つれづれに:7月も半ばを過ぎ(2024年7月20日)
つれづれに:7月も半ばを過ぎ
<犬(つむぎちゃん)とひまわり> (3号)
腰を痛めて大変な思いをしている間に、7月も半ばを過ぎている。だいぶ普段通りの生活が出来るようになった。痛みも左の太腿(ふともも)と下半身に感じるだけとなっている。自転車に乗ったり、しばらく歩いたりすると痺(しび)れの感じがやや強くなるが、生活にさほど支障は出ない。俯(うつぶ)せにも仰向けにも、左向きにも右向きにもなれず、寝られなかった状態からすれば、奇跡の復活である。今日は初めて、生産者市を覗(のぞ)いた帰りに、木花神社に自転車をとめて、階段の登り降りをした。99段あるが、下の20段ほどを何回か上り下りした。東側にあって3時過ぎだったので日影の部分も多く、陽射しを気にせずに登り降りが出来た。
カレンダーも7月になっている。絵は東京の人が注文して下さったつむぎちゃんである。今年は是非とも本人が個展に行けるように、娘も準備をしてくれている。コロナの患者がまた増えているので心配だが、3年も本人が行けてないので、何とか行けるのを祈るばかりである。個展にも行けてないのに、注文してもらえるのは有難いことである。何よりの励みにもなる。今年も、何年か個展に来て下さっている人が、初めて注文をして下さった。すべてメールの遣り取りだった。完成した日に画像は送れたが、絵は個展に出して下さるとのこと、居間の飾る位置まで決めて待って下さっている。有難い限りである。
個展会場のルーマー
辺りはすっかり真夏である。連日36℃-26℃の猛暑が続く。日中に外に出るのも勇気が要る。超早場米(はやばまい)もうすぐ刈り入れ時である。今年は何だ梅雨の前から雨の日が多く、日照時間が短かったから、可能な限り刈り入れ時期を延ばしたいはずである。台風が来たら、倒れて水浸しになるので、その前に刈り入れを済ます必要がある。最近は本業農家が少なくなっているので、土日の作業が多い。去年も台風の前に刈り入れが出来なくて、実った稲が倒れて水浸しになり、そのままになっていた田んぼがあった。折角田起こし、田植え、草刈りをして収穫するはずだったのに、台風の前に人出が手配できなかったのか?刈り入れが無事に終わるまでは、台風との勝負である。
木花神社展望所からの稲田
腰をやられて今年は駄目かと思っていたが、何とか少しずつ竹を運んで、瓢箪南瓜(ひょうたんかぼちゃ)の柵(さく、↓)は出来た。すでに地に這(は)っていた蔓(つる)を、柵に絡(から)ませた。だいぶ勢いづいている。濃い黄色い花も咲き出した。あとは実に生(な)るのを待つばかりである。2年続きで台風の時に傾いてしまったが、今年は木の杭で補強している所もあるので、強風に耐えてくれたら嬉しい。
柵が出来る前の春先
台風で傾いた柵
オクラも、遅ればせながら大きな葉をつけて、実も生り始めている。油断すると、虫にやられて粘液で丸くなって枯れてしまう。虫にやられた箇所はちぎらないと、葉全体がやられてしまうので、こまめに取り除く必要がある。炎天下の作業は無理なので、夕方西陽(にしび)が建物に遮られて陰になる2時間ほどの間に手入れが必要である。続けるのは、なかなか難しい。胃の壁を守ってくれるねばねばした食べ物の一つで、臭いもなく食べやすい。納豆と山芋に加えて、この時期自前で賄(まかな)える貴重な野菜である。
渋柿も大きくなっている。一昨年は500個前後、去年はゼロ、極端な2年間だった。今年は300個足らずくらいか、たくさん実をつけている。台風でやられなければ、また干し柿の作業で忙しくなりそうである。
春先の柿
腰が少し楽になり、椅子に座れるようになって「つれづれに」を再開したが、元のようにはいかず、また書けないままだったが、何とか書いてまた続けるつもりでいる。70代半ばの→「オーバーワーク」の一つの原因は、座ったまま書き詰めだったから、今度はこまめに休憩を取り、妻がしきりに勧めてくれるラジオ体操をしながら書くとしよう。空間が欲しくて大学を探したのに出版社の人と出遭って息つく暇もなく、気がつけば退職していた。医学生の授業の工夫と部屋に来てくれた人たちと話をしている間に、定年になってしまったというところだ。ならば、それを題材にするしかない、そんな思いが強くなった頃に腰をやられた。最後辺りはアングロ・サクソンの侵略の系譜を追っていたが、考えてみれば1949年以降は、私もこの世の中にいたわけである。コンゴや南アフカと思わず生き存(ながら)えてしまった日本と対比して書いてみるか、たくさん書きながらそんなことを思いついた。次回は手始めに、1995である。少し更新まで時間がかかるかも知れない。
<犬(つむぎちゃん)とひまわり>の原画 (3号)