つれづれに:黒人研究の会、その後(2022年9月7日)
つれづれに:黒人研究の会、その後
「黒人研究の会」を辞めた。誰かに辞めろと言われたわけではないが、どちらかを選んで辞める結果になった。
黒人研究の会が神戸市外国語大学(↑、事務局と研究棟)の人たちが始め、入会当時も例会参加者にその関係者が多かったので、他に選択肢がなかったとは言え、「大学入学」を決めていなかったら、おそらく研究会とは無縁だったと思う。修士論文をリチャード・ライトで書いたのも購読の時間にライトのテキストが使われていたからだ。高校教員歴5年で「大学院入試2」を受け、「教職大学院」(↓)に行ってライトで修士論文を書いた。作品の背景やアメリカ黒人の歴史を知りたいと研究会に入ったのも自然の流れだったと思う。
修了しても博士課程に入れてもらえないと考えて、業績も必要だったので「黒人研究」(↓)にも書かせてもらった。毎年1本ずつ書いた。実質的に月例会に来ている人も少なかったし、辛うじて会誌の発行を続けている程度だったので、自然に例会案内や会誌の編集も手伝い、会報も出すようになっていた。毎年の「黒人研究の会総会」の案内もやり、総会ではたいてい裏方をやっていた。
宮崎医科大学(↓)に決まったあとも大阪工大で行われた総会の日の「黒人研究の会シンポジウム」でも発表者の一人にしてもらった。小さな研究会で人もそう多くなく、地道に研究を続けている人の話も聞けるし、時折大物の話も聞けるし満足だった。宮崎は遠いので毎月は月例会に参加出来ないが、年に何回かは出張で行ける、と思っていた。シンポジウムは医大での初めての出張だった。
黒人研究の会の総会でやった2度のシンポジウム「現代アメリカ女性作家の問いかけるもの」と「現代アフリカ文化とわれわれ」が本になった。先輩が話をして出版社の社長さんに出してもらった。そこまではよかったが、両者の考え方が基本的に違い過ぎた。本には200万も300万も実際にかかるようで、出版社の人は共著者全員で費用を分担するか本を捌くかが当然と考えていたが、著者の方は十名以上の大学の教員で、著者には無料で献本があり、収入もあると考えていた。本を売るという発想はなかった。この差は大きい。大体、アフリカやアフリカ系アメリカの本を誰か買って読むと思っているのか?書いた側が自分の書いたものは有益でおもしろいと自己満足しているだけである。もちろん売れそうになくても貴重なものもある。ポルトガルに壊されて廃墟になったキルワ島のことを博士論文にした人がいる。おそらく京大か東京外大の卒業後の職場が辛うじてある系列の人だと思うので、キルワがその後繰り広げられるアングロ・サクソン系の500年に及ぶ侵略の皮きりだったという歴史的な認識があったかどうかは怪しいが、博士論文自体は歴史的価値のあるものである。売れないかも知れないが、出版する価値はある。
キルワ島に向かうバズル・デヴィドスン
しかし、人の書いたものをああだこうだ、作家の技法がどうだという程度のものを集めてどんな価値があるというのか?書いた一人として、後ろめたいばかりである。後ろめたい気持ちを持ちながら、課題の参考図書にして学生に買ってもらったから、余計に後ろめたい。その後、その形態で、その出版社に残っていた本まで学生に買ってもらうことになった。全学共同体制は実質的には全学無責任体制である。この場合は、総著者無責任体制だった。結局、今後出版社とこのまま関係を続けるのか、黒人研究の会の人たちと関係を続けるのかを、200万か300万かが絡んで、選択することになった。「リチャード・ライトとアフリカ」を書かせてもらったが、共著『箱舟、21世紀に向けて』(↓)はうらめしい本となった。理由を理解してもらえるはずもなく、黙って研究会を辞めた。理解してもらえるなら、辞めることもなかったわけである。