つれづれに:横浜(2022年7月20日)
HP→「ノアと三太」にも載せてあります。
つれづれに:横浜
大阪工大(↑、→「大阪工大非常勤」、7月11日)に行き始めて3年目か4年目くらいだったか、ある日、先輩から「出版社の社長さんにあんたの話をしたら、一度会いたい言うてたで。会(お)うてみるか?」と聞かれた。先輩はすでにその出版社が出している雑誌(↓)に書いているらしかった。大学の口も決まっていないしと思ったが、会ってみることにした。
西明石(↓)から新幹線で出版社のある横浜に行き、駅前の喫茶店で会った。編集者の女性もいっしょだった。よくわからなかったが、僕とは明らかに違う種類の人だと感じた。特に何かを聞かれたりとか依頼されたりとかはなく、いろいろ話するのを聴いてた時間が多かった。縄文時代の話と初めて聞くツングースという言葉が記憶に残っている。明らかに違う種類と感じたのは確かだが、その人が偉いのかどうかも判断出来なかった。とにかく、今までの基準でものを見ても捉え切れない、そんな気がした。
初めに聞いたのは、たしか、豊かな縄文時代が一万年以上続いていたところに大陸からツングースが来て、侵略を開始し、縄文人を殺戮しまくって日本列島を覆いつくしてしまった。それが弥生人で、後に大和朝廷を作り、その末裔が今も関西に陣取り経済を支配し続けているのです、大雑把に言うと、そんな話だった。何万年に渡る壮大な話は聞いたこともなかったのでよくわからなかったが、特別おかしいとも思わなかった。詳しく考えたことはないが、戦争に負けて急激にアメリカ化されて、アメリカにもその人たちの母国語の英語にも反感を抱いていたので、何となく侵略についての話はわかるような気がした。後にぎっしりと書いた手紙を何通ももらったが、基本的にはその話の延長だった気がする。手紙の中でよく書いていた侵略遺伝子の話は得心したが、話が大きすぎて他の人に話をしても信じてもらえそうにない気がした。侵略抑制因子と、これまた初めて聞く言葉だったが、私が理解しくいと判断して分かり易く説明してくれている。
「・・・生物の成長というのは 細胞が個数を増す 細胞分裂と分裂によって 小型化した細胞がそれぞれ固有の大きさを とりもどす細胞成長とによって 達成されます 生物は本質的に成長するものなのですから 各細胞は 成長の第一条件たる 細胞分裂の傾向がきわめて強いのです しかし 無制限に 細胞の個数が増加して その結果 過成長すると こんどは 個体の生命が維持できなくなります そこで遺伝子の〝細胞分裂欲求〟は 不必要なときには 抑制されています この抑制因子を モノーという人は オペロンと名づけました モノーのオペロン説です フランスというところは 困ったものでいまだにデカルトの曽孫のような顔をした人たちしかいません このモノーも デカルトの曽孫にちがいありません しかし 話を簡略にするためには このオペロン説は 便利です 化学変化を説明するのに 結合手なる 手を 原子または原子団がもつものとするのに似て こっけいですが御許しいただきたい さて このオペロンが はずれてしまうというか 抑制因子がはたらかなくなったとき 細胞は 遺伝子本来の 〝分裂欲求〟に忠実に従って 際限なく 分裂を繰りかえします ガンです そして ガンになりやすい体質は遺伝します これはオペロンが はずれやすい傾向が子や孫に伝わるためです たしか 一九二◯年代に 有閑階級という新語をつくり流行させたアメリカの社会学者の言説をまつまでもなく ヒトは〝侵略遺伝子〟を持っています ヒトがすべて侵略者とならないのは この恐ろしい 〝遺伝子〟にも オペロンのおおいがかけられていて 容易には 形質を発現することがないためです ツングースの〝侵略遺伝子〟のオペロンは 窮迫によってはずされてしまったのです それも ほんの七千年か八千年ほど前のことです そして このオペロンのはずれやすい傾向は 連綿と受けつがれ いまなお 子や孫が風を切って 日本じゅうをわがもの顔に歩きまわっています 天孫降臨族の末裔たちです 手っとりばやくのしあがることだけをひたすら思いわずらい 四六時中 蛇(蛇くんに邪気などない)のごとき冷たき眼を油断なく 四方八方にくばる この侵略者たちは もちろん 効率百パーセントの水平思考を好み鉛直思考など 思いもよらぬことなのです 玉田先生が 鉛直下の原言語に乱されて 思考が中断するなら 私のほうは 鉛直上の原言語に吸いとられて思考が消失します 中断と消滅 軽重の違いはあっても 二人とも やはり 頭が悪いのは 確かなようです」
そう言えば、「僕は頭がよくないので。受験勉強もしなかったので、行くところがなくて・・・・」と言うような話をしたような気がする。あとで先輩から「あの人、東大の医学部やで」と聞かされたが、どこも行く大学がない私と比べられても、というのが正直な感想だった。
よくはわからなかったし、数年前にその人が亡くなられた後も、よくわからないが、医学部(↓)に決まってからは、この人の言われることをこなすのに精一杯だった気がする。生きてるうちに、気持ちの中ですべてを理解するのは不可能だろう。その人と出逢ってよかったのかどうかはわからないが、出会ったのだから、そうなんだと理解するしかない。
次は、ゴンドワナ、か。