つれづれに:コンゴ動乱(2024年5月4日)

つれづれに

つれづれに:コンゴ動乱

ペンタゴンの環太平洋構想が書かれた岩波新書

 なぜアメリカがコンゴの独立時にしゃしゃり出て来たのか?理由ははっきりしている。コンゴが利益を生み出してくれる宝庫だったからである。独立に便乗して、南アメリカ、環太平洋構想の国々(フィリピン→オキナワ→ソウル→ハノイ→モガジシオ→アフガニスタン→イラン→イラク)と併行して、アフリカにも本格的に参入してきたわけである。植民地支配だと宗主国は既得権益を手放さないので、一人勝ちした第2次大戦のどさくさに多国籍企業による資本投資と貿易に体制を再構築し直して、誰憚(はばか)ることなく大手を振ってアフリカに進出したわけである。

 独立の妨害は宗主国に任せて、アメリカはルムンバ内閣の閣僚の一人モブツに目をつけ、クーデターを指揮させた。直接にはアフリカ人の手でルムンバを惨殺させて排除するとともに、もう一人のアフリカ人カサブブに目をつけ、中央政権の力を殺(そ)ぐために豊かな埋蔵量を誇るカタンガ州(現シャバ州)の分離工作を企てた。銅の権益を手に入れられてしまうとルムンバ政権の経済力が飛躍的に上がるからだ。手に入れる前に叩いたわけである。「アフリカシリーズ」ではその一連の出来事が、コンゴ動乱として紹介されている。

民衆から選ばれた首相ルムンバ(↓)をアフリカ人の手で殺害させ、カタンガ州の銅を確保したのだから、だれが新政権に就いても機能するはずがない。モブツを東側の侵入を防ぐ盾として、アメリカはモブツの独裁を支援した。モブツの故郷の村への道は整備された。有名な話である。どうも同じような話をどこかで聞いた気がする。

小島けい画

 宮崎に来た当初、家の近くの道路が市長道路(↓)と呼ばれていたので、その訳を聞いたことがある。市長が建設を優先して通したので、市長道路と言われていますということだった。その前の市長のときも、港近くの道路が市長道路と呼ばれていたらしい。漫画の世界や、と思ったが、道路で恩恵を受けた人たちは市長に投票する。それが民主主義らしい。自民党が税金も払わずに不正を働き裏金で金を貯め込んでも、何のそのと嘯(うそぶ)いているのも、その構図が根付いていて政権が揺るぎないと思い込んでいるからである。

大島通線:この写真近くに住んでいた

 南アメリカで好き勝手をして、環太平洋構想を着実に実行し、アフリカにまで進出したアメリカは、かつての大英帝国の足跡を辿(たど)っている。かつて手を出した、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、インド、ケニア、南アフリカ、ガーナなどはコモンウェルス・オブ・ネイションズと呼ばれ、今もその共和圏の経済的な繋(つな)がりは強い。南アフリカケープ州の首相になったセシル・ローズ(↓)は南アフリカ、ローデシア、ケニア、エジプトを結ぶ縦の大英帝国を夢見ていたと言われる。考えればアメリカはイギリス人入植者がイギリスから独立した弟分である。その人たちはどうも、世界征服が大好きらしい。

 アメリカの次の標的は、南アフリカである。コンゴにも劣らず、鉱物資源が豊かだったからである。ただ、すでにそこにはオランダの入植者がアフリカ人を蹴(け)散らして定住していた。オランダ人はアメリカ人に劣らず独善的でガタイもよく、押しが強い。当座は競争相手のフランスにアジアへの要所を取られないように大軍を送って取り敢えず南アフリカは押さえたが、本格的に進出したのはダイヤモンド(↓)と金が出てからである。オランダ入植者の領地で発見されたので、当然戦争になった。しかし、どちらも銃を持っていたので、殲滅(せんめつ)するには犠牲が多すぎるのは明らかだったから、結局戦いをやめて手を結び、国まで作ってしまった。奴隷貿易で稼いだ人たちだから、何でもありで、そんなことは朝飯前である。アングロ・サクソン系の系譜は健在である。

独立とコンゴ危機のあとは、植民地争奪戦でコンゴがベルギー王レオポルド2世(↓)の個人の植民地になったという嘘のような本当の歴史の摩訶不思議である。いや、その前に国連軍について触れておこう。いい映像もある。