つれづれに:陽当たり(2024年2月26日)

つれづれに

つれづれに:陽当たり

 陽当たりで猫のぴのこが毛づくろいをしている。ぐずついた天気が続いていたので、久しぶりの陽射しを楽しんでいる。親猫が出て行って戻っておらず、兄弟猫に死なれてしまって寂しいのだろう。ずっと1階の居間のケージの中で親子で重なり合って寝ていた。しかし、最初は嫌がっていた2階が、今は主な居場所である。妻といっしょにいるのに、ようやく馴染(なじ)んだようだ。いるかどうかを確かめるのと、食事の催促とで2時間おきに妻を起こす。あのまま一人で1階のケージにいたら、精神的にやられていたと思う。

私の絵画館→「向日葵とジョバンニ」(2010年8月)

 生まれつき喉(のど)の一部が細いうえ、潰瘍(かいよう)の跡が食べ物の通りを悪くしているようで、たくさん食べると戻してしまう。分けて食べてもらうしかない。2時間おきの食事はなかなか大変で、妻の体がもつか心配である。朝起きて2階から下りて来ると、泣いて私が起こされる。食べ物の通りがよくなるように、ひとしきり撫(な)でる。マッサージである。ぞんざいに撫でていると、啼き声で「ちゃんとやってよ」と容赦(ようしゃ)なく合図がくる。ねこの気ままには、付き合うしかない。犬のように、相手を気遣ってくれることはない。体が順調なときはそうでもないが、体調がすぐれないときはきつい。しかし、その素振りを見せれば、そのあとしばらくは寄り付かない。ま、それで済めばいいが、結局は猫のわがまま放題である。ある意味、子供に似ている、そう思う時がある。子供は、しかし、ある時期を過ぎると、そんなことはなくなり、自分の世界を行く。猫はそうでない。

私の絵画館→「梅とぴのこ」(2010年2月)

 見るに見かねて、親猫をキャンパスから連れて来たら、しばらくして5匹も子供を産んだ。そのなかの女の子である。連れて来るときにこんなに大変だとは思わなかったが、猫の可愛さと大変さを充分に堪能(たんのう)させてもらっている。いい意味でも、悪い意味でも。

私の絵画館→「母親になった猫」(2009年11月)

 春一番が吹いたらしく、畑の野菜の勢いも凄(すご)い。ブロッコリーが淡い黄色の花を、大根が白い花を咲かせ始めている。レタスの一部は真上に伸びで、そのうち花が咲く。去年初めて苗を植えて、植え替えも済ませた苺(いちご)にも白い花がさき、小さな実がつき始めている。

既に食べてしまったか、お裾分けしたか

 家の沈丁花(じんちょうげ)も、近くの家のミモザも花が盛りを過ぎて、もうすっかり春である。天気予報によれば、水木とまた雨模様のようだが、そのあとは晴れマークが続いている。ぴのこも陽溜まりで毛づくろいを楽しめそうである。ただ、最近の天気予報はころころ変わるので、先行きわからないが。

先週まで勢いのあったミモザ