つれづれに:エイズの起源(2024年10月10日)
つれづれに:エイズの起源
エイズに関するアフリカの4回目である。奴隷貿易の蓄積資本で機械による産業化社会になり、資本主義が加速度的に進むなかで、持てるものはさらに富を増やす策を次々と繰り出す。その過程で、→「アフリカ」も原材料と市場の標的にされて、搾り取られてきた。アメリカに最初の患者が出たエイズでも、史上最高の利益を生む抗HIV製剤に群がる輩が、感染者が急増したアフリカも標的の一つとなった。アメリカ人医師ダウニングはアフリカのエイズ事情は→「アフリカ人に聞け」と著書(↓)に書いた。メディアも欧米諸国に圧倒的に支配されているからである。アフリカ人の声を聞ける数少ない情報源→「ニューアフリカン」の中からいくつかを取り上げて、紹介しているところである。今回はエイズの起源である。
エイズのアフリカ起源説を言い出したのは、CDCが重用した人物ギャロである。ギャロは国立癌(がん)研究所でエイズウィルスを発見したと主張していた。国立癌研究所は、生物兵器開発研究の批判をかわすために1971年に大統領ロバート・ニクソンが米国陸軍生物兵器研究班の主要な部分を移した施設である。ギャロはパリのモンタニエ研究所からウィルスを盗んだと告訴されて係争中だったが、評価が下がるどころか、1983年にウィルスの共同発見者の権利と血液検査機器の使用料を分け合うことで合意し、1994年までに使用料だけでも35万ドルの利益を得たと言われている。
ギャロのアフリカ起源説を押し進めたのがハーバード大学の獣医師エセックスで、1988年にアフリカのミドリザルで二つ目のエイズウィルスを発見したと発表して評判になった。しかし、そのウィルスがマサチューセッツ州のニューイングランド霊長類研究所でエイズに似たウィルスから感染した「汚染」ウィルスだったことが後にわかり、ミドリザル起源説自体も否定された。ギャロも1975年に新しい人間のエイズウィルスを発見したと発表したが、後に自分の研究所の猿のウィルスだったことがわかった。
元々推論の域を出ないウィルスの起源に意味があるとも思えないが、1988年には、モンタニエ研究所の所長モンタニエも、世界保健機構(WHO)のエイズ特別プログラムの委員長ジョナサン・マン(↓)も、色々な説による情報が出れば出るほど、ウィルスの起源には謎が深まるばかりだと認めざるを得なかった。
アメリカや西洋諸国ではエイズはアフリカが起源だとメディアで騒ぎ立てていたが、アフリカ人はそうは捉(とら)えていない。前回ジンバブエ大学の学生の話や、医学部で出会った医学生のタンザニアとケニアでの体験を紹介したが、ダウニングも1990年代の半ば頃に東アフリカ(↓)の病院で働いている時に同僚のアフリカ人からエイズの起源の話をよく聞いたと述懐している。
「エイズの起源は議論の余地がある問題でしたが、エイズが現に存在し、私たち医者の仕事はエイズを防ぐために努力し、そのために最善を尽すだけだと思っていました。しかし、いっしょに働いているアフリカ人たちには、それだけでは不十分で、誰もが『ニューアフリカン』を読んだこともない田舎の人たちでしたが、私が本当にアフリカがエイズの起源だと考えているかどうかを知りたがりました。私には実際わかりませんでしたし、本当に気にもしませんでしたが、エイズについてのアフリカ人の本当の声を聞くある重要な手掛かりを教えてもらっているとはその時は気づいていませんでした。」
前回エイズ患者やHIV感染者の数を国連やWHOなどまでが水増ししていたことを書いたが、エイズのアフリカ起源説も、西側諸国の持てるものの利益最優先の延長上にあると言える。エイズのアフリカ起源説はHIVのアメリカ人工説と係わりが深いので、項を改めて取り上げようと思う。次回は性のあり方である。