つれづれに:アフリカ人に聞け(2024年10月8日)

つれづれに

つれづれに:アフリカ人に聞け

 アフリカ人に聞けと言ったのはアメリカ人のレイモンド・ダウニング医師である。1980年代の初め頃にアメリカで最初のエイズ患者が出たのち、半ば頃にアフリカでも最初の患者が出てすぐに爆発的に大陸じゅうにHIVの感染が拡大した。それから、HIVがアフリカ起源で、あたかもアフリカに責任があるかのような情報がメディアに流れ出した。CDC(アメリカ疾病予防センター)が重用したギャロが言い出したのだが、麻薬常用者(↓)の献血を使った血液製剤で感染者が出て、その責任を取らされてギャロはマスコミから姿を消した。それから、アフリカ起源の情報もほとんど見られなくなった。数年後、ギャロを信奉する帝京大の安部英を担いだ厚生省も薬害エイズで非難され、安部英の名前もやがては消えて行った。

 アメリカでエイズはアフリカの病気だと言い出しても、アフリカ人はそうは思っていなかった。1992年に出遭ったジンバブエ(↓)の人たちがエイズはアメリカの病気ですよね、と言うのを聞いたし、海外協力青年隊員として東アフリカに滞在した友人も、アフリカ人はみなエイズはアメリカの病気だと言ってましたよ、と話してくれた。

 侵略者側にいるアメリカ人からの「アフリカ人に聞け」という主張は、イギリス人のデヴィドスン(↓)が、欧米諸国はもうこの辺りでいい加減に少しは経済的に譲歩して、今まで奪ってきた富を返すべきだと言ったのに似ている。一人は医者として医療活動に長年従事し、もう一人は雑誌記者として長くアフリカ大陸を取材して回った。その中から自然に生まれた発言である。

 公民権運動で特にインテリ層に支持者が多かったマルコム・リトゥル(↓)は「青い眼をした人がすべて悪魔だと思っているのか?」と常々親しい友人に話していたと言う。虐げられてきた側の人々と身近に接し、多くの患者を親身になって治療したり、節目節目の歴史的な出来事にも中立の立場で立ち会ったりするなかで、多くのアフリカ人の本音を引き出せたからこそ、その主張に辿(たど)り着けたのだろう。

小島けい挿画

 ダウニング医師は『あの人たちの見たままに』(As They Say It、↓)を2006年にロンドンで出版している。アフリカで長く医療活動を続け、エイズ患者とも正面から向き合っている中で感じ、考えた内容を本にまとめたようである。欧米の抗HIV製剤一辺倒のエイズ対策には批判的で、病気を社会や歴史背景をも含むもっと大きな枠組みの中で考えるべきで、欧米の支配する報道を鵜呑(うの)みにせずに、アフリカ人の声に耳を傾けるべきだと力説している。欧米諸国が槍玉にあげた南アフリカ大統領ムベキが提起する問題や、雑誌New Africanなどの記事を高く評価し、エイズ患者を取り扱う小説まで詳しく紹介している。

 ダウニング医師の本に出会えたのは幸運である。1980年代に何度かアメリカに行ったとき、立ち寄った本屋で本を買い込み船便で自宅に送った。そのとき、書店が中古本を扱うのを知って、修論で扱った作家の初版本などを取り寄せた。その後も、アメリカ関係の本は、シカゴ(↓)の本屋で購入するようになった。高校7年間の退職金で、奴隷体験記41巻を購入した。その後、南アフリカ、コンゴ、ジンバブエ、ケニアなどの歴史を辿ったり、文学作品を読んで雑誌に記事を書いたり、翻訳したり英文書を書いたりするのに時間がかかって、奴隷体験記は読めないままである。

 アフリカ関係の本はロンドンのアフリカブックセンターから購入した。特にエイズ関係は分厚い本が多かった。どちらも、リストが送られて来たので、メールで注文すれば一月も経たないうちに本が届いた。VISAカードが使えたので、気軽に注文できた。アフリカブックセンターは今はもうないようである。本当は研究費を使いたかったが、国立大の図書館は研究費や外部資金で購入した本も図書館の所有になって、外部から貸し出しの問い合わせがあれば応じなければならなかった。もちろんどちらの資金も税金だから文句は言えないのだが、図書館専用の経費は図書館が使っているのだから、研究費や外部資金で購入した本まで図書館所有だと一方的に言われるのに抵抗感があった。必要だから購入しているのだから、退職後はそれでいいが、在職している間に図書館から貸し出していると言われても、違和感しか感じなかった。図書館の人もその点は当然と言わんばかりで、横柄さが感じられて嫌だった。

ケント州立大の日本人の研究室や、カナダに亡命中の南アフリカ人がいるブロック大の研究室に行ったとき、本棚にあまりにも本がないのに驚いて理由を聞いたことがある。図書館で取り寄せてもらえるので、という返事を聞いて、日本とはだいぶ違うなあと感じた。もちろん、ジンバブエ大学(↓)の図書館にほとんど本がないのも知っていたので、国を比較しようとは思わないが、大学の図書館に横柄に扱われるのが嫌で、途中から退職まで図書に研究費は使わなかった。

 病気に対する包括的なアプローチの提言は納得のいく主張だったので、本の中で高く評価されていた雑誌New African(↓)とエイズの小説は丹念に読んだ。エイズの小説はアフリカブックセンターで購入するか、国内の図書館に依頼するかして手に入れた。南アフリカで出版された1冊だけ、どうしても手に入らなかった。New Africanは宮崎では手に入らないので、大阪の民族学博物館と東京外大のアジア・アフリカ言語文化研究所(AA研)の図書館に行って結構な数のコピーをさせてもらった。資料収集のための旅費を研究費や科研費でまかなえたのは、有難かった。

次回はNew African、である。