のシンシアから聞いた話に興味を持ち、調べ始めた。当初、奴隷主の家計を辿り、根気よく図書館で調べ続けて、祖先が乗せられたロード・リゴニア号(↓)が入港したアナポリスに行き、相談を持ちかけた係員に言われた。

「174年から1810年の間に、一体何隻の船がこの港に入ったと思います?もちろん、税関の目を逃れてそこらの入り江に入ったかなりの数の密輸船を除いての話ですよ‥‥大雑把(ざっぱ)に言って、あなたの言ってた期間に上陸した奴隷の数は10万人を超えるでしょうね。あなたのお探しのものは、到底みつかりませんね」

 しかし、ヘイリーは見つけ出した。妻子にも出ていかれ、原稿を持ち込んだ出版社にも、マルコムXのインタビューに成功した「プレイボーイ」にも、アフリカ渡航の前借りを断られた。しかし、執念が実り、言語学者からガンビア川を遡(さかのぼ)ったマンディゴの村の名前を聞き出し、リーダーズダイジェストから前借りも出来て、ガンビア(↓)に渡った。そして、クンタ・キンテがある日森にドラム用の木を切りに行って奴隷狩りに遭い、姿を消したことをグリオの口から直(じか)に聞くことができたのである。

 叔母の話を聞き、文字で残された記録を辿って、西アフリカのガンビアを突き止め、川を遡ってジュフレ村に行き、村の歴史の語り部グリオの口から、ある日森に木を切りに出かけたクンタ・キンテ(↓)が姿を消し、戻らなかったと聞いた。雨季や旱魃(かんばつ)、支配者の動向で年月を数えたグリオが代々守り続けてきた口承伝達の文化と、執念で祖先に辿り着いた子孫のヘイリーの文字の文化が融合し機能して、7世代を繋(つな)いでくれたのである。