つれづれに:ブラックミュージック(2022年10月5日)
つれづれに:ブラックミュージック
ブラック・ミュージックが奴隷にされた人たちが残し、後の世代の人たちが歌い継いだ特別な音楽だと気づいたのも、英語の授業の時だった。書くために大学の職を求めて職歴5年の資格で「教職大学院」で修士号を取ったものの、博士課程(→「大学院入試3」)に門前払いを食らい、先輩の助けを借りて大学で非常勤講師(→「大阪工大非常勤」)をしながら、業績を拵えて、待った。その非常勤の英語の時間に、「黒人史の栄光」(↑、“The Glory of Negro History,” 1964)をテキストに使い、音声や映像や雑誌や新聞の記事を使いながら授業をやった。テキストの中に歌も紹介されていたので、黒人研究の会の人からどっさりとLPレコードを借りて、「LL教室」の補助員にカセットテープを作ってもらった。ヒューズが朗読した「黒人史の栄光」のテープも含めて、たくさんの音楽のテープを作ってもらった。
初めて聴く曲が多かった。低い声のポール・ロブソン(↑、Paull Robeson, 1898-1976)のLPも何枚かあった。弁護士になるか、フットボールの選手になるか、俳優・歌手になるかを迷ったそうだ。2メートル近くの巨漢の低音は、響く。教室では「ディープ・リバー」(Deep River)と「ジョンブラウンの亡骸」(John Brown’s Body)を聴いてもらった。
マヘリア・ジャクソン(↓、Mahalia Jackson, 1911-1972、小島けい画)のLPも何枚かあった。教室では「勝利を我等に」(We Shall Overcome)を聴いてもらった。ゴスペルの女王と呼ばれるだけあって、声量は抜群である。
ゴールデンゲイトカルテット(↓、Golden Gate Quartet)のLPもあった。ゴスペルは元々白人の教会で歌われていたので、もちろん白人ゴスペルもあるが、白人ゴスペルの歌詞に自分たちのリズムやビートを乗せた黒人ゴスペルもある。研究室に来てくれた既卒組は学生時代にアメリカに留学して白人がホストファミリーだったらしいが、白人のゴスペルをよく聴いていたそうである。毎年ゴスペル界で活躍した人に与えられる賞(Gospel Award)の対象者は、白人黒人の両方である。黒人ゴスペルは伝統的な(traditional)のと現代的な(Contemporary)のがある。現代的なのはかなり編曲されて、歌の幅も広い。ゴールデンゲイトカルテットは伝統的ゴスペルで、4人のコーラス・グループである。 1935年に結成され、メンバーはたびたび入替っているそうで、1959年には日本にも来たらしい。最初聴いたとき、黒人が歌っている感じがしなかった。軽快な曲が多い。
最初は歌を聴いてもらうだけだったが、そのうち映像も溜まって行き、観て聴いてもらうようになっていった。それと可能な限り、関連の雑誌や新聞の記事や、本からの抜粋なども印刷して配るようになった。解説も書いた。最初は農園で働かされているときにワーク・ソング(Work Song)を歌い、小屋やその近辺でいっしょに踊りながら歌っていたようだが、そのうちキリスト教もあてがわれて教会に行くようになった。そこで聞かされたのは聖歌隊(Choir)が歌う白人の讃美歌(Hymn)、聖歌(Psalm)、ゴスペル(Gospel)、スピリチャル(Spiritual)などの教会音楽だった。「シカゴ」のミシガン通り(↓)の橋の袂で白人青年がトランペットで拭いていた「共和国の戦いの賛歌」(The Battle Hymn of the Republic)も、日曜日に教会で歌われている讃美歌だった。その歌詞は聖書(The Bible, The Testament)、特に旧約聖書(The Old Testament)からが多かった。