つれづれに:教育実習(2022年5月4日)

つれづれに

つれづれに:教育実習

 雨が長く続く前に写真を撮ったときは、みかんの花に勢いがあったが(↑)、昨日出かけて写真を撮った時はすでに盛りが過ぎていた。(↓)この時期柑橘類の甘酸っぱいかほりがあちらこちらに漂うが、今年は長雨の影響で、そのかほりを味わい損ねてしまったようである。

 避けられないとは言え、高校に実習を頼みに行くのは億劫だった。まだ心の傷が癒えていなかったらしい。2週間のあいだ、ずっと気持ちが沈んだままだった。生徒でいた時と同じように、終始何かに腹が立った。3年生の時の担任が実習生の担当だった。英語のリーダーの時間に「リスポンポンシビリテイのビのところにアクセント」と言いながら黒板を叩くコンコンコンという音の感覚を耳の奥に植え付けてくれた張本人である。(→「高等学校2」、1月19日)東京教育大の先輩は順調に指導主事になって今はいないようだった。いずれは先輩の手招きで同じ道を歩みそうだった。少し北の田舎の進学校の優等生らしかった。初日に一週間授業を見とけと言われた。実習に来たんやで、何が授業を見とけや、と思ったが、言える筋合いでもなかった。授業のあとに、久しぶりの授業どうやったと聞かれたが、久しぶりの授業、よかったですとでも言うと思ったか。どうも戦闘的になってくる。まだ引き摺っているようだ。その次は、教案を作れだった。もちろん実習生の手引きに従った手筈通りだったのだろうが、すべてが忌まわしかった。

大学全景(同窓会HPから)

 極め付きは、最終日、教頭なる人の説教だった。前身の旧制中学から広島大を出たばりばりの尚志会(広島大学兵庫県の同窓会らしい)の会員のようだった。元々説教の類と優等生は大の苦手だ。それに、実習に行った先で、説教される謂われもない。自分の心がすべてわかっているわけでもないので何も言えなかったが、何とか気持ちを伝える方法はないか。しゃーない。一番前に座って、下からじっと睨みつけるか。しかし、2時間とは恐れ入った。予想外である。途中気になったと見えて、左手をぞんざいに振って、そんな近くで見上げるな、じっと見るな、と目で合図を送っていたが、意地になって最後までに睨みつけた。疲れた。「ほんの気持ちを伝えるだけ」も、大層なものである。2週間の教育実習は終わったが、引き摺ったままの自分を再確認しただけだった。→「高等学校1」(1月17日)、→「高等学校3」(1月21日)、→「家庭教師1」(4月10日)
次回は、購読、か。

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