つれづれに:薊(2022年4月24日)

2022年4月29日つれづれに

つれづれに:薊(あざみ)

薊も宮崎に来てよく摘んで来るようになった花の一つだ。結婚するまで住んでいた家の近くの堤防にもよく生えていたが、明石に越してからは目にしなくなった。神戸に近い都会で舗装されたところが多かったからだろう。

どこにでも咲いているわけではないが、木花に来てからは散歩の途中にもよく見かけるようになった。高台にある公園の土手や、近くの池の周りでは特にたくさん花が咲いていて、今からが盛りだ。土の成分や状態などにもよると思うが、加江田川と清武川の堤防の土手にはたくさん咲いている。大振りなので、わざわざ採りに出かけることもある。

茎が空洞になっていて水をよく吸うので、花瓶の水がすぐになくなってしまう。棘がすごいので、何度も痛い目に遭って摘み取る時の要領を文字通り身をもって覚えた。摘んできた薊は妻の絵にもなり、カレンダーにもなっている。→「薊」

「小島けい個展 2009に行きました。」(2009年9月25日)

薊:「私の散歩道2009~犬・猫・ときどき馬」5月

薊:「私の散歩道2009」5月(カレンダーに誘ってくれた長崎のオムロプリントのお陰で地元企業に採用された分→「クリカレ」))

「私の散歩道~犬・猫・ときどき馬~一覧(2004年~2022年)」もどうぞ。

検索エンジンを探してもらって、2月の半ばからサイトへのアクセス情報を見るようになった。あれから二ヶ月ほどが経つ。最初に検索情報を見て驚いたのが、予想以上にアクセスが多かったことと、ロシアの攻撃を受けていた最中にウクライナの首都キーウからも見てくれていたことである。訪問者や訪問数にIPアドレスもわかるようになっていて、ウクライナの訪問者(69)は今日現在で、アメリカ(373)、ロシア(328)、日本(148)、ドイツ(135)、中国(91)、スウェーデン(89)に次いで7番目の多さである。ベトナム(53)、オランダ(47)、イギリス(35)と続く。世界のあちこちで絵のブログ(→「Forget Me Not」)を見てくれているようなので、英語しか出来ないが、せめてと思う気持ちで少しずつ英語を併記するようになった。妻の書いたエセイも英訳を始めた。

薊の英語がthistleなのは、ずいぶんと前に調べたので知っていた。医学科の授業で種田山頭火を取り上げて俳句を英訳した時に必要だったからである。学生にはスキャナで取り込んで印刷したMountain Tasting – Zen Haiku by Santoka Tanedaを配った。(今も手元にあるので、連絡をもらえれば、送付可である。)

アメリカ人John Stevensは「あざみあざやかなあさのあめあがり」を

The thistles –

bright and fresh,

Just after the morning rain.

と英訳していた。不定型の俳人が、文頭に「あ」を並べたリズムだけの句を戯れで作ったようだが、「あ」を並べたリズムを英語訳で表現するのは、不可能か、至難の業だろう。

首都キエフの表記がキーウに代わったのは知っていたが、表記を確かめるために検索したら首都キーウにある国立大学の日本語学科の教員のインタビュー記事「学生20人ほど日本の大学を希望 支援を」(2022年4月22日 22時54分 ウクライナ情勢)があった。日本語学科があったことも知らなかったし、「およそ300人の学生が日本語や日本文化」を学んでいることも知らなかった。現地に住んでいる人がブログを覗きに来てくれてるんやろかと思っていたが、日本語を学んでいる外国の人がブログを見てくれているのかも知れない。

教育文化学部の大学院を兼任で持ったことがあるが、台湾の学生もきれいな日本語をしゃべっていたし、提携校のインドネシアのブライジャワ大学では3000人も日本語を学んでいると聞いた。どちらも過去に日本が侵略をした痛ましい過去があるが、今も日本企業が多いと聞く。院の「翻訳論特論」や「アフリカ文化論特論」の授業に来てくれていた院生は卒業後台湾の日系企業に就職して、大学の提携で教員が台湾に行った際には案内役をしてくれたと聞く。

共通教育科目や学士力発展科目にはインドネシアやマレーシアの留学生が必ず何人か受講してくれていたし、工学部の英語のクラスにも何人かいた。コロナ騒動の前は、後期に教育学部に短期留学する予定の学生4人から、地域資源創成学部2年生のビジネス英語を受講してもいいかと別々に問い合わせがあった。英語での発表を中心に授業をするというシラバスを見たらしかった。ビジネス英語の受講生の2人を除いて日本語がよく出来ていた。聞けばやり始めて2年くらいという人もいたが、充分に対応できていていた。特に国費留学生は英語もよく出来たし、飛び抜けていたように思う。ブログを見にきてくれている人たちと、いつか繋がるかも知れない。

次は臼杵と宮崎、か。

臼杵の石仏