つれづれに: 歩くコース1の④・・・(2021年7月11日)

つれづれに

歩くコース1の④

廃屋の隣に何軒か家があり、しばらく行くと公民館がある。何年か前から旧宮崎中学校跡で夏祭りを始めた。地域おこしの一環ということらしい。夕方、公民館の傍を通ったことがあるが、駐車場にたくさんの車が止まっていた。青年団の人たちが集まって、準備の打ち合わせをしていたようだ。

自治会用の公民館

その向かい側に「急傾斜地崩壊危険個所」の掲示が見える。高台の一部を削り取って道を造ったために、急傾斜地が出来たようである。十数年前に今の家に引っ越しをして来て以来、大雨が降った直後に四度も地面や山肌が滑り落ちている場面に遭遇している。

「急傾斜地崩壊危険個所」の掲示

一番印象に残っているのは、南側からの車道用の坂道である。どどっという感じで崩れていて、道路に大きな亀裂が入っていた。丘陵地帯の高台に作った公園に入るための車道を造成した箇所が一部崩れ落ちたのである。もちろん大雨も想定して造られたのだろうが、想定外の長雨が続いて地盤が緩んで持ち堪えられなかったということだろう。修復工事が終わるまで、しばらく通行止めになっていた。運悪く車が通り合わせていたら、事故になっていただろう。

その時の豪雨では、近くの山肌でも何か所かで崩落事故が起きていた。杉の伐採で緩んだ地盤の所も、そうでない所も崩れ落ちていた。どぉーーーーん、ずづっという感じで、迫力があった。山肌の草や樹々がほとんど流れてしまった個所もあった。元々この地方は岩盤が弱くて脆(もろ)いから崩れ落ちやすいという解説を後から聞いた。折生迫から白浜の近くによく出かけるが、白浜からホテルのサンクマールまでの間の崖崩れは、規模が大きかった。バスが通れるようにホテルまでの迂回路を急造してその場を凌いでいたが、その後の工事も大々的で、期間も結構長かった。あの規模の崖崩れは、いつでも起こり得る、見ていてそんな感じがした。

修復されて目立たないが大幅の修復の跡が残っている南側からの坂道

もう一つは、その坂道から公園に入る辺りである。トイレの周りの小径脇が大幅に崩れ落ちた。大きな石と鉄筋を組んで補強工事が行われた。さほど影響はなかったが、もちろん期間中、小径は通れなかった。

トイレ脇の小道の横の傾斜地

公園の北端の民家の東側の道路脇も崩れた。民家の西側は短いコースでお墓を抜ける時に歩くが、広い空き地で崖崩れの心配はない。舗装された部分は無事だったが、崖の崩れ方が激しかったので、工事が大掛かりになった。砂利を引いて道を造り、ショベルカーを持ち込んでいた。ここも修復にかなりの時間をかけていた。今は砂利を引いた道路跡に草が生い茂っている。

公園端の民家脇の小道の傍(そば)の傾斜地

最後は短いコースの途中で、旧宮崎中学校前へ出る曲がり角の手前での崖崩れだった。傾斜地に大きな竹が生えてはいるが、道路脇が大きく崩れたうえ、地盤も緩んでいたので通るのも危険な状態だった。ここもわりと長い間通行止めになっていた。二十数件しか民家がないので普段はそうたくさんの車は通らないが、それでもそこそこの車が道路を使っている。通行止めにはなったが、旧中学校側の民家二軒は崩落個所の手前を曲がって坂を下れば大きな道に出られるし、反対側の民家も大回りすれば高台から東側にも南側にも出られるので、道路が寸断されて孤立するという事態は免れた。しかし、地盤が緩いし、修復しても長雨が続けば、いつでも崩落する可能性は高いと実感した。

短いコースの途中、旧宮崎中学校跡地の手前

豪雨や地震があると、崖崩れのニュースを見聞きする。普段歩くコースで崖崩れを目にするとは思ってもいなかったが、その災禍は便利さと引き換えに得た開発の代償の一部で、そんな危うい文明の中で暮らしていることを嫌でも思い知らされる。