つれづれに:ジェリコの戦い(2022年10月12日)

つれづれに

つれづれに:ジェリコの戦い

長谷川 一約束の地』ヨルダン川」から

 故郷に戻りたい、間にヨルダン川(↑)が流れていて渡れそうもないが、誰か奴隷の状態から救ってくれる人が現れてくれないか、その願いが「下り行け、モーゼ」(Go Down Moses)、ヨルダン川が「深い河」(Deep River)の歌になった。旧約聖書(The Old Testament)の2章「出エジプト記」(Exodus)の話である。

ポール・ロブソン

 モーゼがヘブライ人たちをエジプトから連れ出したあと、約束の地カナンにジョシュアも含め何人かを偵察に出した。戻って来た人たちはカナン攻略は無理だと反対したが、ジョシュアは神の導きに従って行くべきだと言った。モーゼから約束の地への許可を得て、モーゼの死後ジョシュアは意志を継いで民を率いてヨルダン川を目指した。激流に行く手を阻まれたが、神の奇跡が起きて川は干上がり、一行は川を渡りきった。ジェリコの街では壁に阻まれるが、司祭の角笛の先導でジェリコの街を6日間周回して城壁を打ち崩し、ジェリコ攻略を果たした、というのが「ジェリコの戦い」(Joshua fit the battle of Jericho)という歌になった背景らしい。モーゼたちが約束の地に辿り着くのに40年かかったらしいが、どこかに駐留していたということか。

ジョシュアはジェリコのいくさを戦った ジェリコ、ジェリコ / ジョシュアはジェリコのいくさを戦った / そして、砦の壁は崩れ落ちた

Joshua fit the battle of Jericho / Jericho Jericho; /Joshua fit the battle of Jericho / And the walls came tumbling down.

ギデオンのような強者の話をしてもいい / サウルのような戦士の話をしてもいい / しかし、ジェリコの戦いでの / あの雄々しいジョシュアに敵うものは誰もいない

You may talk about your kings of Gideon, / You may talk about your men of Saul / But there’s none like good old Joshua / At the battle of Jericho.

ジェリコの砦に向って / ジョシュアは槍を手に行進した / 「さあ、雄羊の角笛を吹き鳴らせ」、とジョシュアは叫んだ / 「戦いの行方は私の手の中にある」

Up to de walls ob Jericho; / He march’d wid spear in han’ / "Go blow dem rams" horns, ÅhJoshua cried, / "Kase de battle am in my han’."

雄羊の角笛が鳴り始め / 笛が響き始めると / ジョシュアは子供たちに叫ぶように命令した / そして、あの朝 / ジェリコの壁は崩れ落ちた

Den de lam’ram sheep horns begin to blow, / de trumpets begin to soun’, / Joshua commanded de chil’en to shout, / An’ de walls come tumblin down. / Dat mornin’

「ジェリコの戦い」は合唱曲としても歌われていて、ウェブには合唱コンクールの動画がたくさん置かれている。小学生が歌う映像もある。ジャズのスタンダードナンバーとしても定着しているらしい。

教室では「下り行け、モーゼ」と同じく、ゴールデンゲイトカルテット(↓、Golden Gate Quartet)の曲を聴いてもらった。やはり軽快である。最初の何年かは、学年全体が入れる大きな教室で、台車に載せたテレビといっしょに持って行っていたカセットテープレコーダーの出力を大きくして聴いてもらっていたので、低い音も教室に響いていた。「ジェリコの壁は崩れ落ちた」(de walls come tumblin down)を繰り返すところでは、如何にも壁が崩れ落ちる感じさえした。

この「ジェリコの戦い」も「深い河」もヒューズの「黒人史の栄光」には入っておらず、紹介されているのは「下り行け、モーゼ」だけである。しかし、スピリチャルやゴスペルなどのブラックミュージックを紹介するうえで、どうしても聴いてもらいたかった3曲だったので、解説も交えながら3曲を続けて聴いてもらった。

旧宮崎大学の教育学部はエバーグリーン大学と交換留学制度をやっていて、ある年、非常勤の英語の授業で知り合った工学部の学生がその大学のジョシュアという学生を紹介してくれた。授業で「ジェリコの戦い」を聞いてもらっていたので、その学生とあったとき、最初に"Did you fight the battle of Jericho?" と聞いたら、「古いこと知ってますね」と言われた。それから二人はその年、よく医大の研究室まで遊びに来た。工学部の学生は京大の文学部を受けたが不合格で「4月に入ってから入れる大学はないかと文部省に電話したら、宮城と宮崎を言われて、宮崎に来ました」と話していたが、翌年特別に準備もしないでまたセンター試験を受けた。東京外大のモンゴル語学科に入学して、東京に戻って行った。ジョシュアくんは帰国して大学に戻ったと聞いた。

医学科で授業を始めた時はまだ自分のテキストがなかったので、非常勤の頃にやっていたアフリカ系アメリカの歴史や音楽の内容が多かったが、徐々にアフリカ全般、南アフリカやコンゴやケニア、エボラ出血熱やエイズなどの医療問題も絡んでくるようになった。その流れの出だしが、スピリチャルやゴスペルなどのブラックミュージックだったかも知れない。