つれづれに:水仙郷襖絵(2023年7月27日)

2023年7月28日つれづれに

つれづれに:水仙郷襖絵

 妻が産休の間に襖(ふすま)に描いた水仙郷(すいせんきょう)の絵について書きたい。産休に入ってすぐに、2人で淡路島(↑)の水仙郷に出かけた。娘がお腹にいたので3人で出かけたと言う方が正確である。

水仙は2人とも大好きな花の一つで、どこかの広告で見かけて以来一度は行ってみたいと話していたが、産休に入ったとたん、急に妻が「水仙郷に行こう!」と言い出したのである。明石港からフェリー(↓)で岩屋に渡り、あとはバスである。

 近隣の4町が合併して今は南あわじ市と呼ばれているようだが、当時は確か南淡町だった。大学の時に昼間の1つ上の人がその町から来たと言っていたので、名前を覚えている。洲本から混んだバスに揺られて水仙郷に行き、そこに着いた記憶がかすかに残っている。

観光パンフレットの解説である。

「灘黒岩水仙郷(なだくろいわすいせんきょう)は、兵庫県南あわじ市(旧南淡町)灘黒岩に位置するスイセンの群生地である。日本三大群生地の一つ。諭鶴羽山(ゆづるはさん)から紀伊水道に続く斜面約7ヘクタールに、約500万本のニホンズイセンが自生する。」

 大きなお腹を心配しながら、山腹に甘酸っぱい匂いを漂わせて咲き乱れる水仙を堪能はしたが、出発した時間が遅く、暗くなった帰り道は、体が冷えはしないか、産気付きはしないかと終始気が気でなかった。淡い若気の至りである。

生きて30くらいまでかと考えていたのにいっしょにいたくなって「結婚しよか」と言ったら「はい」と言われてしまった。卒業式の帰りに学年主任のお見舞いに行った2月25日のことである。4月4日が結婚式だったから、何とも慌ただしい毎日だったと思うが、その時は早くいっしょに住みたかった。妻の兄を見ていて同じマンションに入ると決めていたようで、最初は朝霧駅(↓)近くのマンションに住んだ。しかし、両隣と合わなくて、出来たばかりの教職員住宅に入った。娘と3人の生活だった。その時に襖に2人で行った水仙郷の絵を描いたのである。水仙独特の淡い色合い、一輪一輪を摘んで花瓶に飾れそうだった。襖いっぱいに咲き乱れる水仙の花々に囲まれて、今にもあの甘酸っぱい匂いが漂って来そうだった。

  同じ市内ながら国鉄沿線ではなく、海寄りの私鉄(↓)沿線の田舎だった。朝霧は市の東の端、引っ越した先は西の端にあった。この時のことを思うと、妻にも娘にも申し訳ない気持ちになる。高校で教科にホームルームにクラブ活動にと、毎日が目一杯だった。土日も試合について行くことが多かった。その分、2人といる時間が少なかった。新築の集合住宅が娘の体に合わなかったのか、よく熱を出した。ある日「私、家に帰る!」と言い出して、父親一人の→「中朝霧丘」の家に3人で転がり込んだ。水仙郷の襖絵を持って出なかったことが悔やまれる。

 <追記>

今日も午前中に歩きに出かけられた。しかし、朝から晴れていたので、すでにかなり陽射しがきつかった。大きな雨傘を日傘に代えて歩いた。木花神社→農産物店→木花駅までは同じだが、そこから→木花神社→高台の公園を通って帰って来た。なぜ木花神社(↓)に戻ったかは次回である。どくだみは昨日採った墓の近くの空き家の隣の空き家と、少し先に行ったところの畑の登り口の脇で摘んだ。高台のさらに高い場所に何人かが畑を借りて作物を作っているようで、何ケ所かから車が登れるようになっている。その一番南側の砂利が敷かれた坂の脇にどくだみが生えていた。昨日はその場所の向かいの大き目のトイプードルが吠えていたので、心配したが、今日は庭に放してもらってない時間帯だったようである。