つれづれに: 歩くコース2の③(2021年8月22日)
歩くコース2の③
木花神社の中を通る「歩くコース2の②」(8月15日)の続きである。同じ境内の中にある阿弥陀堂とケニアの続きを少し書こうと思う。
法満寺(今は廃寺)阿弥陀堂
本殿のすぐ近くに阿弥陀堂がある。駅の掲示版によれば「往時の神仏混淆にもとづいて『法満寺』があったが、明治五年廃寺になり、現在唯一『阿弥陀堂』が残っており、奉られている『阿弥陀如来像』は宮崎市指定有形文化財になっている」とある。
身長九十九センチの鎌倉彫で、鎌倉中期以降に彫られたようである。最盛期の飫肥伊東藩時代にはこの阿弥陀如来像をまつるのにふさわしい寺だったらしい。夕方だったが、ガラス越しに阿弥陀如来像の写真が撮れた。
八方塞がりの高校生の時、帰り路にある寺に寄って、仏像を眺めることが多かった。当時は整備もされてなくて、格子越ではあったが真近かで仏像が見えた。そう大きくない建物だったと思うが、五十数年も前のことなので定かでない。インターネットで調べてみたら、それらしき建物と仏像の写真が載っていた。こんな感じだった気がする。
木花神社の境内に寺?と何度か不思議に思ったが、神仏混淆などの歴史的経緯があるようだ。神体そのものも、神仏混淆も、前回紹介したケニア山の麓の神も、やっぱりわからない、が正直な感想である。
ケニアも白人の侵略を受けた国の一つだ。ケニアで最も人口の多いギクユの人たちが住んでいたホワイトハイランド(現ナイロビ)を南アフリカの入植者に狙われた。ケープタウンからエジプトのカイロまでの縦の一大帝国を築く野望の標的にされた。赤道に近く、標高二千二百メートルの高地にあるが、肥沃で過ごし易い土地が狙われた。長い植民地時代が続いた。第二次大戦の頃に植民地政府に抵抗を始め、長い戦争のあとに独立、指導者の一人だったジョモ・ケニヤッタが大統領に選ばれた。しかし、ケニヤッタは多国籍企業による経済支配を目論む欧米や日本と手を組んだ。他の第三世界の国と同じように、一握りの金持ちと大多数の貧乏人、そんな国になった。アングロ・サクソン系の侵略を受けた国の生き残り策である。独立のために戦った多くの人たちが報われることはない。欧米や日本と組む体制に反発して弾かれた人たちもいる。前回紹介した関西のケニア人も、その中の一人である。国外に逃れてから書いた評論『作家、その政治との関わり』(Writers in Politics)を、頼まれて日本語訳したことがある。反体制側にいる人たちの悔しい思いが滲む。すべての面で欧米や日本に経済的に支配されて、その利益を少数のケニア人と先進国が共食いしている様子がよくわかる。持たざる者(Haves-not)、被害者側からの告発の書、貴重な歴史の記録でもある。少し時間がかかりそうだが、一度は書こうと思っている。未出版のままだ。
独立政府のよきパートナー日本は、開発や援助の名の下に大手を振ってODAで深く繋がり、安価なアフリカ人労働力にただ乗りして莫大な利益を国もたらしている。当然人の交流も盛んで、首都ナイロビには日本人学校もある。NGOなどの予算も付きやすく、大金を出して訪れる日本人観光客も多い。ライオンやキリンのいる自然保護区、壮大な動物園を車で回り、多額の費用が投じられた高級リゾート地に滞在してアフリカを体験するのがコースである。持ちつ持たれつということだろう。
次回は「 歩くコース2の④」、境内の残りの写真と、ケニアの続きを少々、か。