つれづれに: 通草4(2021年9月30日)

つれづれに

つれづれに: 通草4

あけびから少し逸れそうである。

市民の森の花菖蒲を一心に描いている頃に、僕が雑誌に記事を書いていた出版社の社長さんから表紙絵を薦められた。最初の表紙絵(→山田はる子『心の花を咲かせたい』、1989/1/25)は花菖蒲である。↓

その後→芹沢修『雑木林』(1991/9/8)と、上田進『琴線にふれる教育を求めて』(1993/3/20)でも花菖蒲を描いている。

そのあとすぐに、大学用の編註テキストを引き受け、それが→La Guma, A Walk in the Night(1991/1/15)である。アメリカ映画「遠い夜明け」と同じ時期に、孤独拘禁を受けた最初の白人女性ルス・ファーストの娘さんが製作したイギリス映画→「『ワールド・アパート』 愛しきひとへ」(「ゴンドワナ」18号7-12頁。)の一場面を白黒の水彩でさっと描いていた。↓

そのあとすぐに編註書の2冊目→La Guma, And a Threefold Cord (1991/4/14)を引き受け、表紙を頼んだ。ちょうどNHKの衛星放送が見えるようになった時期で、BS1のアンゴラのニュースを見ながら、水彩で、これもさっと描いていた。↓

のちに原画を出版社から戻してもらって、画像にしている。↓

家族でジンバブエに行く前に原稿を仕上げて出版社に送ったのが日本語訳の→ラ・グーマ『まして束ねし縄なれば』(1992/10/16)で、ハラレにいる時に届いた。やはり、BS1ニュースのナミビアの一場面を見ながら、これもさっと描いていた。その時はよくわからなかったが、描いた本人には全体像のイメージがあってさっと描けたようである。粋な表紙絵になったのは編集者の手腕だ。↓

裏表紙(表紙と続き)

いま日付を見てみると宮崎に来てから数年の間のことである。この時期、英文編註書を2冊、日本語訳を1冊と立て続けに作業をしている。編註書も日本語訳も初めてで、ワープロ原稿をフロッピーで送った記憶がある。小説を書くつもりで大学に来たはずだったが、道草や烏瓜を探し回るかたわら、たくさん記事も書いていたから、それどころではなかったようである。編註書はそれぞれ一年弱、日本語訳は一年半はかかっているから、物理的にみても、小説を書く時間はなかったわけだ。定期的に研究室に来てくれる学生もかなり増えていたので、なおさらである。

最近編註書と日本語訳(→編註書 A Walk in the Night」、→「編註書And a Threefold Cord 」

「日本語訳『まして束ねし縄なれば』」)について書いた。次回はあけびの表紙絵とカレンダーか。