比較編年史①1949日本(2025年4月30日)

つれづれに

つれづれに:比較編年史①1949私

<猫(ノラちゃん)と(ノアちゃん)>(2号)

小島けい「私の散歩道~犬・猫・ときどき馬」5月

 比較編年史2回目である。前回の→「①1949私 」では、編年史を書こうとした経緯と、1949年に私が生まれたということを書いた。今回は私の生まれた1949年の日本についてである。

<猫(ノラちゃん)と(ノアちゃん)>原画

の私の生まれた年から1年毎に、同じ年に様々なところで同時代的に起こっていたことを比較してあれこれ書いてみようと思っている。もちろん、私の最初の記憶はたぶん幼稚園に入る前だからずいぶんと前のことで本当にそうだったのかも怪しい。おまけに、戦争帰りの父親はまだマレーシアのジャングルにでもいたのか、怒鳴るばかりで怖いだけの存在だった。まったく話したことがない。だから、母親や住んでいた時に接した人たちから判断したものだから、ある意味、フィクションに近い。その後も、若くにすべてを諦めたつもりで自分から世の中を見ようとしなかったので、当時接した人たちから補足するのも難しい。

薊(小島けい画)

 小説を書くと決めたのは10代の時だが、書きたい気持ちは今もずっとかわらずにある。小説を書く空間を求めて大学に場所を見つけたが、赴任する何年か前に出遭った出版社の人に会っていて書き出せなかった。赴任したとたんに、テキストの編集や雑誌の記事や本や翻訳を次々に言われて、気がつくと定年退職の頃になっていた。退職後再任されたあともしばらく余韻があって、小説を書き出したのは、その人が亡くなったあと数年してからである。

生まれた所の近くの川に架かる橋

 その過程で、自伝的スケッチを書いているとき、同じ頃周りの日本の社会はどうだったんだろうとか、アメリカでは、アフリカではと考えるようになった。大学では研究業績も求められるので研究者のふりをして、外部資金ももらったりしていた。その方が大学でも居心地がよかったからだし、ある程度お金が使えたからである。東京や神戸に行ったりする旅費も、周りの学生に出す謝金も、使うパソコンなどの機器や消耗品にも使えて便利だった。

生まれた家のすぐ南の国道2号線

 ただ、最初の出発点がアフリカ系アメリカの作家だったので、祖先が奴隷として連れて来られたアフリカ、その中でも一番やられた南アフリカやコンゴなどの歴史も追うようになって、外部資金の最後のテーマがアングロ・サクソンの侵略の系譜だった。一応大学の校務もあったし、特に教授になってからはすることも増えた。幸い、最初から研究室に学生もたくさん来てくれていたし、文字通りすることばっかりだった。

南アフリカ地図

 しかし、やれることにも限りがある。歴史と言っても、日本の歴史も少し齧っただけだったし、アメリカやコンゴや南アフリカにしても高々知れている。その範囲の中での、編年史ということになる。

南北戦争直前のアメリカ地図

 今回は、編年史を書こうとした経緯と、1949年に私が生まれたということを書いた。私の記憶の欠片が増える小学校くらいから自伝的スケッチの風景も増えると思うが、それまでは家族や家の周りや住んでいた街について書くことになりそうである。私以外については、ウェブでインプットして昇華させながら、書こうと思う。私のフィクションである。

薊:「私の散歩道2009~犬・猫・ときどき馬」5月

→小島けい「私の散歩道~犬・猫・ときどき馬~一覧(2004年~2024年)」