つれづれに:「つれづれに」(2022年10月30日)

2022年10月31日つれづれに

つれづれに:「つれづれに」

 「つれづれに」を小説の修作に使うことになって毎日書いてはいるが、時たま書けない日がある。この前の「ボイラー」(↓)の時もそうである。こちらはボイラーがまだ故障のままなので、継続中だ。何かが故障するとどこかに頼まないと自分ではできないのだが、頼んでやってもらうと大抵は不愉快な思いをする。最近、その点は有難いことに、幸運続きだ。便座を直してもらった所に電話をしたら「ガスの取り扱いが出来る所の方が早いですよ」と、こちらの事情を察して助言をしてくれた。ガス屋さんに電話をしたら、丁寧な対応で「近くを回っていた」人がその日の夕方に来てくれた。事情を聞き、ボイラーの点検をして、次の日の見積もりと工事の手配を約束して帰って行った。翌日は朝早くに見積もりを持って来てくれ、その場で依頼をした。「明日中には工事の手配をして連絡します」と言って帰っていった。翌日は暗くなっても連絡がなかったので「またか」と諦めかけた時に、電話があって「11月3日(水)の午後の3時から4時の間に来て工事をします」と言ってくれた。なかなかこうは行かない。有難いことである。

ボイラーが壊れた日は、ガスレンジの二つを使って大き目の鍋で湯を沸かし、風呂に運んだ。初めてのことでもあり、要領がわからずに4時間もかかった。「スイッチ一つで動く楽な生活に慣れているんやなあ」と思ったのが実感である。ガスレンジの一つは火を強くすると炎が黄色味を帯びるので、火力が弱い。それで余計に時間がかかる。昨日で3回目、だいぶ要領がわかってきたので、2時間ほどで風呂に入れた。ハラレではその作業が毎日だった。冬の一番寒い日に、それまで何も頼まなかったゲイリーが「バケツ一杯のお湯をもらえませんか?」と言ってきた。その日から毎日用意したが、湯を沸かすだけでも大変な毎日だった。この500年も搾り取られて、先進国以外は、先進国のような快適な生活とは無縁な人の方が圧倒的に多い。

もう一つの理由は干し柿である。生り年で300個~400個もなったようで、風で落ちたり、早熟で干しても落ちてしまったりして100個近くは干し柿にはならないが、それでも300個ほどはある。枝から採って、へたの部分を切って洗い、剥いて、消毒して吊るす、それだけの作業だが、なかなかの手間である。妻は「手作りやから、大事にしないとね」と言ってくれるが「足では作られへんもんな」と、毎回同じことを繰り返す。一生変わりそうにない。口が反射的に動く。「手作り」という言葉自体に違和感を感じるからなのか?「なんでもかんでも手作りをつけんでもええやろ」とでも言いたいのか?

昨日30個剥いて、やっと146個になった。最初の10個ほどはすでに大根なますになって、2回目の分がほぼなくなりかけである。こちらは吉祥寺の娘に甘酒と一緒に、第一号を送ることができた。50個ほどは完成まじかである。今日も今から昨日の晩に取りこんで、へたの部分まで作業が済んでいる30個を剥こうとしているところである。今日中に200個まで行ければと思ってはいるが‥‥。

2022/10/29現在合計146個、作業継続中

 本の推敲も「つれづれに」が書けない理由の一つだ。ずっと推敲は継続しているが、今回は40字×30字の123枚が113枚になった。冗長な表現を削るのと、「そもそもこれは要らんやろ」という個所を削ったら、10枚が減った。表現が如何に冗長か、言わなくてもいいことが如何に多いか、「言わないで言うのが文学的昇華やろ」という声がいつも心のどこかに響いている。それと推敲しながら気づいたのが、同じ表現の繰り返しが多いことである。表現の偏った繰り返しも多い。如何にさりげなく書き直せるか?毎日の生活の中で、今、心が一番したいと言っていることである。

なかなかそればかりやっているわけには行かない。柿が終わるまで、畑に出る時間が取れない。芽を出した大根も大きくなっているし、レタスに葱(↓)にブロッコリーの芽も大きくなりかけている。

 去年から頼まれるようになった入試問題の点検も「つれづれに」を書けなかった理由の一つである。科研費も終わり、研究室も出たので、大学には顔を出したくないが、医科大の学生課に高卒で来て以来ずっと世話になっている人が入試課の課長になって木花(↓)に来て、その人から連絡があった。断れずに、去年も行ったら、今年また依頼のメールが届いた。本人は学生課に異動しているのに、である。ずっと入試問題を作っていたから、点検に問題があるわけではないが、時間はかかる。医、農・教、工・地域の3種類、医は後期もあるし、それぞれ予備問題もある。一つ90分の問題をすべてを点検するわけだから、やっぱりそれなりの時間がかかる。それも、一昨日の金曜日で終わった。

「つれづれに」を書ける毎日は、実は有難いものである。病気をしても、ボイラーのようなことが起きても、入試の点検作業など普段はないものが入っても、拘束される時間だけでない時間まで取られてしまい、普段通りには行かない。今のところ「つれづれに」を書ける毎日が一番のようである。