つれづれに:世界で一つのカレンダー(2022年3月4日)

つれづれに

つれづれに: 世界で一つのカレンダー

2004年1月

 24節気ではすでに立春が終わり、19日からの雨水(うすい)の期間も今日が最後である。降る雪が雨へと変わり、雪解けが始まる頃を指し、昔から農耕の準備を始める目安とされているようだが、超早場米を作る宮崎では準備も早く、少し前から田に水が張られ始めている。そろそろ春一番か。実際には寒い日も多く、三寒四温を繰り返しながら、春に向かっていくらしい。しかし、ずいぶんと暖かくなった。2009年に妻がカレンダーを作り始める前には、毎年季節の花をちゃっちゃと描いて専用のカレンダーを拵えてくれていた。世界に一つのカレンダーである。特段気にもせずに大半は捨ててしまったが、何枚かが奇跡的に残っている。画像をブログで紹介するようになるとは夢にも思わなかった。大事に取っておけばよかったと思うが、後の祭りである。昨日、2004年から2007年までの残っているカレンダーを画像にして、絵のブログに載せた。↑

「小島けい2004年私製花カレンダー2004」

2009年カレンダーの表紙絵

 宮崎に来る前から、先輩に紹介された出版社の社長さんに薦められて雑誌にたくさん書かかせてもらっていたが(→「ゴンドワナ (3~11号)」続モンド通信16、2020年3月20日))、記事の挿画や肖像画を頼んでいたこともあって、ある日、本の装画を描きませんかと妻に誘いがあった。宮崎に来る前は、仕事に家事・育児を目一杯引き受けてくれていたので絵を描く時間もほとんど持てなかったが、宮崎に来てからは、花菖蒲や通草や烏瓜などの花を中心に毎日毎日水彩で絵を描いていた。初めはその花を表紙絵に使わせてもらった。そのうち、風景画や人物がなどいろいろ注文が多くなっていったが、生き生きしながら注文に応じて描いていた。→「たまだけいこ:本(装画・挿画)一覧」

本紹介8 『馬車道の女』(1991/11/16)

 私専用のカレンダーはその合間に「私が作ったげる」と言いながら、紙を大雑把に切り、水彩でしゃしゃっという感じで描いて作ってくれた。粗っぽいが、なかなか勢いがある。今は注文を受けて、丁寧に丁寧に一枚一枚仕上げているが、その絵とはまた違った趣がある。材料を探すのは私の役目、通草や烏瓜などは明石では近くになかったのでもの珍しいこともあって、色んなところに探しに行った。椿山の途中の繁みの中まで入ったこともあるし、平和台公園の池の上に出っ張っている枝を伝っている時に池に落ちたこともある。文字通り苦労の結晶で描いてもらったのに、何気に捨ててしまったのだからどうしようもない。その後引っ越しをしたあと、残っているカレンダーを居間に飾っているのを東京から帰って来ていた娘が見て、「カレンダー作ればいいのに」とさりげに言っていたが、長崎の印刷・広告会社から誘いがあって販売用のカレンダーが出来た。薄利多売で利益が上がらず、販売は一年で終わったが、それ以降は宣伝用にと自前で今のカレンダーを作るようになった。それをまとめてみたら、歳月の積み重ねがあった。→「私の散歩道~犬・猫・ときどき馬~一覧(2004年~2022年)」

庭の沈丁花はただ今7分咲き

 明日から啓蟄(けいちつ)である。