つれづれに:サンフランシスコ(2022年6月19日)
HP→「ノアと三太」にも載せてあります。
つれづれに:サンフランシスコ
『アフリカとその末裔たち」小島けい挿画
「修士論文」(6月18日) をライトで書くと決めてファーブル(Michel Fabre)さんの本(↓)を読んだとき、なぜか中心テーマが浮かんで来た。「購読」(5月5日)の授業のテキストで読んだ中編が、それまでの人種主義への抗議中心からより普遍的なテーマへの転換を意識して書かれた作品であるというファーブルさんの指摘が私の感じていたイメージと重なったからだ。たぶん伝記の最初の方で「この本を後の世の人のために贈る」というようなファーブルさんの息遣いを感じていたからだろう。普遍的なテーマへの転換を描き出すためには、主だった作品を読む必要がある。先ずはその作品が1944年に収められた→「クロスセクション」(2019年2月20日)という雑誌を見てみたい。作品自体は大学のテキストでも読んだし、Eight Men (1960)の中にも入っているが、実際に雑誌を見て、感じてみたい、それが最初だ、そんな気がした。現物がニューヨーク公共図書館のハーレム分館にあるのがわかったので、初めてのアメリカ行きとなった。
ライトはミシシッピ(↓)に生まれ、メンフィス→シカゴ→ニューヨーク→パリと移り住んだらしい。今回パリまでは行けないが、ニューヨークで雑誌を見たあと、シカゴ、メンフィスに行って、最後は生まれたミシシッピまで行ってみるか、そんな旅程を思いついた。ただ、アメリカの西海岸に着いても東海岸まで行くに5時間ほどかかるらしいから、先ずは西海岸で2、3泊、それからシカゴ→ニューヨーク→メンフィス→ミシシッピと移動するか。2週間ほどの予定だと少しきつそうだが、行ってから変更も出来るように組んで、先ずは行ってみるか。そんなイメージで大阪の旅行会社を訪ねた。1981年の夏、円が280円台の頃である。
ライトの生まれたミシシッピのナチェズの空港
最初の土地に選んだのはサンフランシスコである。私が戦後まもなく生まれたからか、アメリカには憧れと反発が入り混じったような複雑な感じがずっとして、英語への反感はかなり強い。受験で英語もしなかったし、大学でも英米学科で英語をやらなかった。教員と大学院の試験のために購読と英作文と英文法は少し齧ったが、聞くと話すは意図的にしなかった。小学校の頃に始まったアメリカ化は影響が強く、テレビから流れるアメリカの映像は意識の奥深くに焼き付いている。サンフランシスコならゴールデンゲイトブリッジ(↓)にケーブルカー、ニューヨーク州のナイアガラの滝、マンハッタンのエンパイアステイトビルディングなどである。ついでに、みんな回って来るか。
サンフランシス空港(↓)からホテルに電話したが、電話を取ったとたんに誰かが何かを言っている。しゃべり方が早くて慌ててしまった。当時市外通話は交換手が繋いでいたようで、「交換手です(Operator)」と言ったあと、あと小銭をいくら入れて下さいと言っていたと思う。最初の洗礼である。
もちろん最初にゴールデンゲイトブリッジに行った。折角なので橋を歩いて渡った。45分程かかった。向こう岸に着いて、反対側から街を眺め、また歩いて戻った。それだけである。ゴールデンゲイトブリッジは、ハリウッド映画「招かれざる客」の映像の影響である。妻を亡くしたエリート医師役のシドニー・ポワチエ(↓)が、白人の金持ちの若い娘さんと結婚する話である。高台にある白人の豪邸から見えるゴールデンゲイトブリッジ。白人歌手トニー・ベネットの歌「霧のサンフランシスコ」が背景に流れる夜景は美しい。(I Left My Heart In San Francisco)
後年のポワチエ
ケーブルカーも坂を走っていた。チャイナタウン(↓)にお昼を食べに行った。周りのアメリカ人は"Sapporo”と大きな声でビールを注文していたので、"Budweizer”とわざと大きな声でビールを頼んだ。いつものように焼き飯と餃子とラーメンを頼んだが、あの人たちどんだけ食べるんや、と思えるほど量が多かった。体型の仕様が違うらしい。
初めてのアメリカの印象は、みんな英語をしゃべってるやん、だった。普通に「しゃべってる」は当たり前だが、まったく聞き取れなかった。NHKの英会話、あれ何やったんやろ。まったく違うやん。英語を聞いてないし、しゃべってもいないんだから当然なのだが、なぜか中高大と英語をやってきたのに、間違ったら恥ずかしいという意識が働いていたらしい。誰ともしゃべらずじまいだった。それでも空港での再確認やホテルでのチェックインやチェックアウトもやり、バスやタクシーに乗って移動もしたようである。これから行く予定のシカゴは北部の真ん中辺りにあると思い込んでいたが、ニューヨークまでの飛行時間は二時間余りだから、東部寄りの大都市らしい。
ちょうどサンフランシスコ(↓)の街をうろうろしている時期に、最初のエイズ患者が出ていたとは、その時は、夢にも思わなかった。
次は、シカゴ、か。