つれづれに:シカゴ(2022年6月20日)

2022年6月20日つれづれに

HP→「ノアと三太」にも載せてあります。

つれづれに:シカゴ

 シカゴは全米第二の都市と言われていたので、日本で言えば大阪かとずっと勝手に思いこんでいた。小学3年生の時に一人で「大阪のおばあちゃん」の家に行ったとき、高いビルディングの立ち並ぶ大阪の街に圧倒されて、自分がちっぽけな存在でしかないと感じたのを幽かに覚えている。シカゴも高層ビルの立ち並ぶ大都会だった。そのあとマンハッタンのエンパイアステイトビルディングに登る予定だったが、その建物より高いビルがあると聞いて、登ってみることにした。今はワールドトレードセンターに次いで2番目に高いビル、買収されてウィリス・タワーというらしい。

ライトは1908年生まれで、1927年にメンフィスから移り住んで1937年にニューヨークに行くまで10年ほどシカゴに住んでいる。ベストセラーの小説『アメリカの息子』(Native Son, 1940) や自伝的スケッチ『ブラック・ボーイ』(Black Boy, 1945)の主な舞台はシカゴである。1890年代から1920年代にかけて北部に押し寄せた南部の黒人たちは土地制限条約(Restrictive Covenants)に縛られて他では住めず、サウスサイドに押し込められた。旧白人街は流れ込む黒人で溢れて、スラムと化した、と写真入りの『千二百万人の黒人の声』(↓12 Million Black Voices, 1941)の中で、詩のような文章を書いている。(「リチャード・ライトと『千二百万人の黒人の声』」、1986年)

 ミシガン通りでパレードに出くわし、歩道の縁に座って3時間ほどぼーっと眺めていたら、何だかそれまでのアメリカに対する反感が薄らいで行くようだった。アメリカにもアメリカのよさがあるんやろな、と柔らかい気持ちになった。ミシガン通りは目抜き通りらしい。ホテルから出かけたのか、空港からのバスから降りてホテルを探していたのか。パレードが終わってぶらぶら歩いていたら、橋の袂の欄干にもたれて白人青年が一人、トランペットを吹いていた。「共和国の戦いの賛歌」(Battle Hymn of the Republic)のようだった。日本では「ごんべさんの赤ちゃんが風邪引いた」でお馴染みの曲である。演奏が終わったあと、何人かが置かれていた缶のような入れ物に、投げ銭をしていた。

 シカゴ美術館に行った。絵心はまるでないが、妻が絵を描くので結婚してからは時々美術館にも行くようになった。折角シカゴまで来たのだから、美術館にも行ってみないと、そんな軽い気持ちで出かけた。大きかった。中でも教科書にも載っているモネの睡蓮(Monet, Water Lilies)は圧巻だった。パリのモネ専用の美術館より大きいらしい。一人勝ちした第二次世界大戦のどさくさに買い入れたものらしい。アメリカ各地の美術館の展示品の一部は第二次世界大戦の戦利品?大英博物館の展示品の多くがジプトからの略奪品?なんだか構図が似ている。アングロ・サクソン系、の痕跡か。

 シカゴ公共図書館にも行った。見てみたい新聞記事があったからである。ファブルさんは本の中で、シカゴに移り住んだ時、生活保護を受けて案内された公共住宅の余りの酷さに母親が泣き崩れたとライトが伝記の中で紹介しているという風なことを書いていた。寝ている黒人の赤ん坊が猫くらいに太った鼠に齧られたという1920年代の新聞を紹介していた。その記事が見たかった。案内カウンターで申し込んだら、係員が新聞を持って現れた。なんと1920年代の新聞の現物だった。1988年にカリフォルニア州立大学ロサンジェルス校(UCLA)の図書館でも同じ体験をした。1950年代の南アフリカの反体制新聞の記事を照会したら、5年分の記事がどさっと目の前に現れたのである。白人のアパルトヘイト政権を支えていた筆頭であるアメリカの図書館に送られていた反体制の週刊新聞が全部保存されていた、歴史の一齣を見てるような感覚になったが、同時にアメリカと日本の図書館の違いを強く感じた。文化のレベルでは、到底及びそうにない。日本では本まで予算回らない、少なくとも図書に関しては、先進国と自称する貧国である。
 次は、ニューヨーク、か。

シカゴオヘア国際空港