つれづれに:診療所(2024年5月11日)

つれづれに

つれづれに:診療所

 アメリカNBCのテレビドラマシリーズ『ER緊急救命室』(↓)の→「『悪夢』」は、もちろん架空のものだが、いろいろと想像を膨らませてくれる。『ER』は海外での臨床実習に行く医学生にだけでなく、一般の学生にもアフリカの現状を知る生きた素材である。想像力を広げてくれる。すでに読んだ「1995年のエボラウイルスの発生によって、再び世界中がザイールに目を向けるようになった」という→「ロイター発」の新聞記事にも、モブツの独裁でザイール社会全体が想像できないほど悲惨な事態に陥っていることを報じていた。医療施設についても、一部言及されている。

 「『医療関係施設は悲惨な状況です。私たちは長い間、大災害が起きてもおかしくない方向に向かって進んできました。』とザイールの野党指導者エティニュエ・ツィセケディのスポークスマン、ランバエルト・メンデは言いました。ウィルスはザイールの老朽化した医療機関に広がっており、医療機関はたいていの国よりも激しくザイールを襲っているエイズ禍の対応に追われています」

私がいつも世話になっている小さなクリニックや、最近出かけた大学病院などの日本の医療が当たり前になっている人間からみたら、別世界である。この流行がある前に家族でしばらくコンゴの南東部からそう遠くないジンバブエの首都ハラレで暮らしたとき、医療についての噂は聞いていたので、病院にかからなくても済むように毎日細心の注意を払った。おかげで行かなくて済んだが、体験する機会を失ったので残念な気持ちもある。行く前に、バングラデシュの留学生とよく英語でしゃべったが、その人がジンバブエにいる従弟の医師に問い合わせてくれた。本国では内科医で、国費留学生として高血圧の研究に来ていた。残念ながら、すでに南アフリカに異動したらしかった。マンデラが釈放された直後の激動期だった。その時期の病院を見るいい機会を逃したのも心残りである。懇意になったジンバブエ大学の英語科の人が「田舎でエイズのドキュメンタリーを作ったけど、ヨシ、見てみるか?」と誘ってくれたのに、機会を逃したのも心残りである。

 キンシャサから→「エイズハイウエィ」で北東部のキサンガニ(↑)に到着したとき、カーターは圧倒された。暗い中に病院の外にも患者が溢れかえっていたのからある。翌朝病院に案内してくれたインド人の女医が簡単に医療事情を解説してくれた。二人(↓)の遣り取りである

「仏語が苦手なら通訳をつけます‥‥ここはとてもシンプル、発熱と咳(せき)は肺炎でコトリモウサゾールを。発熱と下痢(げり)はコレラで点滴とドキシサイクリン。患者が無痛で熱があればマラリアでファンシダール。感染症を繰り返して日々衰えていればエイズで、家族に告知する」

「使える薬は?」

「アモキシシリン、ドキシサイクリン、ファンシダール、メトロナイダゾール、クロラムフェニコール‥‥」

「安いから?再生不良性貧血は?」

「新生児はほとんど1年で死ぬ。貧血などは問題外。抗生物質はアンピとゲンダ、ペニシリン」

「ユナシンやシプロは?」

「ない」

「抵抗性の菌には?」

「お祈り」

患者は200人、オペ室は2つ、医師がカーターも入れて4人、看護師が5人。扉を開けて、カーターはまた圧倒された。人でごった返していたからである。「ここは何病棟?」の質問の返事が「受け付けよ」(↓)だった。

 最初に診た患者は少女(↓)だった。看護師に「熱は40度で頭痛、下痢と咳はない」と言われて触診した。

「黄疸(おうだん)も出ている。ファンジダール?」

「そうね。2錠」

「これで治るよ。あの娘は入院が必要?」

「ただのマラリアじゃねえ」

 父親が抱きかかえてきた少年(↓)はポリオだった。排尿障害と熱と咳があって来院した。腰椎穿刺(ようついせんし)などの検査をせずに、看護師が膀胱(ぼうこう)不全麻痺、前傾姿勢で呼吸補助筋を使う呼吸、筋肉で頭部をささえられない状態を確認して小児麻痺(ポリオ)という診断を出した。カーターを睨(にらむ)父親の目が鋭い。

 ある日、道路封鎖が解かれたので、更に小さなマテンダの診療所にワクチンの接種にいくように誘われた。国際電話でボランティアを誘った同僚がすでに出向いていたので、看護師1人を同伴して行くことに決めた。政府軍と反政府軍が戦闘を繰り広げている危険地帯だった。

マテンダの診療所に着いたとき、すでに患者が列をなしていた