つれづれに:郁子と通草(2023年12月2日)

2023年12月11日つれづれに

つれづれに:郁子(むべ)と通草(あけび)

小島けい「私の散歩道2023~犬・猫・ときどき馬」12月<馬(ジプシー)とイチョウ>

 もう12月になっている。今年もあと1ケ月を切ったわけである。広島の人のメールに「広島はどこも紅葉が深まり視覚的にも感覚的にも秋を感じるようになりました」とあったが、宮崎にいるといつも緑という感覚になってしまっている。もちろん、公園の銀杏(いちょう)が少しだけ黄色に染まることもあるが、雪国の北海道や韓国などの銀杏の鮮やかな黄金色には叶うはずもない。去年の11月に前立腺騒動があり、もう一年である。経過観察も含めて、3ケ月に一度の診察を受けた。また3ケ月後に、血液検査をするらしい。数値が戻っていればいいが。今のところはシロだそうだが、一応、である。

 一月前に→「郁子」(11月2日)の中にも、二つの実が少し色づき始めたことを書いて、 いつかすっかり色付いた実の写真を撮るつもりでいたが、ある日、片方の実が消えていた。今日見に出かけたら、もう片方も見事になくなっていた。(↓)

 片方の実は道路の脇に転がっていた。だいぶ日が経ったような感じである。中の実がほとんどない状態である。樹に生っている時はふっくらとして光沢があったのだが、落ちた実の表面には艶はなく、道草の色に似ていた。

 もう片方の実は、隣の家の庭の中に落ちていた。割れてはいたが、いたみ具合から見て、こちらの方が後で落ちたようだった。その実にも艶はなく、道草の色に近かった。

 妻に絵を書いてもらおうと、目についた道草を採って来たのが最初だった。もう30年以上も前になる。そのあと、出版社から装画の話が来てからも、注文のないときも、しばらくは道草の絵を何枚も描いていた。(→「通草」)郁子も見つけて採って来たが、形と色が道草とは違うようで、そちらの方は絵にならなかった。形と色が気に入らないらしい。郁子に罪はないが、相性の問題だろう。

村越一哲『幻の東京オリンピック』(装画、2000/12/2)

気温も下がって、だいぶ畑に出る時間が多くなり、また旧暦の二十四節気(にじゅうしせっき)が身近になった。一年の太陽の黄道上の動きを視黄経の15度ごとに24等分して決められているらしく、旧暦(太陰太陽暦)では、季節を表すために用いられていたと聞く。全体を春夏秋冬の4つの季節に分け、さらにそれぞれを6つに分けた24の期間を「二十四節気」と言ったらしい。二十四節気はその瞬間を指すこともあれば、そこから始まる期間を指すこともあるそうである。

冬には立冬(11月7日~)、 小雪(11月22日~)、大雪(12月7日~)、冬至(12月22日~)、小寒 (1月6日~)、大寒(1月20日~)の6節気があり、そのあと春が立つ、立春(2月4日~)である。

小雪をこゆきと呼んでいたら、妻に「しょうせつでしょ」と言われた。その通りである。小雪は、雪が降りはじめるころ。まだ、積もるほど降らないことから、小雪といわれたらしい。宮崎はほとんど雪が降らないので、実情に合ってはいないが、全国的に考えれば、そうなんだろう。

昨日の金曜日も、また自転車で白浜の鍼灸整骨院に行って揉んでもらえた。海はすっかり冬の色だった。カメラを持って行けなかったので、海の写真は撮れなかった。残念である。

金木犀の樹をだいぶ切ったので、家と家の間から加江田の山が見えるようになった。ちょうどこの位置に私の部屋があって、南向きで陽が入るので日中は暖かく過ごせている。窓ガラスもきれいに拭いたので、毎日この加江田の山の景色を遠くに見ている。だいぶ寒くなって来た。