つれづれに:春の花4(2022年9月2日)

つれづれに

HP→「ノアと三太」にも載せてあります。

つれづれに:春の花4

 「ほぼ初めての春の花」「春の花2」「春の花3」に続き、春の花4である。まだ続くかも知れない。今回は木蓮(もくれん、↑)と梔子(くちなし)である。

「私の散歩道2011~犬・猫・ときどき馬~」表紙(企業採用分)

 紫木蓮は馬といっしょにカレンダーになっている。馬を描ける人は多くないらしいが、自分が牧場COWBOY UP RANCHに乗馬に通って、馬の背中にも乗り、毎回牧場中の馬たちに挨拶をして人参をやっているからか、なかなか馬の表情がいい。紫の色には品があり、その当時載せてもらっていた玄風も満足してくれただろうか?カレンダーにもなっている。

 木蓮は家に植えてなかったので、探す必要があった。絵に使う花や実を探すのは私の役目で、紫木蓮の枝も何回か頂戴した。いい枝が見つかってもらおうとしたが、ちょうど交番の前だったこともある。それでも結局、頃を見計らって枝を何本か摘んで無事持ち帰り、カレンダーの表紙絵になった。ごめんなさい。

「私の散歩道2013~犬・猫・ときどき馬~」3月

 木蓮(→「紫木蓮」)は「明石」の家の庭にもあった。100坪余りの家で南側にきちんとした庭もあった。梅と松と沈丁花と木蓮が毎年花を咲かせていた。小さな娘を連れて転がり込んで二人が働いていたので(→「中朝霧丘」)、時間の余裕がなかったこともあったが花まで気が行かなかったのが実際のようだ。それでも梅のかすかな香りや沈丁花の春を告げる香りは感じたし、「木蓮」(小島けい絵のブログ)の臙脂がかった紫色には気品があった。毎年大きな花を咲かせていた。その時はそれが木蓮だと持ってたが、白木蓮もあると意識したのは宮崎に来て、それも今の家に引っ越しをして来てからである。一軒一軒が広くて庭があり、大抵の家は大事に樹を育てている。「白木蓮」 も多い。

「私の散歩道2009」4月

自転車に乗って角を曲がったら急に白木蓮が浮き上がって来た、そんな感覚を何度か味わった。一面が浮き上がったように見えるときがある。何日か前も、ある日、散歩の途中に振り返ったら、急に白木蓮が浮き上がって来るような感覚になった。夕方、まだ明るい時間だった。次の日、確かめてみたくて前日に通ったコースを辿りなおしたが、薄暗くてわからなかった。また、明るいうちに出かけたら、振り返った時に白木蓮がくっきりと浮かんで見えていた(↓)のがわかった。

 妻の絵のブログ「Forget Me Not」は私が更新している。検索エンジンを探してもらって、訪問者と訪問数を毎日確認してだいぶ経つが、アメリカやソ連や中国など色んなところから、結構な人が観に来てくれている。スウクライナの訪問数も多い。英語訳をつけることにした。木蓮、辛夷(こぶし)や泰山木(たいさんぼく)などのモクレン科は一般にMagnoliaが使われているらしい。ブログの場合は絵があるので、泰山木はMagnolia、白木蓮はWhite Magnolia、紫木蓮はPurple Magnolia、辛夷Kobushi Magnoliaでいくことにした。

 梔子も明石ではあまり目にしなかったが、大学のキャンパスの駐車場の垣根になっていたので、その時期に蕾をもらって、人に贈ったり、研究室に飾ったりした。梔子も泰山木(たいさんぼく)もにおいがいい。泰山木は大きくてどこにでもある樹ではないのであまりこの辺りでは見かけない。宮崎医科大学に来た時、バス停から降りで研究棟にさしかかる辺りに大きな泰山木の樹があった。気づいていた人は少ないだろう。学生は車に乗って駐車所に行くし、近くの廊下は2階の建物の下で、ちょうど樹のある所は窓枠で見えないからだ。中庭の一部が駐車場になり、研究棟の改築の時に飯場のプレハブ用の2階建てが建って、中庭が使えない時期があった。その後プレハブを次の工事用にそのまま使うかどうかの議題が出た時、教授会で卒業生とそうでない人の間で一悶着あった。どちらも中心メンバーも多く、卒業生の母校愛をめぐって発言が続いた。その前に運動場を潰して駐車場を作ることが承認されて駐車場問題は片付いていたのに、中庭に駐車場の撤去の話題はでなかった。開学当初の中庭を愛する人たちの議論に中庭の駐車場の撤去を誰も言い出さなかったのが気に鳴った。泰山木2本はどうなったか?樹には災難だった。改築のどさくさに桐後されて、来客用の駐車場になってしまった。誰も気に留める人がいなかったようである。
 梔子は「死人にくちなし」で縁起が悪いと言っていた出版社の社長さんが一枚だけ装画(↓)に使っていた。気にしな素振りを見せたのか、切羽詰まっていたのか。「死人にくちなし」である。
 次は、春の花5、か。

「私の散歩道2010~犬・猫・ときどき馬~」6月

佐藤喜志夫『「エデンの東」のようで』